【こかじ さら】大停電の千葉で私を襲った、老親世代との「想像を絶するトラブル」 館山市に暮らす作家の「私的体験報告」

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9月9日未明、千葉市に上陸し、千葉県内に甚大な被害をもたらした台風15号。上陸直後には県内ほぼ全域の約90万戸が停電し、暴風により多くの住宅が損壊した。停電が2週間続いた地域も多く、台風が去って20日が経った現在でも復旧していない地域もある。

そんな被災地・千葉のなかでも、特に被害が大きかった県南部の館山市に暮らす作家のこかじさらさん。彼女自身は幸運にもほとんど被害に遭うことはなかったが、まったく想定していなかったトラブルの連続に、精神的にすり減っていく20日間だったという。

屋根が丸ごと飛ばされた家

9月9日(月)台風15号による大停電1日目

午前1時過ぎ、台風15号が上陸したと思われる時刻、千葉県館山市は、かつて経験したことがないほどの暴風雨に見舞われていた。

私は、高齢の両親(父89歳、母87歳)と同居している館山市内の自宅で、不安な夜を過ごしていた。突然、バリバリという音がしたと思ったら、室内の常夜灯がプツリと消えた。そっとカーテンを開け外の様子を窺うものの、街灯が消えた漆黒の闇の中を打ちつける雨の音に恐怖を感じ、急いで窓から離れた。そして、一睡もできないまま一日千秋の思いで夜が明けるのを待った。

午前5時30分、辺りが薄明るくなってきたのを確かめると、小雨が降る中、着替えて外に飛び出した。幸いなことに、我が家はアンテナが少し傾いている以外の被害はなかったが、隣近所を見渡すと、雨戸が外れ、窓ガラスが粉々になった家や二階の屋根が丸ごと飛ばされた家がある。道路に飛び散った屋根瓦や折れた木々を片付けている人たちの姿が、すでにあちらこちらに見受けられた。

屋根が丸ごと吹き飛ばされてしまった知人宅

「すごい風でしたね。家が吹き飛ばされるかと思いましたよ」

お隣さんとこんな会話を交わしていると、同じ市内の長須賀地区に住む兄から携帯に電話が入った。

「どこからか飛んできたトタン屋根がぶつかって瓦が落ちた。雨漏りがしている。電話回線が切断されて固定電話が使えない」

だがしかし、このときはまだ、千葉県を中心とした至る所で相当の被害が発生し、90万戸が停電しているとは夢にも思っていなかった。

その後の千葉県内の大停電と復旧に要した時間。被災状況の把握に手間取っていることなどは報道されている通りなので、ここではあえて触れないことにする。

あくまでも、台風15号とその後の大停電に見舞われた土地に住む一人として、極めて個人的な、ある種どうでもいいような家族間バトル、しかし切実で避けられない現実を超ミクロな視点で綴っていきたいと思う。

コンビニは閉まり、信号も消えた

午前11時、屋根瓦が落ちたという兄夫婦宅に自転車で向かうと、その時点で我が家の近辺では唯一営業しているガソリンスタンドに並ぶ車で県道には大渋滞が発生しており、自分の住む地域だけが奇跡的に電気が通っていることが判明する。

停電中の兄夫婦宅で、雨漏りがしている部屋から別の部屋に家具を移動し、押し入れの中にある布団類を一時的に我が家に避難させるための袋詰めを開始。作業中に、近所の人から、館山市役所や総合病院を含めた市内のほとんどの地域が停電中だという情報を得る。スーパーマーケットもコンビニもすべて休業していて、信号機も消えたままだという。屋根の修理を依頼すべく、兄が大工の棟梁に何度か電話を掛けるが当然のごとく繋がらない。

午後12時半、兄夫婦宅での作業を終え、自宅へ戻る。

それでもまだ、この時点では、今日中には電気も復旧するだろうと、暢気に構えていた。

だかしかし、現実は甘くなかった。倒壊したガソリンスタンド、ショーウインドウが粉々になったドラッグストア、潰れた神社のお社、道を塞いでいる何本もの倒れた電柱など、生々しい被害の状況がSNS上にアップされはじめると、居ても立ってもいられず再び自転車で家を飛び出した。

親戚や友人宅の被害状況を確かめるために館山市内を走り回ると、やはり我が家の周辺以外はどこも停電。多くの家の屋根瓦が落ち、ガラスが割れ、ガレージに置かれていた車は見るも無惨な姿で潰れていた。

