バカと虚乳と生徒会
第5話 春のはじまりパッドエンド事件~パッドエンド編~
「……えっ?」
「羊飼!?」
不幸にもナイフの軌道に入ってしまった羊飼。
不覚にも女子生徒の当初の目的が達成された瞬間だった。
胸元からざっくり斬りつけられた
「テメェッ!」
すぐさま左の上段回し蹴りを女子生徒の側頭部に叩きこみ、今度こそ完全に
女子生徒が倒れるのを確認し、急いで羊飼のもとに駆け寄った。
「ぶ、無事か羊飼!?」
「えっ? なに? どうなったの?」
「そんなことは後だ。とりあえず今は胸の傷だ! はやく止血しないと」
「止血? 胸って……胸? えっ、胸!?」
自分の胸元に視線を移した羊飼が慌てて、俺から距離をとろうと後ずさる。
ケガをしたばかりだというのに意外と元気だ。いや、もしかしたら俺に心配をかけまいと無理に元気に振る舞っているのかもしれない。
うん、彼女の天使のような性格なら十分ありえる。
「ちょっ、ちょっと待って!? 待って待って! タイム! い、一回タァァァァァイム? だ、大丈夫、怪我なんてしてないから!」
「そんなヤセ我慢してる場合か!」
俺の代わりにザックリ斬られるところをハッキリ見たんだ。これで落ち着けという方が無理な話だ。
「スットプ、ストォォォォォップ! お願い近寄らないで! 大丈夫、ホントに大丈夫だから!」
「だから大丈夫なわけがねぇだろ!?」
「本当に大丈夫だから! 斬られた本人が大丈夫って言ってるんだから、ここは大丈夫ってことにしとこ! ね、ね? お願い、お願いだからぁぁ!」
斬られた本人が言っているからこそ信用ならないんだろうが!
「いいから傷口をみせろ! せめて応急処置だけでもするぞ!」
「あっ、ダメダメ! ちょっ、待ってストップお願いやめてダメぇぇぇぇぇ――ッッ!!」
ズリズリと胸元を押さえて後ろへ下がろうとする羊飼。
そんな彼女の腕を素早く捕まえ、無理やり胸元から引きはがした。
――ぽろんっ。
と、痛々しく切り裂かれたシャツの胸元がめくれた。それほどまでに深く切り裂いた一撃。
露わになった淡い水色のブラジャーも、今は気にしている余裕はない。
いやむしろ、ブラジャーも切り裂かれていることが、傷の深さを物語っている。
斬られてから大分時間も経っている。もう1分1秒も無駄には出来ない。
「クソっ! このままだと出血で……あれ?」
応急処置に入ろうとして、ふと気がつく。
これだけ深く斬られているのに……出血がない?
俺が首を傾げると同時に、
――ボトリッ。
と羊飼のおっぱいが落ちた。
「…………」
「…………」
コロコロ、ポテン、と地面に転げ落ちる羊飼のおっぱい。
俺たちは二人して足下に落ちたおっぱいを眺め――って、えっ!?
「お、おおお、おっぱいが!?」
「あっ、あっ、あっ、あっ、あぁぁぁぁぁ―――ッッ!?」
「おっぱいが斬り落とされ!? ……うん? あれこれ、もしかして……」
一瞬「おっぱいが斬り落とされた!?」と思ってしまったが、そうじゃない。
ブラが割れてこぼれ落ちたのは、おっぱいではなく布製の何か。角の丸い三角形の何かだ。
俺はこれをよく知っている。昔、忍者ごっこといって姉貴のブラジャーの底からこっそり拝借して、手裏剣代わりにして遊んでいたこと。結局バレて大目玉をくらったことなど、淡い子どもの頃の記憶が蘇ってきた。
悩める女の子の強い味方で、女子力を底上げする秘密兵器。
そう、君の名は――
「――パッド……?」
「~~~~~ッッ!」
ピキッ、と彼女の時が止まった瞬間だった。
俺は微動だにしない彼女を気にする余裕もなく、しげしげと羊飼の胸元を観察してしまった。
ふむ……どうやら胸に仕込んでいたのは布製のパッドだけではないらしい。その証拠に、切り裂かれたブラジャーの下、露わになった胸にはシリコン製のブラジャーによって盛られている。
「……なるほど。あの巨乳は実は
つまりナイフの刃が切り裂いたのは羊飼の虚乳の方で、実乳の方には届いていなかった。むしろパッドが犠牲になったおかげで一命を取り留めたのだ。
よかった、とりあえず無事が確認出来てよかった。
「い、いやぁ~、羊飼が無事で本当によかった。うん、よかった、よかった!」
「――――ッ」
「ふぅ……さて、と」
何はともあれ、まずは目を見開き硬直している彼女をどうにかしないとな。
いや……マジでどうしようコレ?
この乙女の秘密はおそらく同性であろうと知ってはいけない
ど、どどど、どうすればいいんだ!? 分からない! こんなときどんな顔をすればいいんだ!?
とりあえず笑ってこの場を誤魔化すか?
一応脳内でシュミレーションしてみる。
『……ぷっ(笑)』
アカン、これじゃ挑発だ!
