過去の懐かしさを持つ、現世の自分へ | 世界はあたしのお庭なの

過去の懐かしさを持つ、現世の自分へ

テーマ:My life

昨夜は涙が止まらなかった。

よーへいは無視したまま、ただ泣いていた。

昨日最後に書いた記事は、読み直している途中から眠くなってしまって、終わりの方は見直しになんて全くなっていなかった。
一応公の場で出している文章なので、誤字脱字等々は無いようにしたいのだけど、眠くなったり集中力がなくなったりしてしまうと、まあいいやといい加減な見直しで終わってしまう。
まあ…それくらい適当な方が自分に近いので、自分のままを表すという意味ではいいかのもしれない。

記事を読み直していた時は眠かったのに、布団に入る前から涙が流れて、それからは止まらなかった。

昨日は酷く傷つくことや、泣くほど感動することがあったわけじゃない。
むしろ、よーへいがちゃんと答えなかったことにイラっとしていたくらいだった。
昨日のあたしの日常の中では泣く理由なんて一つも無かったけれど、昨夜はいつかの過去世を感じてしまって涙が出た。

自分は過去世で誰だったのか?ははっきりと思い出せていても、細かな記憶は戻っていない。
それでも過去の自分が心に残し続けたのだろうことは、思い出したり、思い出せなくてもその時の感情が蘇ってきたりする。
特に、深く関わった人物のことは、思い出せていないものがあっても、現世で直に関わっていなくても、自分の奥深くにある意識出来ない記憶がその人のことを教えてくれる。

今の家族は過去世のことを思い出せていない。
だから、自分達がやるせない思いをしてきたこと、身体を張って大切な人を守ったこと、それが出来る自分だったことを忘れて、現代的に生きている。
でもそれがあたしにとっては凄く幸せなことに思えたりもする。
だって、過去世での苦しさを忘れていられるんだから。思い出したらあたしみたいに苦しむ。
いつか思い出すかもしれないけれど、出来るならもう過去世のようには苦しんで欲しくない。

夫と母は、ここ近年、あたしからあれこれ指摘されたり叱られたして、苦しい思いをしていたろうとも思うけれど、過去世では自分の力で生き、仲間を支えたり助けたりしてきた。
今回はあたしの足枷になる役を演じてくれているので、理解力が欠けている人を熱演してくれている(笑)
全てを知るあたしはそれを分かっているけれど、感情を当たり前に感じるあたしは、分かっていない彼らに対して強く指摘してしまうんだよね。
ただ、そんなやり取りの中で、記憶を消して生まれたあたし達は、過去世の自分が持っていた力を取り戻し、記憶の全てを思い出すことは無くても、過去世で付いた傷や持った感情を精算して、現世を生きる自分になっていく。

それは過去世の記憶がある人も同じ。
記憶がある無しに関わらず、過去世から引きずってきているものを精算しないと、本当の意味で現世を生きる自分にはなれない。
この世界で生きている人間達はそれを分かっていない人が多いけれど、誰一人として例外なく、過去世から引きずっているものを持っていて、それを精算しないと現世を生きる自分には決してなれない。

現代で起こっている問題は、過去世のことが酷く影響していて、虐め一つであっても、虐める方も虐められる方も、過去世を背負ってやっていたりする。
だから自分を見つめていって、何故そうなるのかを知り、取り除くべきものがあれば取り除き、変わらなければならないところがあれば変わっていかないと、永遠に過去世からのものは取り去ることが出来ない。
意識的にやっても、無意識的にやっていても、そこに優劣は無くて、兎に角過去世から背負っているものを精算しなければ先へは進めない。

昨夜はそんな過去世からのものを精算する涙だったのだと思う。
家族の過去世を想うと過去に起こっただろうことの映像が頭に浮かんで、勝手に涙が溢れた。
過去世で向き合って、確かに愛した相手のことをが心を揺らして、また勝手に涙が溢れた。
記憶の全てが戻っていなくても、あたしの中で今も生きている意識出来ない記憶が、かつての彼らのことを覚えている。

