思い出した… | 世界はあたしのお庭なの

思い出した…

テーマ:My life




この曲。
最近の曲よりもこの歌が近い。
あたしが道長や信玄との日々に感じるものは。

2日前?かな。
玄師に応えられないと伝える記事を書いた。
それから息子らの過去世のことを見ながら、道長との別れのことも同時に感じていたみたいだね。
意識の上ではそういった感覚はあまりなかったのだけれど、昨日最後に書いた記事を上げた後、流れた涙と一緒に、道長とのことが流れ出てきた感じだったのだなとさっき気付いた。
息子らの過去世と、道長との別れは、あたしが謙信へと進んだ理由になっているから、同時に出ていたのだろうな。


よーへいとはこの2年半ほどずっと向き合ってきたから、過去世の自分が過去世のよーへいに対して何を感じてきたのかが分かった。
だけどヨネヨネとは…玄師とは、よーへいのように向き合ってはこなかった。
ただ、よーへいが現れた3年前、暫くして玄師を知った。
それからは特に調べていなくても、意識して見ようとしてなくても、何かと情報が入ってくる人だった。
あたしはメディアには無縁な人間で、ネットは使ってはいたものの、見るとしたらニュースくらい。後は必要なものをネットで買うくらい。
テレビも観ない、ラジオも聴かない。
だから芸能人はあまり知らなくて、政治家の方が知っていたくらい。
そんなあたしが覚えてしまった人だから、今考えると米津玄師は特殊と言えば特殊な人だった。

3年前の誕生日を境に、よーへいとの関係を知っていくことになった。
そして今年の誕生日を境に、玄師との関係を知った。
何故そうなのか?までは分からないけれど、何故かいつも誕生日が境目になってる。
もしかしたら、新しいあたしが彼らと出逢ったことで生まれたからなのかもしれないね。

自分はいつまでも自分だ。
あたしはずっとそう思ってきた。
成長していく中で知っていった様々なことによって考え方や好みが変化しても、自分の中心にあるものは全く変わらないと思っていた。
昨日まではそうだった。
だけど今日、玄師との過去を思い出して、関わった人によって大きく変化する自分もいるんだなと思った。
多分、よーへいとの関係だけではそれに気付けなかったと思う。

やり合った勝博達のような人間と関わることでも、憎しみや恨みのような感情が出ることで、変化する自分がいるのはそうだけれど、そういったものとは大きく違って、お互いを想い合うことで生まれる新しい自分だね。
クレオパトラまでの過去世のあたしは、アテナの時代から関わっていたよーへいや息子らとは、関わり方が変わらないままで何度も転生していたものだから、もうそれが当たり前のようになっていた。
それはよーへいも、息子らも同じだと思う。
上杉の仲間には、恐らくギリシャ時代からの仲間もいると思うから、そういう人達もそうだね。
もう腐れ縁のようになってたんだろうね。
だから、新しい自分が生まれるなんて感覚は持つことはなかった。

それがカエサルと離れて、酷い苦しみをを味わって、紫式部に転生して人生を生きる中で変わったんだよ。
紫式部の時代も人間の汚さは全く変わらなかった。
クレオパトラの時の記憶を残していたあたしは、かなりひねくれた人間だったと思う。
そんな中で道長に出会った。
出会った時のことは全く覚えていないけれど、彼も紫式部と同じような悲しみや苦しみを抱えていたというのは感じる。
道長はクレオパトラの時の苦しみを、初めて吐露出来た人だったと思う。初めてというか、彼にしか話してないと思う。

クレオパトラまでのあたしは、よーへいに守られていたり、気の合う仲間達と一緒にいたから、苦しみを誰かに話すという経験は全く無かった。
楽しさを分かち合う経験は沢山していたけどね。
カエサルの後に関係した男性には、道長ほど話すことはなかったように思う。
始めはいくらか話しても、受けめられないだろうと感じやる人には、自分の辛さや苦しさをいつも話せなくなっていく。
道長は紫式部にとってとても特別な存在だったのだと思う。

面白いことに、道長との間であったようなことを現世でも経験をしてる。
これは過去世を思い出すために、全てを知るあたしが作った流れでもある。
現世での経験を振り返ると、過去世のことがよく分かるようになっているんだよ。

あたしは父の死後、家族と上手くいかず、それがあったから勝博に頼ってしまったところがあった。
自分ではどうにもならない苦しさや悲しさを、勝博が受け止めようとしてくれた。
それであたしは彼を信頼するようになり、彼の持つ苦しみを受けようと思った。
道長の時も近い感じだったのだと思う。

