「はぁ……」
手にしたカップの中の紅茶はまだ湯気を立てているが、彼女は口にしようとせず切なげな溜息を漏らすばかりだった。
ここはナザリック第九階層にある食堂、種族特性で飲食不要の為普段は訪れることのない珍しい顔が紅茶を前に切なげな吐息を漏らしていた。
「やあシャルティア、珍しいね、君がここにいるのを見たのは初めてかな」
「デミウルゴスでありんすか……」
声を掛け向かいに腰掛けたのは同僚の悪魔である。イメージに全くそぐわないきつねうどんの乗った盆をテーブルに置いている。
「何やら憂鬱そうだけど何かあったのかい?」
「特に、これといって何も……それが憂鬱なんでありんすぇ。ここにはアインズ様がよく仰る気分転換というやつで来てみたんでありんすが……はぁ」
「成程、至高の御方の言葉を実践することは大事だからね、とてもいい事だと思うよ。何もないというのは君の仕事は上手くいっているということだろう? トラブルもなく計画通りに事が運ぶのは喜ばしい事じゃないかね?」
言いながらデミウルゴスはうどんに七味を振り啜り始める。どうやっているのかは分からないが適度に啜っている音はするものの下品な音は決して立たない。うどんの食べ方にまで品があるとは器用な奴でありんす、と呆れ半分に思いながらシャルティアはまた溜息をついた。
「それはそうなんでありんすが……こう、血の滾るような刺激が欲しいとは思いんせん?」
「君の血が滾るのは困るが……そうだね、刺激が足りないというのには同意だよ」
「そう……足りないんでありんす……」
「そうだね……遊びたいね……」
「人間で……」
二人はタイミングを合わせたかのように同時に深い溜息をついた。そう、人間で遊ぶ娯楽がこのナザリックには足りないのである。
それはこのナザリックの至高にして偉大なる支配者、アインズ・ウール・ゴウンの意志による決定なのだから逆らう考えは二人には勿論ない。海よりも深き慈悲の持ち主である彼の支配者は罪なき人間を弄ぶことを固く禁じているのだ。
「デミウルゴスは牧場があるでありんしょう? まっこと羨ましいでありんす」
「ああ、あそこは最高の場所だよ。でも聖王国が魔導国の支配下に入ったら羊を連れて来られなくなるからね、どこから調達するのかを考えなくてはならないよ。近場の法国はアインズ様から手出しを禁じられているし……」
「そうなると……もし魔導国が世界を征服したら、人間で遊べなくなるでありんすか……?」
「魔導国の国民だからね、そうなると思うよ」
デミウルゴスのその答えに、シャルティアはがっくりと肩を落とした。
「アインズ様に宝石箱を献上したくはありんすけど……複雑な思いでありんす……」
「全く同感だよ。君とは、その点とアインズ様が至高の美の持ち主であるという点『”
「……だけ、という部分をやたら強調されたのが気になりんすが……アインズ様の至高の美が分かるとはさすがデミウルゴスでありんす」
丼を持ち上げてスープを飲み干すとデミウルゴスは丼を盆に戻した。
「まあ、君の
「大して違わないでありんしょう、わらわも同じように思っているでありんすよ」
「君の場合は屍体にしか興奮しないんだろう? それに私はあくまで芸術としてアインズ様の玉体が素晴らしいと思っているだけだから君とは意味合いが違うよ」
「あの至高の美に興奮しないなんて不感症でありんすね」
「……君の尺度で測ればそうなるのだろうね。そうあれと創られたのだから君はそう在るのが正しいのだろう。私はアインズ様の至高の美を目にすると感動で心洗われるよ、自分が悪魔である事を忘れそうになる程だ」
「ふぅん……変わっているでありんすねぇ、デミウルゴスは」
一つ息をつくとシャルティアはようやく紅茶に口を付けた。カップには保温の魔法がかかっているので中の紅茶の温度は飲み頃に保たれている。
「それにしても、わらわもデミウルゴスの牧場みたいな所が欲しいでありんす……何か名案はないでありんすか?」
「君はナザリックの輸送を一手に引き受けているんだから、外の仕事は出来ないだろう。それに犯罪者のような遊んでもいい人間を使った実験をする施設を作るにしても、血の狂乱を持っている君に任されるとは思えないね」
「……何だかそれもデミウルゴスの担当になりそうな気がするでありんすね、デミウルゴスばかりずるいでありんすよ」
「それはどうだろうね、私としてはまだまだ余裕があるのだけれども、アインズ様は私に仕事を割り振りすぎだとご心配されている様子だから、他の者をご指名されるのではないかな。しかしそういう施設を作るという案はいいね、早速計画書を作成して提出しよう、人間で試したい事は色々あるから。いいアイディアをありがとうシャルティア」
「どういたしましてでありんす」
盆を持ち席を立ったデミウルゴスにシャルティアはひらひらと手を振ってみせた。食器をカウンターに下げいそいそと食堂を後にする同僚の悪魔の背中を見送って、シャルティアはまた一つ深い溜め息をついた。
「結局わらわは人間で遊べないでありんす……何も解決してないでありんす……」
美しき吸血鬼の乙女の憂鬱は結局紅茶のカップが空になっても晴れなかったのだった。