カエサルから離れ、自分の力で生きる道に入ってからのあたしの人生は、常に本気で常に死が隣にあった。
だから、過去世のよーへいと過ごしてきた日々には無かった困難があり、その中で本気で向き合い協力しようとしてきた人達の存在は、あたしにとって自分の命と変わらないものだったよう。
だから分からなくても感じるんだよ。
深く関わってきた人それぞれが、どんなに苦しんでどんなにもがいてきたかを。それでも懸命に進もうとしてきたことを。
そういった人生の中で、受け入れたくなくても受け入れてきた現実があったことも感じるんだよ。

昨夜、よーへいをほっぽらかしにしてしまったのは、過去世のよーへいには目を向けるべき、認めるべき現実があったのに、それを受け入れてこなかったからだね。
あたしは単にそんな気分じゃ無かったから無視している感じになってしまっていたんだけど、あたしの奥の奥にいる全てを分かっているあたしは、意図的に無視してたりするから。
時間が経つと、やってた理由が頭に上がってきて、何故自分がそんな行動を取っていたのかが分かるようになる。

あたしが本気で関わり、協力し合ってきた人達は、その時その時のどうにもならない現実を受け入れて、その狭い範囲の中で、自分の出来ることは何かを考え、笑い合える明日を夢見て前進し続けた。
変えられない現実をただ憂えるだけじゃなく、どうにかならかを考えて、命をかけ、壊していけるものは壊していこうとした。

よーへいだってそんな部分があったのは分かってる。
ただ、どんなに大切な人を守ろうとしても、他者の困難を作り続けている人達に加担するような生き方をしていた過去世のよーへいを、あたしには認めることは出来ない。

これは前にも書いたと思うけれど、カエサルまでのよーへいの幸せは、理不尽に苦しみを強いられている他者の犠牲の上に成り立っていたものなんだよ。
よーへいが体や物、金や権利を与えた女達や男達は、傷付けるべきでない人達を傷付け、苦しみを負わせるべきでない人達に苦しみを負わせ続けた。
よーへいだけじゃない。
意識的、無意識的関係なく、かつてのよーへいのような生き方をしていた人達は、馬鹿を更に馬鹿にさせ、この世界に多くの苦しみをばら撒いたんだよ。
あたしが悲惨な人生を送ることになったのは、よーへいがあたしを守るつもりで、世の中に苦しみをばら撒き続けてい結果。

過去世のよーへいのしてきたことは、愛と認めるにはあまりにも残酷なものだった。
よーへい、それ、ちゃんと心で理解しなさいよ。
過去世のよーへいを馬鹿と言わないなら、勝博達のことも馬鹿とは言えない。
同類と言っていいくらい酷かったよ。
あたしが死にそうになるくらいになるまで苦しんでいる姿を見ないと、よーへいは分からなかった。
この前は、自分があそこまでダメになってしまうとは、過去世のあたしは想像してなかったと思うというようなことを書いたけれど、今ならそれは間違いだとはっきり分かるよ。
過去世のあたしも、全てを知るあたしも、よーへいはあたしが死ぬスレスレまでいかないと、してはいけないことがあるということを身をもって知ることは出来ないと分かってた。
あたしの心が死ぬスレスレまでいかないと…。

過去世のよーへいは、物事を酷く安易に考えてしまうところがあったんじゃないの?

よーへいは、ヨネヨネの苦しみを思い知るべき。
ざまあみろ。
苦しいでしょうが。
アンタの生き方が、彼を追い詰め苦しめたのもあるんだよ!馬鹿!
そんな奴好きになれるかアホ!
改心してください。

苦しさは分かち合うもんだ。
一方だけが背負うものじゃない。
公平性に欠ける分かち合いは全く必要ないけれど、よーへいの場合はヨネヨネの苦しみを背負うだけの理由がある。
それを分からない男は男じゃないからね。
男じゃなくて馬鹿っていうの。
アンタ、勝博と同じくなりたくなきゃそこしっかり分かってね。
勝博の場合は苦しは分かち合えない。自分が苦しむべきものも、あたしやよーへいに押しつけてトンズラしたから。死んで良し。ゴミもいいところ。
まあでもあたしのせいにして自殺されると迷惑だから、人に迷惑のかからないところで、自分の愚かさを思い知って苦しみ続けて生きるといい。

