大野雄がプロ野球を志したのは、身近な先輩の歩いた道があったからだ。
「赤松さんが阪神に入られたのは僕が高校のときですが、すごい選手だったというのは部活の顧問からも聞いていたんです。軟式野球部からでもプロへ行ける。僕にとってそれはものすごい励みでしたから」
千本鳥居で有名な伏見稲荷にほど近い京都市立藤森中。大野雄の在学中は学年11クラス、全校生徒1300人超というマンモス校だった。6学年上が広島・赤松と倖田來未(野球部だった)。さらにサッカー元日本代表の松井大輔やブラックマヨネーズの吉田敬と、多士済々の卒業生がいる。
赤松の後を追うように、6年後にプロ入り。すでに先輩は広島へ移籍していた。「初めてお目にかかったときも、僕のことを後輩やと知ってくれていたんです。いつも笑顔で迎えていただけました」。そんな明るい赤松の胃がんが発覚したのは2016年オフ。摘出手術を受け、2軍戦に戻ってきたのが昨季のことだった。
「僕も2軍にいることが多かったから、球場で会うわけですよ。赤松さんはいつもと変わらない笑顔で『おまえ、もっとやれるやろ。頑張れよ』って。引退会見でも『生きているだけでいいんだ』とおっしゃっていましたが、本当にその通り。野球の悩みなんて、小さなことだと気付かせてくれたんです」
当初は大野雄が先発する22日が引退試合の予定だった。通算7打数1安打に抑えている「オナチュー対決」が5年ぶりに実現するはずだったが、雨に流された。
「楽しみにしていたんですが。僕が赤松さんに勇気をもらったように、今度は僕が後輩にとって、そういう存在になりたいです。もちろん、赤松さんにも頑張っている姿を見てもらいたいですし」。赤松は闘志の炎を最後まで燃やした。大野雄の後ろ姿も、どこかで誰かが見つめている。