ただね、道長は勝博のような人じゃなかった。
あたしはずっと納得出来なかった。
現世の経験と過去世を重ねてみると、道長は勝博のような人間だったから離れたのかもしれない?という疑問がどうしても出て来る。
人に対して疑り深くなってしまっている現在のあたしは、人はそれぞれ違うと分かっていながらも、どうしても一纏めにしてしまうところがある。
よーへいのファンも色んな人がいるのに、気持ち悪い人達を見ていると、ついみんな気持ち悪い人のように感じてしまうようにね。
玄師のことも、どうしても「勝博?」みたいに…ついね。。。

それでも彼のあれこれを調べたり、曲に触れたり、どんな人間かを知ろうとしていく度に、勝博とは全く違うものを感じていった。
よーへいとも違った。
深い優しさを持っていて、穏やかで、繊細。
でも情熱的でもあって、その情熱はいつも何処か悲しげで。
ぼんやりとしたものではあるけれど、そんなものを感じた。
この人、やっぱり関係のあった人なんだなぁとも思った。

本当はもっとゆっくり感じていけば、もっと色々感じていけたのかもしれない。
でもあたしは、他のことも同時に見ていく中で、玄師とは情報処理能力の大きさの違いや、物事を表す速さの違いを感じるようになっていった。
それを感じるようになると、よーへいの情報処理能力がいかに大きいか、物事を表す速さがいかに速いかも感じるようになった。
家族の能力の大きさや表す速さの違いを、あたしはいつも比べていたから、それらの違いが結果的に何をもたらすかを、あたしはよく分かってた。
やり合った人達は、それらが極端に小さく遅いということも知った。
そんなものだから、玄師に違いを感じ始め、よーへいに同じものを感じ始めたら、一緒にやれる者は誰なのかが分かってしまった。
だから、応えられないと書いた。

自分が過去世で感じたものや持った想いが全て分からなくても、そういった違いは必ず二人の間に苦しさを生んでしまうと思ったからね。
好きだとか嫌いだとか以前に、苦しんでしまうものが絶対的に存在しているとしたなら、それをなんらかの形で取り除かない限りは、好きでもなんでもお互いが傷付いてしまう。
ぼんやり分かってきた玄師の性格だと、あたしを苦しませないために自分が堪えてしまうような気もしたし。
そんなのはダメだ。
それくらいしか分からなかったけれど、2日ほど前は応えられないと書いた。

それが自分の中では、過去世で彼に対して別れを告げた時と重なっていたんだろうね。
過去世での体験と、現世での体験が重なったりすると、過去世の記憶が浮き上がってきたりする。
応えられないと伝えた行為が、紫式部の時に彼に対して別れを告げた時の気持ちをあたしの中に蘇らせた。

過去世のあたしは…。
紫式部は、道長のことを心から愛していたよ。
本当に心から。
多分、恋とか愛とかと意識出来た初めてのものだったんじゃないかな。

よーへいとの間には、男女間の愛はあったと思う。
ただ、過去世のあたしはそれを自覚していなかった。
自覚していないというと語弊があるかな。
そういうものを男女の愛情だと言葉に出来るまでにはなってなかったように思う。
好きだとか、愛しているというような言葉は、もしかしたら使っていたかもしれない。
でも、生まれて初めて知った男女の関係が、当たり前のように三度の転生で続いてきてしまったから、関係は当たり前に続くものという感覚の方が大きかったと思う。

現代では、恋愛は二人の気持ちを確認したりする作業があって当然だけれど、遥か昔はそんなものは存在しなかった。
ましてや親子だったよーへいとあたしは、一緒にいて普通…みたいになっていたものだから、確認するという行為なんて生まれるはずもない。

けれど道長とは違ってた。
二人の間に似たような傷があること、共通する感覚があることを、出会ってから確認していったんだよ。
そんな中で相手への想いが育っていった。
恋愛と呼べるものを知ったのはいつか?と問われたなら、それは道長の時だったように思う。
自分自身で意識出来て初めて、そうだと言えるものでしょう。
意識出来ていなければ、それはまだよく分かっていない子供と同じ。
過去世のよーへいとの関係は、男女の愛と言えるようなものだったと思うけれど、あたしもよーへいも子供だったのだと思う。
相手を知っていき、相手の心に意識的にも近づこうとしたのは、道長が初めてだったと感じる。