館山市内海岸通りにある不動産店。店の前部分が吹き飛ばされている

午後3時過ぎ、一旦家へ戻ると、幸運にも早々に電気が復旧した我が家の冷房が効いた茶の間で、テレビをのんびり観ていた父(89歳)が、開口一番、「NHKの映りが悪いから電気屋へ電話しろ。これじゃ相撲が観られないだろ」と宣った。

「だから、今それ重要じゃないでしょ。館山市中が停電なんだよ。病院だって死ぬか生きるかの状態でがんばってるんだよ」

状況を説明するが、高齢の父は、「相撲が観られない」と繰り返す。

「勘弁してくださいよ」とは言えず、ムンクの「叫び」のような顔で、私は思わず天を仰いだ。

午後7時、停電が続いている地域に住む兄夫婦と叔母一家が避難してきた。高温多湿な自宅で1日を過ごした高齢の叔母は熱中症気味で足下もおぼつかない。義姉は、実家(館山市の南部に位置する布良〈めら〉地区)で一人暮らしをしている父親(87歳)と連絡がつかないことを気に病んでいた。

ただ一方で、

「いくらなんでも、明日には復旧するだろう」

誰もがそう思ってもいた。

状況をまったく理解してくれない…

9月10日(火)大停電2日目

午前7時、朝イチで自宅に戻った兄から、「まだ電気が復旧していない、大工の棟梁とも連絡が取れない、親類から携帯への着信はあるのだが、折り返すと繋がらない」と、フェイスブックのDMを通して報告を受ける。

私が考えている以上に深刻な事態に陥っているのかもしれない。

そう思った矢先、トイレから出てきた父が、

「ウォシュレットの水の出が悪いから業者に電話しろ」

ズボンを上げながら、いつものごとく命令口調で宣った。

「だからそれ、今、どうでもいいでしょ」と、言い返す気にもならなかった。

午前11時、市内の大型スーパーが1軒だけ再開したらしいとの情報をSNSで得るが、広大な駐車場はすでに満車でレジ待ちは1時間半を越えているという。

ならばと、古くからある個人営業の八百屋へ向かうと、新鮮な野菜や果物が店先に並んでいた。バナナやブドウ、トマトやキュウリなど、調理をせずに食べられるモノを購入し、自転車を飛ばして兄夫婦宅と親類宅へ届ける。

自宅へ戻ると、玄関先で父が仁王立ちになっている。

「相撲がはじまる時間までにテレビは直るのか」

千葉県民が置かれている状況を、昨日、あんなに説明したにもかかわらず、なおも父は繰り返す。

「だから、今はそれどころじゃないの。電気が通っているだけでもありがたいんだから」

やんわりとたしなめると、

「口答えしてる暇があったら、とっとと電気屋へ電話しろ」と激高する始末。

ここ数年、自分の目の前で起こっていること、自分に関わることしか考えられない傾向が強くなってはいたが、ここまでとは……。苛立ちが募っていった。

午後7時、電気が復旧していないため、兄夫婦と叔母一家は今夜も我が家へ避難してきた。

あり合わせの材料で作った夕食をとっていると、車で20分ほどの鋸南町に住む知人がやって来た。

「すみません。子どもが熱を出したんで、アイスノンか氷があったら分けていただけませんか」

困ったときはお互い様。冷蔵庫にあるだけの氷を袋に詰めて、手渡した。

「ここに来るまで、信号も街灯も消えていて真っ暗だった」という知人を、「気をつけて」と送り出す。

この時点で、義理の姉は実家の父親とまだ連絡がとれていない。

被災した家から動かない義姉の父

9月11日(水)大停電3日目

午前8時、洗濯をしつつテレビの情報番組をボーッと観ていると、館山市の被害を伝える映像に、屋根が丸ごと飛ばされ途方に暮れている男性の姿が映った。

えっ……? その男性は高校の同級生だった。

放っておくわけにはいかない。ポカリスエットと昨日の夕方スーパーで手に入れた菓子パンと、ティッシュとトイレットペーパーを持って、自転車で家を飛び出した。

「テレビ観てたら、突然、鈴木君(仮名)のウチが映ったからびっくりして」
「テレビって、俺が?」

当の本人はもちろんテレビなど観ていない。そもそも停電中だ。

「インタビューに答えてたし、名前も出てたよ」
「そういえば、昨日、話を聞かせてほしいって来たかも」
「カメラ回ってたでしょ」
「そうだったかな」

当の本人は、心ここにあらず。

帰り際、「無理しないでよ。また来るから」と伝えると、

「テレビで被災地の様子とか観てたときは、他人事だと思ってたけど。まさか自分の家がこんな目に遭うとはなあ」

彼は苦笑を漏らしながらボソッとつぶやいた。

午前10時、兄夫婦が住む地域の電気が復旧した。棟梁と連絡は取れたものの、屋根の勾配が急なため、足場を組まないとプロでもブルーシートを張るのはむずかしく、現段階で足場を組める職人の手配ができるかどうかわからないとのこと。週間天気予報をチェックしつつ、万が一の雨に備えて、室内(畳の上)にブルーシートを敷き詰める作業を手伝う。

