響くもの | 世界はあたしのお庭なの

響くもの

テーマ:My life

あたしは音楽を聴くのは好き。

幼稚園頃からそうで、ジュリーとかよく聴いてた。
あたしの中では、ジュリーはめちゃめちゃロックだった♪

小学校の高学年になって母から洋楽を教えてもらい、そこで洋ロックを知った。
その時の衝撃たるや…!!!
こんなに腹の底に響く音楽があるのか!!!
わたくしソッコー虜になりました。ハイ。



このミュージックビデオ。
曲はとても好みんだけど、アニメーションがとてもおぞましくて(笑)
でもあたしの中のロックのイメージって、社会のはみ出し者、スレてる、汚い、飾りっ気がない、横暴、ろくでなし、女癖は悪いけどいつも本気、重たい、心に影がある、実は繊細で弱いところがある、常識をぶっ壊す、そしてカッコイイ!って感じで。
これは洋楽ロックを聴き始めた小学生の頃から感じてた。
言葉にしたことは無かったけど、今思うとそう。
ロックは、歌う人の生き様がなんの覆いも被らず出ている様に思えた。
当時のあたしにはそれが凄くカッコよく見えたよ。

高校の頃までは、見た目や雰囲気に惹かれる事もあったけど、一番心にズン!とくるのはいつもそういうものじゃなかった。
心臓をえぐるくらいの衝撃と、腹を打ち付けてくる低音だった。
歌詞は分からなかったけど、そんなものはどうでも良くて、曲から広がり続けるイメージがあたしにいつも元気をくれた。
だから映像なんていらなかったし、曲名を知らなくても気にならなかったし、歌ってる人すら割とどうでもよかった。
体の隅々まで、心の隅々まで響き渡る曲さえあれば、あとは自分の中に広がっていく曲のイメージだけで、その日を楽しく過ごすパワーが生まれた。
ロックは最高だったよ。
今のロックはちょっと(かなり?)物足りないけどね。

あんなにロックに惹かれたのは、メロディーが好みだったとかそんなのもあるけど、作り手の飾らなさもあったんだよね。
社会的に批判されていて、あちらの親は我が子に聴かせなくないって人もいたぐらいで。
アルバムのジャケットは、いやらしいのとかもあったしさ。
だけどそのどれもが、自分の中にある欲求や衝動、感情をそのまんま現してる感じがして、作り手の生き方と重なってる様にも思えた。
生き方も曲も同じだな!って。
ギターやベース、ドラムは勿論、ボーカルの歌い方もそのまんまだな!って。
正に心、技、体が一つになってる感じだよ。

社会のはみ出し者みたいな目で見られてたりもした彼らが、常識的に生きている人達が出来ていないことをその生き様で魅せていた。
時々見るミュージックビデオには、そんな彼らの姿があった。
決して綺麗なものじゃなかったよ。
欲望感情丸出し!みたいなものだった。

他にはマドンナが好きだったね。
彼女の曲はロックとは全く違うけれど惹かれた。
社会を見下してるような、小馬鹿にして私が上なのよ!と言っているような風に感じてしまう曲が、ロックと似てた。
マドンナには美しさや綺麗さ、セクシーがあって、ロックの人達とは全く違う見栄えだし、曲調も可愛らしいものも多くあったのだけど、根っ子にあるものはロックと同じもので、その綺麗さ、美しさ、セクシーさで世間を見下してるかのようにも見えた。
生き方もロックの人達と通じるものを感じてた。

ロックをやってた人達もマドンナも、実際はどんな人間かは分からないけど、少なくとも当時のあたしはそんな風に感じてた。

年を取るにつれて、そういった感覚は薄れて、心にマッチする曲調のものならいいって感じになった。
歌い手が誰か知らなくても本当によくなったし、曲の題名なんて全く覚えなくなった。
歌詞は時々読んだものの、やっぱりそれほど重要ではなかった。

邦楽も聴かなかったわけじゃない。
好きなものは普通に聴いてたよ。
だけど邦楽はどうしても歌詞が聞き取れてしまうから。
その時の自分と何処か重なってしまうような歌詞は、その時その時の情景や心情と共に記憶に残ってしまう。あたしはそれが嫌いで。
そうなってしまうことは悪いことってわけじゃないんだけど、特に自分の恋愛が重なるようなものは、あたしは嫌なんだよね。
たとえ離れても良い思い出に出来たものなら良いけどさ。
2人で一緒に聴いたものとか、その時に流行ってたものとかは、思い出したくもないような終わり方をしてたら、聴いただけで思い出してしまって、うぇぇっ!ってなるじゃない。
それが嫌なの。
歌詞があると、言葉一つ一つが一緒にいた時の風景と重なって、リアルに蘇ってくるしさ。

勝博とも同じ曲を聴いてた時があったし、あたしが落ち込んでいた時に聴いてみてと言われた曲もあった。
ただの曲でしかないのに、それらの曲を聴いてしまうと、彼があたしに言ったあれこれが蘇ってしまうんだよね。
それが凄く嫌なんだよ。
最後まで自分を貫いた人だったなら、離れようが何だろうが、大した奴だなぁ!と思えて、その頃に身近にあった曲も思い出の一品になる。
歌詞の言葉一つ一つもね。
だけど彼は、言葉は沢山贈ってくれたけど、心と決意と行動が全く一致していなかったから。
統一性なさすぎ。

洋楽ロックの人達は、曲と生き方と表し方は重なっていて、太い一本の大木のようだった。
決して綺麗ではなかったし、どうしようもない感じではあったけど、いつも本気で体当たりしているように見えた。
勝博は全く違う。
始めこそ言葉では突っ張ってるようなことを言って、反社会的なところを強く出していたけど、貫けたものは一つも無かった。
まるで縮れた草のようだったよ。


曲の歌詞でなくても、人は日々言葉を吐き出して生きている。
ネットでは言葉が氾濫している。
だけどその吐き出した言葉と表し方、言葉を吐いた本人が実際に出来ているものは一つになっていない。
言葉や表現、見栄えばかりが先走って、精神も行動も全くついて行っていない。
だけどそれを分かっている人間は少ない。

あなたの全てを包むよと言葉にしたなら、その「あなた」が本当に包まれてる気になっていないといけない。
アイツは最低だと言葉にしたなら、自分自身が最低な人間になっていないかしっかり確かめて、そうでない人間になってなきゃ相手と変わらない。
君を愛してると言葉にしたなら、相手自身がそれは紛れもなく「愛」だと心と体で感じ、頭で認めてなきゃただの自己満足でしかない。

言ったことを守れと言うんじゃない。
約束を果たせと言っているのでもない。
絶対変わらないたった一つを自分の根っこに置き、それを絶対に揺るがすことなく、捨てることなく貫けって言ってるんだ。
そういうものがないと、自分が危機に陥った時、必ず自分の全てが壊れる。
誰の力も借りられず、逃げ場もなく追い詰められてしまった時、自分の中に残っているものが…「本質」なの。

皆が見ている公の場で、追い詰められて行き場を失った自分が、心で感じ、決断して、自分の身一つで表せるものは一体何だ?
確実に表せるもの…それが本当の自分なんだよ。