そ、そうか! 笑顔だけじゃダメなんだ。せめて何か言葉を付け加えれば。
『ご苦労さまでぇーす(笑)』
やっぱり無理だ、いっそ全てを放り出して逃げ出してみるか?
いやダメだ、同じクラスなんだから結局は明日顔を合わせることになし、何よりも逃げ続けるのにも限界がある。
それにこういうのは時間が経つほど気まずくなるって言うし、対処するなら今しかない。
俺は覚悟を決めて、顔を真っ赤にして今にも泣き出しそうな羊飼に向かって口を開いた。
「あぅ、あぅ、ぁっ、ぁっ、ぁっ……」
「ま、待って、泣かないでくれ! 一旦落ち着こうか?」
「落ち着こうって、アンタ、この状況で、そんなっ!」
「わ、悪かった。羊飼がケガをしたと思ってつい慌てて……か、勘違いだったんだな」
「最初からそう言ってるじゃない! なのに、なのに! それなのに! 無理やり力づくでひん剥いて!」
あ、荒ぶっておられる。言葉づかいもいつもの柔らかい物言いと違い、なんだか妙にトゲトゲしいような気がする。
「な、なんで……なんでこんな辱めをぉぉぉぉぉ――ッッ!!」
「い、いやだって、パッドのおかげで助かったなんて想像できなかったからさ」
「……(ビキッ)」
今にして思う……何故このときの俺は彼女のこめかみに浮かんだ血管を見逃したのか。もしそれを見つけることが出来たなら、きっとあんな最悪な結末は回避できたかもしれないのに。
だがこのときの俺は、デリカシーという存在を父親の睾丸の中にでも置き忘れてきたのか、ついお散歩気分で竜の逆鱗に触れてしまった。
「まあでも、パッドのおかげでケガせずにすんだんだから、感謝すべきかもしれないな。いやほんと、胸が偽物で良かった!」
「――ッ(ブチン)」
「う、うん? 『ぶちん』……?」
「ふふ……ふふふふふっ」
気がつくと、羊飼の纏っているオーラが変わっていた。
いつもの優しげな雰囲気とは一転、触れれば斬るといわんばかりの鋭い怒気を孕んだ声音に、一瞬で肝が冷える。
「言うにことかいて『パッドのおかげで助かった』? 『胸が偽物でよかった』ですってぇ? バカにして……バカにして……」
「あ、あの……? 羊飼、さん?」
「――ッ!? うがぁぁぁぁぁぁ~~~~~~ッッ!!」
「う、うおっ!? ちょっ、羊飼!?」
謎の奇声をあげながら、両手足を俺に向かって威嚇するように大きく開いてジャンプ。そのまま猿のような身のこなしで俺に襲い掛かってきた。
「誰が! 誰の胸が
「言ってねぇ! そんなこと一言も言ってねぇよ!」
火事場の馬鹿力なのか、それとももともと持っている筋力なのかは分からないが、がっぷり四つんばいになり睨みあう俺たち。
現役男子高校生を腕力で圧倒する女……確実に女を辞めているとしか思えない。
というか、目の前で「ふごぉぉぉ――ッ!」と乙女らしからぬ声を上げている女が、あの学園のアイドルである羊飼と同一人物なはずがない。というか思いたくない。
「お、落ちつけ羊飼! 今はこんなことをしてる場合じゃ」
「うるせぇぇぇぇぇぇっ!」
聞く耳持たず、か。
俺の中でどんどん羊飼のイメージが、あの清楚で儚い美少女のイメージが崩れ去っていく。
真実はいつも一つ、とどこかの名探偵が言っていたが、こんな真実なら知りたくなかった。
真実は残酷であり、嘘は優しさなのだと知った十七の夜。
「んがぁぁぁぁぁぁぁぁ――ッッ!?」
『こっちから女の叫び声が聞こえてくるぞ?』
『もしかして、さっきのナイフをもった女じゃないか?』
ま、マズイ! 向こうの林の方から男の声がする、おそらく警官だろう。
こんな場を見られたら、まず間違いなく勘違いされてしまう。
こうなったら、一か八かだ!
「お、落ちつけ羊飼。そんなに叫んだら誰か来て――あっ」
「えっ、な、なに?」
俺の会心の演技に騙されて、誰も居ない後ろを振り返る。その瞬間、微妙に俺の腰を掴んでいる手の力が緩んだ。
この瞬間を好機と捉えた俺は、持てる力の全てを脚力に捧げ、脱兎の如く夜の雑木林の中を駆けだした。
「なによ、誰もいな――きゃっ!? あっ、こら! 逃げるなぁぁぁぁぁぁっ!」
バックを拾い上げ、脇目も振らずに全力疾走。俺の足よ、今だけ羽より軽くなれ!
羊飼の声が背後で小さくなっていくのを聞きながら、祈るような気持ちで今日という日をなかったことにしてくれと神様にお願いした。
そうだ忘れよう。家に帰って、ごはんを食べて、温かいお風呂に入って、寝れば今日の出来事なんて簡単に忘れられるはずだ。
そうだ、はやく布団に入って寝よう。布団に入って忘れるべきことはさっさと忘れよう。
今日はキリの良いところまでえげていきます!