午後12時半、状況がつかめないまま、おにぎりと飲み物を持って、布良の実家へ父親の様子を見に行った義姉が落ち込んで帰ってきた。布良地区の被害は想像以上に酷く、実家も屋根瓦が飛び、素人の手には負えない状況だったという。

さらには、その地区は電気復旧の目処が立っていない。義姉は電気が復旧するまでの間、兄夫婦宅に身を寄せるように説得を試みたが、「いや、俺はここにいる」の一点張りで耳を貸さないとのこと。

「でも、いつ電気がつくかわからないんだよ。ご飯やお風呂はどうするの? 電話も通じないし、何かあったらどうするの」
「大丈夫だって言ってるだろ」
「大丈夫じゃないでしょ」
「年寄り扱いするな」
「十分年寄りでしょ」

そんなやり取りを繰り返すも、テコでも動かない父親を残して帰ってきたのだと、義姉は大きくひとつため息をついた。

義姉の父が住む布良地区の様子

午後2時過ぎ、館山市北部の船形地区に住む従兄弟が、小学5年生(市内の小中学校は休校中)の娘と一緒に電気炊飯器を抱えてやって来た。

「ご飯、炊かせて。それから携帯の充電も」

お風呂が沸かせないため、水を浴びて凌いでいるとのこと。

「明日も電気が復旧しなかったら、洗濯物持ってくるね」と言い残して帰っていった。

午後5時、兄夫婦宅へ様子を見に行くと、足場を組む職人の手配がつき、明日の朝イチで作業に入るとのこと。さらには、ブルーシート張りも、明後日には取りかかれる目処がついたとのことで、何とか週末の雨には間に合いそうだ。ほっと安堵の胸をなで下ろした。

屋根のブルーシート張りに備えて、土嚢作り

9月12日(木)大停電4日目

午前7時、朝食を取っていると、「このヨーグルト、おいしくない」。母が宣った。

市内のスーパーマーケットは順次再開しはじめたとは言え、店頭に並ぶ乳製品や肉や魚などは、量も種類も限られている。やっとの思いをして買ってきたのに、そう来ますか。ドッと疲れが押し寄せてきた。

午前9時、兄夫婦宅のブルーシート張りに備えて、館山市から支給された土嚢袋に砂を詰める作業開始。兄と二人で館山海岸に向かい、砂を詰めていると、「一緒にいいですか?」と、50代と思われる女性が軽自動車を運転して一人でやって来た。

「もちろんです。どちらにお住まいですか? 電気は復旧しましたか?」

なんて話をしながら、せっせせっせと砂を詰めていく。

「こういう作業を一人でやったら悲しくなりますよね」
「そうですよ。おしゃべりしながらやらないと気が滅入りますよ」
「ウチは高齢の両親との三人暮らしなんで、動けるのは私だけなんで」

屋根のブルーシートを押さえるのにどのくらいの土嚢が必要かもわからないまま、2軒分約40個の土嚢を作り、兄の車と女性の車に積み込んで、ひとまず終了。

午後3時半過ぎ、川崎に住む従兄弟が救援物資を車に積んでやって来た。

川崎から館山までは、アクアラインと館山道を使えば、1時間20分ほどで到着する。
暇を持て余していた両親は、久しぶりにやって来た甥っ子の顔を見て大喜びだ。

「おー、上がってビールでも飲んでいけよ」とまで言い出す始末。

「今は、そういう場合じゃないし、そもそも車だし」---心の中で突っ込んでいると、

「叔父さんと叔母さん、だいぶ老け込んだね」

従兄弟が目配せしながら耳元でつぶやいた。

この時点で、館山市の中心部はほぼ電気が復旧。スーパーマーケットもガソリンスタンドも続々と再開。普通の生活を取り戻しているかのように思われたが、義理姉の実家がある布良地区は未だ復旧の目処すら立っておらず、電話も繋がらない状態が続いていた。