よーへいにはそんな風に言わないけれど…。
よーへい叩きっていうゲームがあったら、間違いなくコテンパンに叩きまくるわ。
1万円使っても叩きまくる。
アンタがろくなことしないから、うちの家族だって痛い思いや苦しい思いをしなきゃならなかったんでしょーが。
その何処があたしを守っとるんじゃい!
この、おおぼらふきめ!
そういうのは、守るとは認めておりませんのであしからず。


人には能力の大きさの違いが存在する。
それはもう生まれ持ったもので、自分では変えられない。
だから、どんなに想いがあっても、どんなに望んでも、男女として、家族として、友達として、仕事仲間として…一緒にいられない人は存在する。
深い関係になればなるほど、能力の大きさの違いは互いの間に溝を生んでしまう。
相手を想っていれば尚更、自分が分かりすぎることに悲しさを覚えたり、自分が相手を分かってやれないことに切なさを覚えたりする。
能力の大きい方は分かりすぎることで苦しむし、能力の小さい方は分かってやれないことで苦しむ。
だから、そうならない距離まで離れなきゃならなくなる。
丁度いい関係性を築けるようになった時、想いは重なって新たな付き合いが出来るようになる。

けれど現代人はそれが全く分かっていない。
想いがあればどうにかなると勘違いしている人間も多い。
人との付き合いの中で出来ることも、していい限度も、分かっていない。
勉強やスポーツ、仕事で成績が良ければ能力が高いと勘違いしてもいる。
物事の本質を見抜き、その時その時の状況に素早く対応出来るかどうか?そしてどれくらいの大きさのものを自分の力で表すことが出来るか?
それが能力の大小を決める。
多くの人間は、まず本質を見抜くという時点で躓いてしまう。
それが出来ないから、自分の能力に見合ったものは何なのかも分からない。
自分の能力の大きさに見合ったものは何なのかが分からなければ、人間は馬鹿になり続ける。
していい限度を超えた発言や行動をし続けてしまうから。

過去世のあたし達は、自分の能力に見合ったものを知るためにも、自分自身を知り続けてきた。
あたしが最後まで想いを持って関わった人達は、その意味がきっと分かるはず。
だから自分を信じて前に進んで欲しい。


今朝、気持ち悪いものをテレビで見た。
美空ひばりを再現するというものだった。
あんなものを作ろうとする、あんなものを望んでしまう人間は、一体いつを生き、誰と生きているんだろう?
過去から受け継がれてきているものは色々ある。
残ることで未来に繋げられるものは確かにある。
だけど、本人が亡くなった後、本人以外でその人を表せるものなんて一つもない。
作れば作るほど本人からはかけ離れて知らない誰かになってしまうことを、どうして分からないのだろう。
自分を懸命に生きようとした人なら尚更、その人にしかその人は表せない。
あんな馬鹿なことはやめて欲しいと願わずにはいられない。
作り手の自己満足と、自分を満たしたいだけのファンの欲の成れの果て…のようにしか思えない。

あたしはほぼ写真を撮らない。
以前は写真をよく撮ったけれど。
写真を撮らなくなったのは、今を心に焼き付けたいと思うようになったから。
子供達のイベントでビデオを撮っていた時、その時しか見れないせっかくの子供の姿が、ビデオを撮ることでゆっくり見れなくなっていまってイライラしたのが始まり。
それ以降、ビデオも写真もあんまり…になってしまった。
後に残すよりも、今のあなたの姿を見ていたい。
あたしは人を見てそう思う。
過ぎたものに懐かしさはあるし、勿論残る気持ちもあるけれど、「今」を目と心で見続けて感じる方があたしは好き。
だってその人の命は今を生きてるんだから。
心は過去に戻ることはあっても、命だけはいつも今を生きている。
命は紛れもなく今のその人だ。

あたしは今を生きている命と重なる生き方をしたい。