【193】WGIPは「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付ける宣伝計画」ではない(その3)
「GHQの『WGIP』はラジオ放送によっても行なわれた。」(P423)
と説明されていますが、WGIPの施策はそんなに広範なものではありませんでした。
ラジオ放送と新聞だけなんです。
百田氏は、思い違い(思い込み)をされていて、WGIPは「検閲」「教職追放」「公職追放」とは関係がありません。これらは「戦争責任を伝える計画」には含まれていません。
というのも、WGIPはアメリカ太平洋陸軍に、1945年9月に設置されたCIE(民間情報教育局)が担当しているからです。まだGHQは発足していません。設立の経緯から、CIEはGHQの一組織になったものの、教育・情報を担当に専従しています。
WGIPの施策のうち、「新聞」は「太平洋戦争史」の連載です。
連載期間は1945年12月8日から17日。
そしてラジオ放送の「真相はこうだ」の放送期間は、1945年12月9日から翌2月10日。
ちなみに、「真相はこうだ質問箱」は1946年1月18日から2月8日。そして「真相箱」は1946年2月17日から11月29日です。
不思議なのは百田氏が新聞連載の「太平洋戦争史」に触れられていないことです。
こちらは活字で文字にも残ります。聞き流されたラジオなどよりも「有効」だったはずです。新聞すべてに掲載されましたが、当時の新聞は紙不足から二面しかありませんでしたから、一面に掲載された「太平洋戦争史」は多くの目にとまりました。
しかも、これ、1946年4月から高山書店で歴史教科書として使用されました。
さて、「真相はこうだ」の話をする前にどうしても明らかにしておかなくてはならないことがあります。CIE(民間情報教育局)が進めたWGIPは、「洗脳」といった一方的なものではなく、しかも、新聞などの言論機関に対して、強圧的に活動をしていない、ということです。
CIE(民間教育情報局)は、そもそも矛盾をかかえていて、メディアを利用した情報発信は、メディアがCIEの意に沿った報道を行わせる必要があります。
これはアメリカが日本に除去しようとした軍国主義、移植しようとした民主主義に反します。局長のケネス=ダイスは、これにとくに配慮することにつとめ、
「我々は、サイドラインを引き、ゴールを設け、ボールをトスする。彼らがそのボールを拾い上げ、それを持って走る。彼らがボールを落としたり、倒れたりしたときには助ける。しかし我々は特にプレーに加わるわけではない。」
『ウォー・ギルト・プログラム GHQ情報教育政策の実像』(賀茂道子・法政大学出版局)
という方針をとっていました。実際、「太平洋戦争史」は、各新聞社に掲載を強制しましたが、なんと編集はまったく自由で、記事ネタの提供、というのに等しいものでした。朝日・毎日・読売の3社比較では、CIEが提供した「太平洋戦争史」の説明のうち、朝日は約17%、毎日は約12%、読売は約19%を削除しています。
削除した箇所は、「マニラの虐殺写真」、軍国主義者への非難などでした。
これらに対してCIEは注文をつけたり指導、処罰をしたりなど一切おこなっていません。
CIEの進めた「戦争責任を伝える計画」(WGIP)の実施の性格はこのようなもので、「メディア統制」といっても、書き換えを強要したり、出版禁止を命じたりした戦前の日本のものとは大きく異なるところです。
これらに比べれば、戦前の日本の言論統制、メディアへの弾圧、プロパガンダによる「洗脳の深さ」のほうがはるかに「恐ろしい」はずなのに、『日本国紀』はそれらについては一切説明されていません。
「新聞連載『太平洋戦争史』の比較調査-占領初期の新聞連載とその役割について」
(三井愛子・『評論・社会科学101号』)