ラナーがナザリック魔導国執政官となり数日後。
蒼の薔薇を送り出した次の朝。
「ラナー様! ラナー様、どうか起きてください!」
「ん……あら? クライム、どうしたの? 寝室に……えっ?」
愛する従者の声で機嫌よく目を覚ませば。
二人はうららかな木漏れ日の差し込む、森の中。
少し暑めの気温。
ラナーが寝ていたのは、ふんわりとした苔の上。
「こ……ここは?」
「わかりません……しかし、いつの間にかこの森に」
クライム自身も、目覚めたばかりなのだろう。
ここは、木々の間にできた苔の野原。
太陽は差し込む程度、湿った甘い匂いが立ち込める。
少年の避けるような視線に気づき、己の姿を見れば。
ラナーは、薄い寝着のまま。
クライムも鎧は着けず、短衣しか着けていない。
まるで、ベッドの中から己だけ転移したような状態。
「私はモモンガ様が魔法で築いた城に寝ていたはずですが……クライムは何か気づきましたか?」
「いえ、自分もラナー様の隣の部屋にいました。鍛錬後は、いつものように就眠を……」
思案するふりで、クライムの困惑した顔に視線を這わせる。
(いかにもな塔の上や、牢獄を想像していましたが。健康を考慮してくださったのかしら?)
全てはラナーが、モモンガと話し合った、計画通り。
二人は幽閉されたのだ。
ナザリック駐留時から、クライムとの距離をじっくりと近づけている。
あの頃は、同じ部屋で扉の前に立ってくれていた。
初日は不寝番までしてくれて。
その後も立ったまま、時折ラナーの寝姿を確認しつつの立ち寝。
ラナー自身はナザリックから報酬として、寝食不要・疲労無効の指輪を得ている。
そう。
時折、布団をはだけて寝着が露になるごと。
クライムが慌てた顔をしたり、視線をそらすのも。
愛しい忠犬が、稀に欲望の視線で炙ってくるのも。
ラナーは眠ったふりで、ずっと見て、感じていた。
彼の寝顔も、決意も、抑制も、戸惑いも。
夜通しずっと、ラナーは見ていたのだ。
あれは本当にいい時間だった。
おかげで、クライムは逗留中、常に何者かの視線を感じ続けた。何らかの魔法的手段で、ラナーの部屋が覗かれていると考えるも無理はない。
無邪気にモモンガを友と呼ぶラナーが、狡猾な淫魔に操られるのではと警戒したのだ。
とはいえ、だからといって何もできず。
警告しても、ラナーはまともに取り合わなかったが。
「やはり、あの魔導王を名乗る
「そ、そんなはずがありません。きっと何か、魔法事故の類ですよ」
怯えつつも気丈な――そんな声色と表情を作って見せるラナー。
クライムは何か言おうとしつつも……不安にさせまいと口を閉じる。
だが、無情なるかな。
二人の不安を煽るかのように。
甲高い声をあげ、異様な魔獣が飛ぶ姿が、上空に見える。
虹色の翼を持つ、大蛇。
比較的低空を飛ぶその様子は、己の威容を見せつけるようだ。
事実、クライムには、話に聞くドラゴンと同じかそれ以上の怪物に思えた。
木々のすぐ上を、大蛇の腹が這いうねる。
いくつかの枝葉が当たり揺れ、強風が吹き荒れた。
「きゃっ!」
「ラナー様!」
細い体を風に飛ばされまいと。
ラナーが、クライムにしがみつく。
少年は、か弱い姫を守るべく抱きしめ。
己らを見もせぬ魔獣を威嚇するように立つ。
空を舞う大蛇は、二人など眼中にないかの如く、飛び去る。
それでもしばらくは、警戒を解けず。
クライムは、姫を抱きしめ続けた。
「あ……す、すみません、ラナー様っ!」
「いえ……どうか、もう少し、このままで」
ようやく、柔らかく暖かいラナーの感触に気づき。
慌てて離れようとするクライムだが。
不安そうな、怯えた顔の姫に懇願され。
立ちすくむ。
(うふふふ、本当にかわいい!)
