アニメーションは現在の日本で唯一、国際的に評価された文化である。たとえば欧米で商業的に成功した日本映画は、宮崎駿のアニメーションだけであるといってもいい。ところが、日本国内では、アニメはもっぱら「おたく」の文化とされ、ほとんど正当に評価、あるいは批評的文脈のなかで位置づけられてこなかった。 『教養としての「まんが・アニメ」』(大塚英志、ササキバラ・ゴウ著、講談社現代新書)は、手塚治虫によって始められた現代マンガが、やがて宮崎駿や富野由悠季、ガイナックスへと引き継がれていく歴史を、ひとつの流れとして把握したもの。宮崎アニメが突然変異として生まれたのではなく、映画の歴史、マンガの歴史、サブカルチャーの歴史を背負ったひとつの必然として生まれたことがよくわかる。 一方、『宮崎駿の「世界」』(切通理作著、ちくま新書)は、宮崎アニメの世界に焦点を絞り、そこに描かれた思想や世界観、歴史観を読み込む。東映動画で「ガリバーの宇宙旅行」などにかかわり、戦後労働運動史に残る東映争議に参加するところから、テレビ用アニメの「未来少年コナン」や「ルパン三世」などの初期作品、そして「風の谷のナウシカ」や、「天空の城ラピュタ」、あるいは「もののけ姫」といった劇場用ヒット作までの宮崎の個人史と作品史を重ね合わせる。 『マンガと「戦争」』(夏目房之介著、講談社現代新書)は漫画家でもある批評家による、マンガを通じて見た日本人の戦争観史である。そこで扱われるのは手塚マンガから宮崎アニメ、そして「新世紀エヴァンゲリオン」までの半世紀である。侵略戦争の果ての敗戦、核兵器の被爆、戦争放棄を謳う憲法など、特異な歴史を背負った日本人が、マンガやアニメのなかにどのような戦争を描いてきたのかが概観される。『ファンタジーの冒険』(小谷真理著、ちくま新書)はアニメを直接に扱ったものではないが、ファンタジー小説が内包する世界と反世界は、アニメーションのそれと重なるだろう。 アカデミズムの研究テーマとしてアニメーションにどのようにアプローチすべきかは、『カルチュラル・スタディーズ入門』『実践カルチュラル・スタディーズ』(ともに上野俊哉、毛利嘉孝著、ちくま新書)が参考になる。文化研究はたんに文化のみを扱うのではなく、それを生みだした社会や時代、人々の感情、あるいは歴史的経緯と文脈への視点が不可欠であることがわかる。また『ロボット21世紀』(瀬名秀明著、文春新書)もアニメーションを主題としたものではないが、ロボット工学の発展がアニメーション的ファンタジーや想像力を原動力としている点が興味深い。 |