日頃から煮炊きができない父親の元へ、義理姉は作り置きできるおかずを届け、電子レンジでチンして食べてもらっていた。だが、現状その電子レンジも冷蔵庫も使えない。しかも、倒木や崖崩れ、信号機の停電など、悪条件が重なり布良まではいつもより時間がかかる。

「ウチに来てくれれば手間が省けるのに、ホント頑固で、俺はどこへも行かないって言い張るんだから」

午後5時過ぎ、眉間にしわを寄せながら義姉がお弁当を携えて出掛けていった。

「電気復旧延期」のニュースに絶望

9月13日(金)大停電5日目

いくらなんでも、今週中には全ての地区で電気も復旧するだろう。誰もがそう思っていた。しかし、東電からの「復旧は、場所によってあと2週間を要する」との発表に、そんな期待も呆気なく砕け散る。

千葉県内の被災地に住むすべての人がガクンと肩を落とし、張り詰めていた気持ちがプツンと切れたのではないだろうか。

しかも、今週末は雨の予報。業者の手配がつかない人たちは、待ちきれずに自ら屋根に登り、落下する事故が急増していた。地域の拠点病院は、SNSを通じて「これ以上ケガ人を増やさないためにも、素人は屋根に上らないように」と、連日呼びかけている。

はしごを使って、屋根のアンテナを修理する男性

「土嚢が足りなくなりそうだから」

兄からのSOSで再び館山海岸へ向かい、せっせせっせと砂を土嚢袋に詰めていると、青森ナンバーの電気工事車両が列を成して海岸通りを南の方角に走り去っていった。

まさか、こんなことになろうとは。まさか、こんなにも停電が長引くとは。

この週末、大雨にならないことを祈りながら自宅に戻ると、「エアコンが壊れたから電気屋に電話しろ」。父が宣った。

またですか……。見ると、なぜだかコンセントが抜かれている。

「これじゃ、動かないでしょ」
「止まったから、抜いたんだろ」
「つけっぱなしにしてると、自動的に節電機能やお掃除モードに切り替わるの。だから、そのままにしておけば、また涼しくなるから」

いくら説明しても、「壊れた。壊れた」と言い張って、聞く耳を持たない。

「だから、何度も言ってるでしょ。リモコンの『冷房』と『切る』のボタン以外は触らないでって」

大停電という緊急事態の下、我が家では、こうした笑い話にもならないようなバトルが、高齢の両親との間で連日絶え間なく続いていたのだった。

「保険? そんなもん入ってないよ」

9月15日(日)大停電7日目

願いも空しく朝から大雨、ブルーシート張りが間に合わなかった家も多く、復旧が遅遅として進まない状況に業を煮やしつつ、街全体がどんよりとした空気に包まれていた。

義姉の実家がある布良地区は未だ停電中。幾度となく繰り返された説得にも応じることなく、彼女の父親は電気の通らない自宅に留まり続けている。

「何を言っても聞かないし、本人の好きなようにすればいいのよ」

もはや諦めムードだ。ただ、そうは言っても、屋根の修繕など放っておくわけにもいかず、「保険の証書、わかるようにしといてね」と確認すると、

「どこに仕舞ったかわかんねえよ」

思わぬ答えが返ってきたという。どういうこと……? 義理姉と父親とのバトルも第2段階へと進んでいた。

もしかして、あの家も……。嫌な予感がしたので、自宅近くに住む80代後半の叔父夫婦の家へ行き、「今回はたまたま被害を免れたけど、いつ何時、何が起こるかわからないんだから、保険とかわかるところにまとめておいた方がいいよ」と伝える。

「保険? そんなもん入ってないよ」

どこかで予想していた返事が返ってきた。

子どものいない年金暮らし。何かあったとき、どうするつもりなのだろう。これ以上突っ込むと気が滅入りそうだったので、それ以上は何も言わず叔父宅を後にして自宅に戻ると、耳が遠くなってきているため、常に驚くほどの大音量でテレビを観ている両親の会話が茶の間から聞えてきた。

「この雨じゃ、ブルーシート張りが間に合わなかった家はたいへんだろうね」
「今の若いもんは講釈ばっかり言って身体を動かさないからこういうことになるんだ」
「ホントそうだよね。私らが若い頃は、こんな風になる前にとっととやったもんだよ」
「ウチの子どもたちも口ばっかりで役に立たないんだから困ったもんだ」

