STAP細胞のことを覚えているでしょうか?あの事件はぼくには ・専門誌でさえ不誠実なものを載せることがある ・それ以上に先端研究に対する過大な期待がある という印象を残しました。
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縁あって医学論文をいっぱい読むようになり、てきとうな健康情報サイトを調べ回ったりするようにもなって、 ・世界では過剰診断・過剰治療がたいへんな話題になっている ・病気のスティグマ=風評被害もたいへんな話題になっている ・世の中には医学デマがめちゃくちゃ多い ことを知りました。
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こうした問題に対して、ぼくになにができるだろう? 「もっと啓蒙を」と言うのは簡単です。しかし震災やSTAP細胞のことを思い出すかぎり、啓蒙なんてことが可能とは思えなかったし、そもそも問題は情報ではない、不安とか期待とかの説明のつかない感情ではないかと思いました。
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過剰医療、病気のスティグマ、医学デマ、さらに振り返って医者への過大な要求は、ぼくの目にはぜんぶ同じ現象に見えます。つまり「病気は悪であり、死んでも遠ざけなければならない」という価値観の現れです。
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だから「病気は悪くない」と言わないかぎり、医療をめぐるさまざまな問題は解決しないと思います。「みんなが努力して健康になれば社会全体の幸福が増える」という考え方は、病気で困っている人を切り捨てる思考です。社会の富は困っている人のために使うべきではないでしょうか?
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ぼくは多くの人が(みんなじゃなくていいけど)「健康を節約」する世の中になってほしいと思っています。しかしそれはあまりにラジカルだし逆に全体主義の雰囲気もあるので、とりあえず「生活のために健康がある」という線を主張していきたいと思っています。以上です。
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率直に言えば全くの勉強不足です。見解が浅い。その理由は、ひとえに自分の体験のみでしか、医療や健康を敷衍していないからです。健康になる努力をする人は、確かに社会資本が高い。だからといって、社会資本を再配分することが医療によって可能ではありません。原因と結果を取り違えています。
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病気は悪であり、死は遠ざけなければならない、という言説は雑です。また、医療と死に関してはグリーフケアの観点を無視しています。病気が悪である、というテーゼはそもそも時代や国家によって意味が異なります。そこを無視して、繰り返しになりますが、個人の医療倫理を主張するから反発がくるんです
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生活のために健康がある、というのも無理です。そもそも生活と健康とは個人の身体性によって基準が違う。生活と健康は並立するものであり、どちらがどちらのためにある、というロジックは成立しません。
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健康を節約する、というのも論理的に成立しません。そもそも健康の定義は恣意的なものなので、コストとして換算した時に節約するという発想が可能かという疑問がでてきます。下手したら、安楽死もコストの話でしかなくなります。
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ラジカルですらない、そうした発想は 自分の体験で健康観や医療を語る医師が往々にして陥る誤謬です。とにかく、勉強すべきことが山ほどあるし、それをしていない人のありがちな思いつきだなと思いました。
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