312 昇り龍
レインスター卿が何気なく指をパチンと鳴らすと、一瞬にして世界が変わった。
比喩ではなく、先程まで空には青空が広がり、辺りには何もない草原地帯が続いていたはずなのに、今は龍の谷の麓のようなごつごつとした岩場にいた。
「さぁ始めようか。じゃあまず武器は何でもいいから、掛かってくるといいよ」
レインスター卿はニッコリと微笑みそう告げたので、全力で行こうとして、思い留まる。
「あの、この空間で龍の力は使えるんでしょうか?」
「あ~根本的に勘違いしているみたいだけど、龍の力も精霊の力も、君の魂に刻まれているんだから、加護を得ているのなら、その力は既に君の力だよ」
ということは使えるのか? 俺は半信半疑だったけど、そのまま力を使うことにした。
「聖龍よ、我が身を守れ。風龍よ、全てから身を守る風の障壁を。雷龍よ、全てを置き去る力を」
レインスター卿の言っていたことは正しかったらしく、いつものように龍の力を貸してもらうことが出来た。
俺は幻想剣でレインスター卿へと斬り掛かった。
そしてあろうことか、そのまま本当に斬ってしまった――。
いや、この世界が壊れていないのだから、偽物だ。
直ぐに斬ったのがレインスター卿の残像だと判断した俺は、直ぐにレインスター卿の痕跡を探したのだが見つからない。
それならばと、風龍の力を使って斬撃を飛ばしていく。
すると斬撃が不自然に途切れた場所があった。
魔力や気配を感じない相手には探ろうとしても無駄だと全力の炎龍剣を放った。
そして炎龍が不可視の何かに喰らいついたところで、音が戻ってくる。
「それでよく邪神を一度でも退けられたものだね」
「なっ!?」
俺が斬ったレインスター卿が喋り始めた。
「いや、そっちは火属性と水属性で作った水人形だよ」
すると今度は後ろから声が聞こえてきたので、振り向くとそこにはさっきと変わらずに佇むレインスター卿がいた。
「今のは風魔法を使った拡声魔法の応用なんだけど、今の世界には知られていないのかな?」
「さぁどうでしょう? ただこちらに来てからの八年間で聞いたことがなかったですよ」
魔法関連の話をしたのは、本当にネルダールにいた時ぐらいだ。
「そうか……じゃあ今度は接近戦をしようか。いつでも掛かってきていいよ」
すると何もないところから何の変哲もない剣が現れた。
だけど油断することなんて到底出来ない。
相手は師匠達を全員足してもきっと倒せない人をやめた存在なのだから。
「いきます」
相手の急所に躊躇なく刃を向けるようになった俺は、地球にいた頃とはだいぶ変わってしまったんだろう。
それでもそうしなければここまで生きてこれなかった。
俺は師匠達から習ったことを、今この瞬間に全てをぶつけるつもりで、連撃を繰り出していく。
しかしレインスター卿は涼しい顔をしながら、じっと俺の動きを観察するだけだった。
そして首元に隙が出来たところを狙らおうとした瞬間、いやな感じがして俺は飛び退いた。
「ふ~ん、なるほど。剣術や体術の基礎はしっかりと出来ているし、相手に隙が出来たからといって不用意に攻撃しない本能も持っているか」
「何か分かったんでしょうか?」
呟く様に評論されても、気になって仕方がない。
「基礎はしっかりとしているから、先に魔法についての勉強をしようか」
「勉強……ですか?」
以外だった。本当に以外だったのだ。強い人は皆が戦闘狂だと思っていたのに、普通に教えてくれるらしい。
「そう。今持っている固定概念を一旦全部捨ててしまおうか?」
「えっとそんな簡単に言われても……」
「確かにそうだよね。だから君にはこれから僕の魔法を見て、それが普通の魔法なんだと理解していこうか」
「努力はしてみます」
打てば響くとはこのことだろう。
百聞は一見に如かずを直ぐに実践してくれるとは、本当にいい講師だと思う。
「じゃあさっきルシエル君が見せた龍が飛んでいく剣技だけど、あれは別にその剣を通したから放てる魔法ではないよ。【ドラゴニックファイア】」
いきなり毒を吐かれたのかと思ったが、その感情は直ぐに消える。
レインスター卿が腕を伸ばしたところに魔法陣が形成されていき、詠唱破棄で魔法名を呟くと、魔法陣から炎龍が飛んでいった。
しかも俺の全力で放った炎龍剣よりも遥かに大きかった。
「いやいや、さすがに今の俺の能力で、あの炎龍は放てないと思うんですけど?」
「それこそいやいやだよ。ルシエル君の能力を見せてもらって、最低限これぐらいかな? って、放ったものだから。たぶんあれよりも大きいのは放てるよ? 例えば僕が放つと【ドラゴニックファイア】」
『グァゴオオオオオオオ』
すると魔法陣から本物と遜色のない炎龍が空へと昇っていった。
「えっと、あれを俺には向けないですよね?」
「はっはっは。ルシエル君が成長するまではね」
まさか邪神と会った時ぐらいの絶望がこの先に待ち合わせているとは思わなかった。
そしてまずはレインスター卿の魔法を見せてもらうことになったのだが、その全てが俺に使える魔法という前提の話だった。
「あのレインスター卿、この世界が出来てから、転生龍の加護と精霊の加護を持った者は、普通の魔法は使えないと聞いたんだですが……ただ一人貴方を除いて、ですけど」
「ああ、龍と精霊の魔力は反発し合うからからね。元々聖属性魔法しか使えない状態で、加護を得ていったのならそれもしょうがないか……まぁ何とかなると思うかな。ちょっと大変だと思うけどやってみる?」
転生龍達が出来ないと言ったことを覆せる人間はこの人ぐらいだろうな……本当に人なのか疑いたくなるレベルだけど。
「努力で魔法が使えるようになるという認識でいいんですよね?」
「ああ。属性に適性さえあれば、大丈夫だよ」
「よろしくお願いします」
俺に迷いはなかった。
「じゃあ、精霊の魔力と転生龍の魔力を分けようか。両腕を前に伸ばして」
「はい」
「じゃあ引っ張るよ」
「? はい」
その瞬間、身体から魔力が引っ張られていくのたのだが、理解したのが遅すぎた。
「ルシエル君はこれで魔力枯渇状態になったと思う。僕がルシエル君の魔力をこの大気中に固定したから、ルシエル君はまず、龍と精霊の加護で得た魔力と本来は自分の持っていた魔力を身体に戻していこうか」
魔力枯渇によって凄く気持ち悪くなって、レインスター卿の声が遠くに聞こえる。
「ど、どうやってですか?」
「魔力操作で引っ張り返してさ。分かりやすい様に魔力を分けているから、自分の魔力だけを身体に吸収していくイメージを強く頭に思い描くんだ。この世界は大抵の場合、強いイメージが力になってくれるから」
魔力枯渇の気持ち悪い状態で、俺は魔力を自分の元へ戻すのに四苦八苦する破目になるのだった。
お読みいただきありがとう御座います。