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【暮らし】

<学び場「ピース」 困窮世帯の支援教室> (下)大学進学へ手取り足取り

ピースで学び富山県立大に進学した東国広さん(手前)と、元サポーターで今は教師の村井隆二さん=愛知県豊田市で

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 「おー、久しぶり。元気だった?」。八月中旬、愛知県豊田市の愛知工業大であったバーベキュー。懐かしい顔触れとの再会に、富山県立大一年の東国広(くにひろ)さん(18)の顔がほころんだ。

 東さんは三月まで、愛知県瀬戸市で開かれている生活保護やひとり親世帯の子どもが対象の学習支援教室「ピース」に通っていた。四年制大学に進んだ利用者は、二〇一五年のピース発足以来、東さんが初めて。バーベキューには、教室の子どもや運営と指導を担う愛工大の学生らサポーター、OB約四十人が集まった。

 東さんは同市でフィリピン人の母親に育てられた。生活が一変したのは中学一年の時。学級委員に立候補したのを「生意気」などといじめられ、学校に通えなくなった。環境を変えようと約一年間、母と一緒にフィリピンで暮らした。

 帰国後、学校には戻ったものの、勉強に全くついていけなかった。「特に数学が苦手」。三年生になって高校受験が迫る中、市の窓口で紹介されたのが、無料で通えるピースだった。

 「頭が悪くて怒られるんじゃないか」。迎えた五月の初日、ビクビクしながら足を運んだ。「よく来たねー」。思いがけず、明るい声が響いた。当時、同大三年だった村井隆二さん(25)だ。

 村井さんは遅れている数学を集中的に教えた。中学一、二年レベルのプリントを手作りで用意。学校で受けたテストを持ってこさせ、間違えたところを何度もやらせた。大学卒業後、県立高校の教師になった村井さんは「大勢を相手にする学校と違い、一人一人の学力に応じて教えられるのがピース」と言う。

 最初、百点満点中三十点ほどだった数学は、卒業時には七十点取れるまでに。合格した県立高校では三年間を通じて成績も上位で、教師には大学に行くよう勧められた。でも、複雑だった。「簡単に言うなよ」。大学なんて行けるわけがない。「お金がないから、友達とカラオケにさえ行けないのに」

 背中を押したのは、ピースのサポーターをはじめ周囲の大人だった。責任者で愛工大准教授の川口洋誉(ひろたか)さん(40)は、ピース運営の委託元である瀬戸市に、お金の面など相談できる機関を紹介するよう依頼。学校は学校で、教師が放課後、勉強に粘り強く付き合った。

 富山県立大を選んだ理由の一つは「就職率が高い」と聞いたこと。名古屋市内で試験を受けられるため、交通費の心配がないことも大きかった。受験料を節約しようと、受けたのは一校だけ。合格を知った時は、ただただ「ほっとした」と振り返る。

 「お金、大丈夫かな」。喜ぶ東さんとは裏腹に、母親は合格後も不安そうだった。でも「頑張るから」と説得した。進学後は、運送会社などでアルバイトをして大学に通う。家は学校に近い家賃月三万円のアパート。システムエンジニアが夢だ。

 ピースのバーベキューは毎年夏の恒例行事。「子どもやサポーターがずっとつながれるように」という気持ちが込められている。東さんは、仲間と楽しそうに肉をほおばりながら、かつての自分にも言い聞かすように話した。「学歴はないより、絶対にあった方がいい。貧しさから抜け出すきっかけの一つになる」

 だから、せっかくピースに通うなら勉強を頑張ってほしいと願う。「どん底だと感じても絶望しないで。やる気さえあれば味方になってくれる大人はきっといるよ、と伝えたい」 (細川暁子)

 

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