日本はインフルエンサーとクレーマーを混同している

クローズアップ現代でいろんな抗議デモに参加している女子大生が出ていたけど、最近はクレーマーが ”若者らしい生き方” として賛美されているらしい。

とにかく「大人は間違っている!」というのが彼女の主張らしく、就職活動でもそういう発言をしたと言っていましたね。

 

でも、16歳とか22歳って十分すぎるほど大人だと思うし、気に入らないことがあったら行動に回るべき年齢なんだと思うんですよ。

本人はなにもできないのに声だけは人一倍デカいっていう人間が量産されないか不安になってしまう。

 

プラカードを持って暴れまわるだけで世の中がプラスになるという考え方は、本質的には暴力団の圧力と変わらないと思うんですが。

就職活動でも「私はデモで500人集めて交通をマヒさせましたw」みたいな言葉が、面接官のハートを射抜く定型句になる時代が来るんじゃないかと心配しています。

 

「バズる」っていう中身がすっからかんな単語が大嫌いなんですけど、「インフルエンサー」っていう言葉も同じぐらい嫌いですね。

 

とにかく今の日本はフォロワーとかファボとか、意味のない空虚な数字を追い求め過ぎなんですよ。

(プレゼント企画でフォローを強要する情報商材ビジネスがなくならない理由の1つ)

 

自分は3年ぐらい前から再生数とか登録者数とかほとんど気にしなくなったんですけど、YouTubeにおいても本当に大事なのは見た目の数字じゃなくて、より実態に即した(身の丈に合致した)実績なんだという考え方に至っています。

この場合における「実績」とは、実際にどれぐらいの人数が動画を見ていて、どれぐらい動画をまじめに見聞きしているのかということを指す。Goodボタンやコメント数は一切含まれません。

 

たとえば、ゲームのムービーを切り貼りしたり、女キャラの胸の谷間を強調すれば再生数だけは増える法則があるんですが、ああいうのってYouTube的には ”意味がない” と解釈される可能性が高いです。

「100%バズる方法」みたいな詐欺マニュアルでは、こういう方法がファインプレーとして崇め奉られてますけど、それがどういう効果を生むのかまでは説明されてません。

結論を言うと、まったくもって意味がない。たとえ100万再生行こうと何も生み出しません。

 

今のインターネットが単純な四則計算だけで説明できなくなっている一方でもはや算数にすらなっていないレベルの単純な数字だけを追い求める人がどんどん増えているのが、なんていうか残念なことだなあと思ってます。

 

すでにネット広告の総量規制とも言うべき動きが加速している以上、ユーザビリティを完全に無視して意地悪な広告の貼り方を競い合うくだらない戦い方はどんどん陳腐化することでしょう。

こういう状況を見て「厳しい時代になった」という意見もありますけど、自分は「当たり前のことが当たり前になった」と思っていて、世間の常識に沿って行動しやすくなったとも言えます。

 

できるだけ音を聞き取りやすくするとか。

文字入れを見やすくするとか。

 

今までだとこういう当たり前のことって語られてなくて、「サムネで視聴者を釣りましょうw」みたいな詐欺テクニックばかり語りたがる人が多かったんです。

海外ではweb2.0とかいう頭の悪い価値観に対する反省が進んでいる中、日本だけはSNS元年みたいな状態が常に続いている感じなんで、そのうち国内のネットメディアは全滅しちゃうんじゃないでしょうかね。

そういう意味で実際に「お金を出す人」「行動を代行する人」という区分がはっきりしているクラウドファンディングは、とても理にかなっていると思うし、中身のあるサービスと言えるだろう。

 

なんで日本だけこんな悲惨なことになってんのかなと考えたとき、「経験値=レベル」みたいな数字だけを積み上げるゲームが大好きな国民性のせいなのかもしれない。

昔ながらのRPGというのは数字が増減することもないし、同じ数字でも中身に違いがあったりしないからね。

 

こういう価値観って、一見するとものすごく堅実な考え方であるとプラスに評価されがちなんですが、単に足し算しかできてないだけなんです。

「継続は力」なんていうバカげた言葉を唱える人も多いんですが、なにをやるにしてもダメなことを続けていたら、そのうち思考停止(脳死)して堕落するだけですよ。

 

九九の暗唱だけを30年続けても大学受験で通用することがないのと同じで、段階を踏んで行動を変えていかないといけないし、効果がないとわかったら根本から勉強し直さないといけないのが「本来あるべき姿」だと思います。

でも、5年後か10年後ぐらいまでは、「九九を唱えれば世界が変わる!」みたいなアホな考え方が続いていくんでしょうね。日本だけ。