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Aマッソの発言に相次ぐ批判 背景にあるのは「芸人差別」か

連載「道理で笑える ラリー遠田」

ラリー遠田dot.#ラリー遠田
ワタナベエンターテインメントは大坂選手の所属事務所に謝罪した(C)朝日新聞社

ワタナベエンターテインメントは大坂選手の所属事務所に謝罪した(C)朝日新聞社

所属事務所の公式HPに掲載されたAマッソ・加納の謝罪文(C)朝日新聞社

所属事務所の公式HPに掲載されたAマッソ・加納の謝罪文(C)朝日新聞社

所属事務所の公式HPに掲載されたAマッソ・村上の謝罪文(C)朝日新聞社(C)朝日新聞社

所属事務所の公式HPに掲載されたAマッソ・村上の謝罪文(C)朝日新聞社(C)朝日新聞社

 だから、Aマッソの今回の発言も、彼女たちの内なる差別心の発露ではないと考えるのが自然だ。つまり、これは事件ではなく事故である。差別心から発した本物の差別発言ではなく、無知や誤解からたまたま生じた差別発言なのだ。

「だから彼女たちには罪がない」などと言いたいのではない。もちろん発言自体は問題である。ただ、本来、問題となるべきなのは「差別心」や「差別そのもの」であるはずだ。差別心による発言とそうではないところから出てきた発言は、区別して考える必要がある。

 彼女たちは無知や不勉強・不注意によって問題発言をしてしまった。そのこと自体は反省すべきだが、個人的にはここまで大ごとにするほどの問題であるとは思えない。

 今回のことで私にコメントを求めてきたあるマスメディアの記者からは「今のお笑い界では差別用語をどんどん言っていこうという風潮があるんでしょうか?」と聞かれた。あるわけないだろ、と思った。彼女たちに過剰なバッシングをする人の中には、このように芸人という職業を見下す「芸人差別」の意識がある人がいるのではないか。

 実際、彼女たちに対するネット上の反応を見ていると、明らかに行き過ぎた差別的・暴力的・感情的な表現がしばしば見受けられた。黒人本人や、黒人を家族や友人に持つ者などが感情的になるのはまだ理解できるが、全員がそういう人であるとも思えない。

 私がAマッソの2人をそこまで責める気になれないのは、彼女たちが人一倍言葉に敏感なプロの芸人だからだ。ただ目の前の観客を笑わせたい一心で、芸人はさまざまな創意工夫を試みる。「こういうことを言ったら相手はどう思うだろうか」というようなことを日常的に考え続けているのが芸人という人種だ。

 そんなプロの芸人が限られた人数の観客の前でミスを犯した。もちろん本人たちは反省すべきだし、実際に深く反省しているだろう。そして、二度とそういうことがないように気をつければいい。それだけの話だ。日本中からバッシングを受けなくてはいけないようなことではない。

 ネット上では「絶対悪を叩く正義」が参加コストの安い娯楽になっている。Aマッソは今回たまたまそれに巻き込まれただけだ。しつこいようだが、発言自体を擁護するつもりはない。ただ、彼女たちのことは全力で擁護する。お笑い文化を愛する私にとって、「芸人差別」こそが最も許しがたい差別だからだ。(ラリー遠田)


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ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・ライター、お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)など著書多数。近著は『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)。http://owa-writer.com/

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