『日本国紀』読書ノート(212) | こはにわ歴史堂のブログ

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212】水俣病もイタイイタイ病も1955年以降に「生まれた」のではない。

 

『日本国紀』の歴史記述の特徴として、社会問題についての記述が希薄なことが指摘できます。明治時代の最大の公害事件であった「足尾銅山鉱毒事件」に触れられていませんし、労働問題などの説明もほとんど見られません。

13章では、P460P461の「コラム」では、わずか7行で説明されています。

 

「昭和三〇年(一九五五)あたりから、工場排水や産業廃棄物による公害全国で発生し、水俣病やイタイイタイ病といった痛ましい公害病を生んだ。」(P460)

 

と説明されていますが、水俣病もイタイイタイ病も1955年あたりから生まれたものではありません。

水俣病はすでに1940年代からその兆候は始まっていました。1953が発症の第一だとするならば、「昭和三〇年(一九五五)あたり」といえなくもないですが、イタイイタイ病に関しては、1920年から始まっています。

「戦後の日本の急激な経済成長は、一方で大きな副作用を伴った。」と説明しながら、公害病の例を水俣病とイタイイタイ病の二つしかあげられておらず、公害対策基本法を説明しているにもかかわらず、新潟水俣病や四日市ぜんそくを含めた「四大公害病」という表現すら用いていません。

環境庁が2001年より環境省となったという指摘があるのに、公害対策基本法が環境基本法に変わっていることが説明されていません。

百田氏が公害問題を軽く考えているとは思いたくはありませんが、説明が不十分だと思います。

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