もちろん、ラナーは最初から怯えてなどいない。
だが、せっかくの機会は活かす必要がある。
魔獣への恐怖と不安で冷えていた、少年の体が。
己の肢体を意識して、熱く火照り始めているのだ。
それを全身で感じるのは本当に楽しくて、嬉しい。
彼が男として反応しているか、直に調べたくもあったが。
今はまだその時ではない。
肌で堪能するだけに留める。
粘膜部分はお預けだ。
ラナーはCOOLに、己の火照りをわずかに察させる程度で離れた。
「ごめんなさい、クライム。どうしても不安で……」
「いえ、ラナー様が謝られることでは!」
勢いよく頭を下げるクライムの腰が、少し引けている。
反応してしまっているのだ。
(あら、これは思ったより早く……してしまいそう♪)
音を立てず、口の中で舌なめずりした。
その後、二人で周囲を探索する。
不安だから、はぐれてはいけないからと。
手をつないで。
緊張するクライムに、無垢な姫として身を依り添わせる。
野歩きに馴れないのだから、不自然ではない。
少しハプニングもあったが……。
(はぁ……ふふ、お互い姿の見える場所、音も聞こえる場所で……。
クライムのあんな音を聞くなんて、本当に思っていませんでした。
私の音も聞かせてしまいましたが……相当、意識してましたね♪)
森なのでトイレもない。
危険だからとお互いに姿の確認できる場所で……。
小用をしたのだ。
クライムの慌てようは酷く。
終えた後に見せた顔は真っ赤だった。
じきに大きな方も互いに聞かせ、聞くのかと思えば。
ラナーは正直、期待せざるをえない。
(これだけでも、取引した甲斐がありました!
ゆくゆくは恥じらうクライムに、目の前でさせましょう!)
ともあれ。
二人のいるのはまばらな木立で、十分に歩き回れる。
小川。泉。小さな岩山と洞窟。
洞窟の奥からは冷気ではなく熱気があり、温泉があるかもしれなかった。
寝室も寝具もないが、目覚めた場所のような苔や草花の野原が、点在する。
果実の実った樹も、多数。
気温も高め。
添い寝させる理由は、いくらでもある。
(ふふ、わかってらっしゃいますね!)
心の中で、モモンガとハイタッチするラナー。
途中で疲れたからと、抱きかかえさせたり。
おぶさったりもする。
ラナーの体に触れるごと、少年の見せる反応が楽しい。
着ている寝着は、ネグリジェだ。
木々の枝や茂みに引っかかる。
はだけもすれば、端々が裂けもする。
一週間もすればボロボロになって、きっと裸同然になるだろう。
わざと元気に野を散策すれば、数日だ。
鎧下のような丈夫で実用本位の、クライムの短衣は無事だろう。
そうなった時、彼は……。
己のそれを脱いで、ラナーに着せようとするのか。
木の葉で服でも作ろうとするのか。
あるいは、我慢できずに自らラナーの衣装を引き裂き……
(私、本当に楽しみです!)
おぶさられ、レースが今も枝に裂かれる音を聞きながら。
ラナーは満面の笑みを浮かべていた。
「っ……これは……!」
「まあ……」
密集した木々が壁のように立ちはだかる。
張り巡らされた蔓草は檻のよう。
しかも、その先だけ不自然な霧が蠢きながら立ち込めている。
明らかに魔法的なものだ。
試しに霧に触れてみれば、指が痺れる。
たとえラナーがおらずとも、中に入れば……麻痺状態に陥るだろう。
左右を見れば、霧はずっと続いている。
ゆるく、弧を描いて。
おそらくは円の中に二人を閉じ込めるように。
「まさか……」
「これは、魔法でしょうか?」
上空。
嘲笑うように声をあげ、頭上を再びあの大蛇が飛ぶ。
おそらく樹を登っても、無駄なのだ。
あの大蛇の餌になるだけ。
クライムは呆然と立ち尽くした。
(なるほど、まさにバカンスのための監禁場所ですね♪)
ラナーは、内心でさらに感心し。
モモンガへの感謝を新たにしていた。
持つべきものは同志であり、友情だ。
相当な広さがある。
事実上、二人きりで無人島に遭難したようなもの。
(けれど、食事はどうするのでしょう。果物だけで暮らしていけるとは……)
内心少しだけ疑問に首をかしげる。
そんな時、背後から冷たい声がかけられる。
「手間をかけさせるな、
何の気配もなく――突然に。
振り向けば、黒髪ポニーテールの美しいメイドが、そこにいた。
書いてみたら一話で終わらなかったので前後編です。