『日本国紀』読書ノート(194) | こはにわ歴史堂のブログ

こはにわ歴史堂のブログ

朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。


テーマ:

194】WGIPは「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付ける宣伝計画」ではない(その4)

 

百田氏が取り上げられているラジオ放送「真相はこうだ」なのですが…

 

「この番組は、大東亜戦争中の政府や軍の腐敗・非道を暴くドキュメンタリーをドラマ風に描いたものだった。国民は初めて知らされる『真相』に驚くと同時に政府や軍部を激しく憎んだ。しかしこの番組は実はすべて台本をGHQが書いており(そのことは国民には知らされていなかった)、放送される内容も占領政策に都合のいいもので、真実でないものも多かった。すべては日本人を『国民』対『軍部』という対立構図の中に組み入れるための仕掛けだったのだ。また『太平洋戦争は中国をはじめとするアジアに対する侵略戦争であった』ということを徹底的に刷り込むためのものだった。」(P424)

 

と説明されていますが誤りです。

まず、百田氏はこのラジオ放送を聴かれたことがあるのでしょうか(リアルタイムでは無理なのですが)。現在、「真相はこうだ」はすべて保存されていません。

現在残されているのは第1回・第2回、第7回、第8回、第10回だけです(第2回はタイトル不明)

この5回で百田氏は「占領政策に都合のいいもので、真実でないものも多かった。すべては日本人を『国民』対『軍部』という対立構図の中に組み入れるための仕掛けだったのだ。」と断言されたことになります。

明快にわかっているのは「タイトル」で、内容の詳細は不明で把握できていないのがほとんどです。

(賀茂道子「前掲書」・法政大学出版局・第1回・第2回については、なんと賀茂道子氏は個人蔵の「音源」を提供されて研究されています。)

 

第1回「満州事変について」

第2回-タイトル不明-(内容は日華事変)

第7回「太平洋戦争の転機」

第8回「ニューギニア・マーシャル・サイパンの戦い」

10(最終回)「硫黄島の戦いと沖縄戦・ポツダム宣言・原爆から敗戦まで」

 

「国民は初めて知らされる『真相』に驚くと同時に政府や軍部を激しく憎んだ。」と説明されていますが、誤りです。

「真相はこうだ」が始まる以前から、国民はすでに政府と新聞によって日本軍の残虐行為や、戦争中のプロパガンダのウソを知らされていたからです。「真相はこうだ」で初めて知った国民はほとんどいないはずです。

(これは軍人であった伯父たちからも私自身話を聞かされています。)

「戦争責任を伝える計画」(WGIP)が始まる以前の、終戦直後から軍部に対する嫌悪と批判はすでに始まっていました。ポツダム宣言発表直後から、軍事物資を持ち出して郷里に帰る軍人たちの姿が各地で見られるようになり、1945年9月1日から15日まで「警視庁警備課」のまとめた「街の声」では、これを「指摘」するものが大量にあげられるようになりました(賀茂道子・前掲書)。

また、陸軍省など軍部の関連省庁では、さまざまな書類が「たき火」されていて、多くの市民が軍部の「隠蔽工作」を目撃しています。

なにより、終戦直前まで「本土決戦」を叫び、「一億総玉砕」を唱えながら突然終戦の詔勅が発せられたこと、「特殊爆弾ヲ使用スルモ被害軽微」と発表されていた原子爆弾の被害・惨状が伝えられたこと、東久邇宮首相の「声明」発表により、これまで隠されてきた軍の敗退、軍事力の払底が知らされたことにより、国民自身が騙されていたことを十分認識するようになっていたからです。

そして、何より復員兵たちが、自分たちの「惨状」、「戦地での体験」を語り始めたことです。

これらは「戦争責任を伝える計画」(WGIP)が始まる三ヶ月以上前から広く周知されていました。

国民が「戦争責任を伝える計画」(WGIP)によって「政府や軍部を激しく憎んだ」のではありません。

 

「『国民』対『軍部』という対立構図の中に組み入れるための仕掛け」というのも不正確です。「太平洋戦争史」「真相はこうだ」の目的に含まれていることは、大きく2つで、

 

①「天皇に戦争責任がない」ということを国民に伝える。

②「大東亜戦争」は「満州事変に始まる侵略戦争であった」ことを国民に伝える。

 

ということでした。

「天皇は知らなかった」という説明がされ、はっきりと「日本が警告なしに真珠湾を攻撃したことは、陛下ご自身の御意志ではなかったのだ」と示しています。

 

百田氏は、「天皇に責任がない」と国民が考えているのは、WGIPによる「洗脳」で「刷り込まれた」ことで、現在、天皇に対する戦争責任が問われていないことは、「何よりも恐ろしい」「洗脳の深さ」(P425)である、とでも主張されるつもりなのでしょうか。

 

「真相はこうだ」が始まると、NHKには抗議の手紙、電話などが殺到しました。

(『体験的放送論』春日由三・日本放送出版協会)

つい数ヶ月前まで鬼畜米英を唱えて戦争を賛美していたのに、その変わり身の早さ、無節操を非難するものも多数あったようです。

これらをCIEが弾圧したり、無視したりは一切せず、その苦情内容を分析して次の放送に活かしています(聴取者から質問を受け付けて回答するという「質問箱」「眞相箱」を開始しました)

 

「GHQは翌年も『眞相箱』『質問箱』というタイトルで、二年以上にわたり洗脳番組を放送し続けた(依然、GHQが制作していることは伏せられていた)。」(P424)

 

と説明されていますが、明確に誤りです。

「真相はこうだ」は、194512月9日から翌年2月10日まで。2ヶ月ほど。

「真相はこうだ質問箱」は1946年1月18日から2月8日まで。3週間ほど。

「真相箱」は1946年2月17日から1129日まで。9ヶ月ほど。

「質問箱」は「真相はこうだ」の放送中に始まりました。

これらは194512月9日~19461129日までですから「二年以上」どころか「一年未満」です。

それから「眞相箱」はCIEが制作していることを明示していて、「GHQが制作していることは伏せられていた」というのも誤りです。

WGIPについては、『日本国紀』の中でも格段のページ数を割いて説明されているのに、あまりにもたくさんの誤りの上に立論されていて驚くばかりです。

 

「GHQの占領は七年間だったが、それが終わって七十年近く経った現在でも、多くの日本人が『戦前の政府と軍部は最悪』であり、『大東亜戦争は悪辣非道な侵略戦争であった」と無条件に思い込んでいる。」(P425)

 

と説明されていますが、WGIP以前から「戦前の政府と軍部は最悪」と国民は知っていて、「悪辣非道な侵略戦争」と「無条件」に思い込んでいるわけではありません。