役に立たなくてすいませんね。声を出さずに突っ込むと、二階にある自室に向かって階段を一気に駆け上がった。

お隣からの電話に面食らう

9月16日(火)大停電9日目

午後6時、スーパーへ買い出しに出掛けると、「お宅は大丈夫だった?」と、知人に声を掛けられる。

「おかげさまで、ウチは……。お宅は?」
「ウチも大丈夫なんだけど。富浦の実家がさあ」

何かを話したくてウズウズしている様子だ。

「ご実家、たいへんなの?」

聞いてしまったが最後、「そうなのよ。屋根瓦が半分くらい落ちちゃったんだけど、古い瓦だから今はもう作ってないらしくて。ブルーシートだって、ウチの父親、免許証を返納しちゃってるから、私が市役所にもらいにいって。届けても、当然って顔しててさ」と、一気呵成に話しはじめた。

「しかも、聞いてよ。保険に入ってないとか言いだして」

どこかで聞いたような話だ。

「だからといって、ウチだって引き取れないわよ。舅と姑が健在なんだからさ。しかも、ウチの両親えらく頑固で、私や妹の話を一切聞かないんだもん。前から、家の中にわけのわからないモノをたくさん溜め込んであるから、断捨離してって頼んでたのに、まだ使えるとか言って捨てなくてさ。結局、今回、雨漏りでビショビショになって、腰が痛いから動かせないとか言うから、私と妹で運び出して。この1週間、停電以上に親とのバトルでもうクタクタよ」

「そうなんだ、それはたいへんだったね。じゃあ、また」

もっと話したそうな彼女を残して、そっとその場を離れた。

バトルが繰り返されていたのは家族間だけではない。

今回の台風で、市原にあるゴルフ練習場の鉄骨がネットごと倒壊し、複数の近隣住宅を直撃した事例を情報番組が取り上げ、天災なので保障の義務はないというようなことを放送しはじめた直後に、友人から聞いた話だ。

彼女の家では、お隣の屋根が飛んできてガレージが潰れ、自動車のフロントガラスが割れて、ボンネットがへこんでしまったという。

そこへ、お隣から電話がかかってきた。

「テレビでも言ってたように、ウチは、法的にも保障しなくていいそうですから」

友人は、突然そう言われて面食らったとこぼしていた。

「しかも、自動車保険入ってますよね」とまで言われたそうだ。

「別に、こういう災害の場合お互いさまなんだから、端っから損害賠償請求しようなんて思ってないのに、そういうこと言う? しかも、ご近所同士で、ときどき家庭菜園で作ったトマトやキュウリお裾分けしてたのに。ガレージや自動車が潰れたことより、そっちに腹が立って、昨日は眠れなかったわよ」

友人は怒りを収められずにいた。

超高齢化社会の災害対策

9月22日(日)館山市内はほぼ電気が復旧

これから、日本社会が加速度的に高齢化していくのは既定事実だ。

20年後、30年後、自分自身が後期高齢者になったとき、多くの地方都市は高齢者の占める割合が大きくなり、地方自治体も今以上の財政難に喘いでいることが予想される。復旧に携わることができる年齢の人たちも今後益々減り続けていくことだろう。

さて、そのときどうするのか?

我が事として身に詰まされた今回の台風による被害と大停電。行政の手が差し伸べられないことを前提として、今から備えておくべきことは数知れず。優先順位の上位に来るのは、お金か、体力か、はたまたネットワークか……。

あれこれ考えながら夕食の支度をしていると、

「お前は俺をコケにしやがって。ちゃんと説明しろ」

茶の間からキッチンにやって来た父が、突然突っかかってきた。

「説明しろって、何を?」
「長須賀(兄夫婦宅がある地区)の家がどうなってるかだよ」

どういうこと……?

「何で瓦が落ちたのかも、ブルーシートを張ったのかもお前は何も説明してないだろ」

はあ……。

どこかから飛んできたトタン屋根が当たって屋根瓦が落ちたこと。足場を組まないとブルーシートが張れないと言われ心配したが、幸いにも足場を組み、防水シートとブルーシートを貼ることができたこと。これを機に屋根を瓦からコロニアルという建材に変えることを決め、すでに棟梁から見積もりを出してもらっていること。保険の手続きをはじめたことなどなど。

台風の翌日から、兄と私が代わる代わる順次説明しているにもかかわらず、何ひとつ覚えていないのだろうか……。

日本各地で未曾有の自然災害が起こっている昨今、個人で備えておくべきこと、心掛けておくべきことは何なのかを、80代後半の両親に将来の自分を重ねつつ、あれこれと考えさせられた2週間であった。