勢力図?
テーマ:My life
にゃは!
昨日は泣くだけ泣いたからか、今日はスッキリ!
なんていい感じ
以前は、「よく分からないけど涙が止まらない現状」にかなり困惑もしたけれど、それは過去世の自分の涙と想いなんだなっていうのが分かるようになったから、今はそれが落ち着くと過去世とは距離が取れるようになった!
だから、うだうだが長引かなくなったね。
良かった〜。
過去世のことは自分の過去として知る必要はあるんだけど、現世のあたしがその影響を受けすぎるのはやっぱり違うもんね。
好きも嫌いも、過去の自分が確かに思ったことだから、そこは凄く参考になる。
自分の判断の基準になるもので、過去に実際向き合ったり、やり合ったりした人なわけだから、よく分からない他人の判断よりも信頼出来る情報。
ただ、過去世のあたしも分かり切れてないところはあったろうし、現世での成長?で自分も相手も変化したところはあるかもしれないから、確認はどうしても必要はにはなるけどね。
まあでも…勝博達とやり合ってみた結果、彼らの最低さは全く変わってなかったので、過去世のあたしの感覚をそのまんま生かしても良いところもあるね。
生かしどころは、最低な奴はちょっと観察すると分かるタイプもかなりいるから、その辺はもうちょん切りでオッケーってところかな。
人を好きになるのも嫌いになるのも、今のあたしを基準に…と思っていたのだけど、過去世をそうやって活用することも必要だね。
過去世を解消するためにも必要だし。
そしてそして!
今朝、めっちゃ面白いことが分かった。
上杉の勢力図みたいなもの。
上杉といっても、上杉系精神を持ってる人達の勢力図だね。
いやぁ、うちら兄弟姉妹やるなぁ!
こう繋がってくるか…と、自画自賛。
ここにあれかな?
よーへい連盟とか、玄師連盟とか入ってくるのかな?
その辺がまだ掴みきれてないけど。
もしかしたら、連盟は分かれてなくて一つなのかもしれないし。まあその辺はどうでも良いや。
あたし達兄弟姉妹は、戦国時代の時、それぞれがリアルで心地良い居場所を作り続けていたんだよね。
生きる場所を守ってた。
上杉の土地は越後や東北だったけど、土地というよりも仲間という居場所を作ったって感じかな。
それは利休もそうで。
茶の湯…茶道は、利休(次男)が作った居場所だね。
利休は仲間という居場所を作ったというより、空間を作ったという方が近いかな。仲間もないわけじゃないけど、どうやったら心地よい空間を作れるかとかね。
かつて作ったそういうものが合わさっていったのが現代。
あたし、息子二人が今一緒に生活してるのは、かつてうちらが作ったものがリアルで合わさってますよーってこと。
あたしと長男が主に仲間というものを作っていった。
利休は心地よい空間作りを教えて、何処であっても心地よい空間を作れる方法を現代に残した。
それが全て重なっている場所が日本の各地にはある。
場所と言っても新潟とか、東京とか、大阪とかいう地域ではなくて、かつての仲間が集まっている場所だね。
たとえば茶道教室もそうだし、通う美容室とかエステもそうだし、服を買う店もそう。
自分が心地よいと感じて通うお店の人とかは、上杉系列の人がやってるってこと。
うちの息子達が通っている学校もそうだね。
そんなのが、全国各地にある。
ただ、同じ学校でも企業でも、習い事の場でも、現代は上杉系列ではない人…性根の腐っている人は当然いるので、そういう人達とはリアルで距離を取らなきゃならない。
でも見ているだけでは誰が上杉系列で、誰が違うのかは分からないから、ここで相手を見抜くやり取りが必要になる。
あたしはこの一年ほど、お店や行く場所等々を選んでる。
人を見ながらね。
他者の噂や、他人から聞いた話をするなとは言わないけれど、する時には公平な視点で話せていない人は離れるようにしてる。
品物が良くても、客の意向を聞かない売り方をしてるところはボツだし。
直に人と接する時は、相手によっては時に苦手意識が先に出てしまうこともあるから、自分の中にある苦手意識を取り払って、先入観を持たずに接しようとしたりもする。
そんなことをやってると、何処へ行けば心地よく過ごせるのか?が分かってくる。
いくら良いものを売ってたり、上質なサービスが売りだったりしても、それを扱ってる人が合わないと良い時間を過ごせない。
それは習い事もそうで、その場にいる人が雰囲気や心地よさを作っていくから、人が違うだけで全く違うものになる。
あたしは物や習うことの質も大切だとは思っているけれど、それ以上にそれを扱う人を重要視しているからね。
人の生み出す心地よさを辿っていくと、次第に不快なものは離れて、良い空間だけが残っていく。
上杉系列の人達は、現代ではそういった空間をあちこちに作っていて、お互いが無意識のうちに仲間の臭いを嗅ぎつけて、仲間の作った空間を利用してたりする。
ただね、本当に馬鹿は何処にでも紛れ込んでるから。
茶道にしても、習っている全ての者が上杉系列ってわけじゃない。むしろ上杉はそう多くない。
どの流派でも関係なく、心地よい空間を自然と作れる者が上杉。
やたらと教えを前に出すような者は、馬鹿もいいところ。
手順を間違えようが、忘れ物をしようが、今この時を仲間と共にとても楽しく幸せに過ごせている…と、自然と感じられるような空間が上杉の空間であって、教えや手順を詰め込んで、常にお互いを律し続ける空間には上杉のうの字もない。
過去世での鍛錬等は、そういった空間を守るために仕方なくしていたことであって、それが主じゃないからね。
ああ言う時代だったからこそ、鍛えなければ守れないものもあった。
鍛え場所は違うけれど、それは現代も同じ。
現代は…馬鹿を見抜く目を兎に角鍛えなきゃならない。
それがないと上杉勢図は手に入らない。
馬鹿を見抜く目があって、そういうものと離れる勇気と行動力があると、勢力図が手に入ることになってる。
リアルゲームだねー。
ふふふふふっ。