カエサルから離れて以降、他の男性とも関わったけれど、やっぱりそこまではいかなかったと思う。
彼らのことを思い出せないのが、あたしにそれを証明している気がするね。

紫式部と道長は、男女の関係だったとは殆ど語られてない。
たまに見かけるものの、ほぼ信じられてない。
あたし達は関係を隠し、愛し合っていたのだろうというのは、道長との過去世を思い出し始めてから直ぐに分かった。
カエサルの時に酷く非難されたあたしは、世間に関係が知られるのを嫌がったとは思うしね。
彼はあたしの嫌がることはしない人だったと感じるよ。

大好きな人だった。
ずっと一緒にいたいと思った人だったはず。

だけど一緒いる時間が増えていく度に、自分の彼との違いに気づいていった。
情報処理速度、物事を変化させる速度等々が、自分の方が速いことに気づいてしまった。

それだとね、どうしてもあたしの方がいつも教える側になってしまう。
それが悪いわけでは無いけれど、真面目で愛情深い人であればあるほど、自分自身に不甲斐なさや残念さを感じてしまう。
教える側のあたしは、そんな相手に申し訳なく思ってしまう。とても優しい人だから苦しませたくないと思ってしまう。
勝博の時はあまりの理解力の無さと分かってなさに、張り倒したくなったし言うのも疲れてしまったけれど、どうにかしよう、どうにかしたいともがく人には、やっぱり苦しませたくないと感じるよ。

人には理解する速度や出来る速度の違いがあって、時間さえかければ分かるという人は多い。
夫や母はそういう感じで、あたしや息子らよりは進みは遅いし、指摘しないと分からないところもあるのだけど、自分なりに理解しようと進む人達なんだよね。
道長はずっと速い人だけれど、あたしの速さとは違ってた。
それでも、お気楽な性格の人だったから、そんなの気にしないで済んで終わったかもしれない。
だけど…そんな人だったから惹かれることも無かったろうね。

道長は、人と接する中で傷ついて心を閉ざしていった人だった。
深く深く傷ついて、それでもどうにか生きようともがく人だった。
だから、過去世のあたしは、一緒にいられない代わりに、彼がもう二度と傷付かない世の中を贈ろうと思った。
クレオパトラの時に傷付いた弟や妹達にも、苦しむことのない世界を贈りたかった。
そんな想いが上杉謙信を誕生させたんだよ。

謙信が出家したのは、道長だった信玄を拒むため。
彼はあたしと離れてからも逞しく生きていた。
本人はそう思ってないかもしれないけれど、あたしに向かって来る熱量は、かなり大きなものだったからね。
その熱量があれば、なんでも超えていけるだろと思った。
欲しいものを奪い取ろうとするくらいの、諦めずに自分の力で勝ち取るくらいの人になって欲しかった。
それは弟や妹にもだし、仲間達にも思ったこと。
道長と離れて、良いものを見れたと思った。
もしも途中でやめてしまったなら、信玄は自分の内にある力を知らずに終わってしまう。

残りの仕上げは…本物の馬鹿を潰すことと、よーへいを叩き起こすことだった。

クレオパトラの時代には、「愛というようなものは存在する」と、思われるようにはなっていた。
愛なんて表せもしないような人間がそれを信じてしまうほどにね。
紫式部の時代は、源氏物語の中で愛と欲の違いを描いた。
現世は……それを人間一人一人に問う。

玄師も、よーへいも、そちらの仲間達も、あたしは表し続けてくれると思っている。
こちら側の仲間もそういう方向に進んでいる。
世界の変革と並行して、人間一人一人が自分の中にある愛というものを表していくことになる。
そこで自分自身の愛がどんなものかを知ってもらう。

ズルい者は逃げるからね。
だから、全てを知るあたしは、予め手を打った。
勝博達を捕らえておいた。
そして、決して逃げないようにここで書かせてもらっている。
彼らはいつも自己保身に走りながら、愛情というものを語るからね。
その矛盾、消させてもらう。
消した上で、自分の愛を示してもらうよ。
自己愛だけでないことを望むけれど、まあ…成長出来なければお粗末な結果で終わるだろうね。
別にあたしは構わないけど。初めから全く期待してないから。

あたしは大切だと思ったものを守るためなら、いくらでも鬼になれる。
容赦しない。
苦しむ必要の無い者は、苦しみは一秒だっていらない。
けれど苦しむべき者には、自分の愚かさを知るまで苦しみ続けてもらう。
それがあたしの愛だ。
甘く美しいものだけが愛だと思うな。
地獄に落としてやるのもまた愛なんだよ。
ざまあみろってね。