293 イエニス散歩
転生者ハットリ……帝国から送られてきた刺客で、イエニスのスラム街を調査した後に死んだと見せ掛けて姿を消し、医療特区の建物を破壊した工作員……だったはず。
それが今、クレシアを追いかけて俺の目の前にやって来た……その瞬間、三メートル程ジャンプして前方に三回転しながら降ってくると、そのまま土下座をして言い放った。
「賢者ルシエル様、クレシアさんと結婚させてほしいでござる」
はぁ~こういう設定で生きている人だったっけ……。
それにしても結婚って……俺はとりあえずクレシアに声を掛ける。
「クレシア、久しぶりだな。元気だったか?」
「はい、ルシエル様のおかげで、今では先生って呼ばれているんですよ」
クレシアは逃げて来た時とは一転して、笑顔だった。
「いいでござる。その笑顔がたまらないでござる」
俺が思ったことを口に出されるとイラっとする。
「ケフィン、ケティ、コイツを確保」
二人は瞬時にしてハットリを確保した。
「なっ!? 止めるでござる」
「クレシア、とりあえずハットリのことをどう思っているんだ?」
「えっと、ハットリ先生は忍術が得意で子供達からも慕われていますが……言動が気持ち悪いんです」
「おおっ言葉責めは大好物で……止め、それだけは止めるでござる。シャレにならないでござる。いや、賢者様、ご慈悲の程を――」
俺は物体Xをハットリに飲ませると、ハットリは一年前と同じように物体Xの前にあえなく気絶した。
「これで少しは落ち着けたな。確かハットリって、ドルスターさんの奴隷じゃなかったっけ?」
スラムの顔役だったドルスターさんが、確かスラムのハーフ獣人達の活躍の場を広げるためにハットリを引き取ったと記憶していた。
「はい。ドルスターさんの奴隷ではあるのですが、算術や武術を教えるのが上手く、条件付きで先生をしています。ですが……」
条件をつけているのに、クレシアが追われるって、どんな条件を付けているんだ? それにしてもまさかハットリがいつの間にか先生になっていたとはな。
転生者だから四則計算ぐらいは出来るだろうし、スラムの街でも忍術を教えていたんだから、教えることが得意なのかもしれないけど……。
「ドルスターさんの奴隷だから相談すれば良かったんじゃないのか?」
「それは……その……」
「ルシエル様、それについては私が申し上げます」
ナーリアがそう言って現状を説明してくれた。
「クレシアはハーフエルフですから、容姿端麗です。それにイエニスに滞在している者達の中で一番強く、控えめな性格ですので、ハーフという概念に囚われていない者達からかなり好意を寄せられているのです」
「そういうことか。ドルスターさんからも……」
「……はい」
クレシアは申し訳なさそうに頷いた。
「ふむ。クレシアがモテているのは分かった。それでクレシアの気持ちはどうなんだ?」
「えっと、私はまだ学校のこともありますし、そういうことを考えられません」
それって、今は誰が告白しても断るってことなんだろ? だったら……いや駄目なのか……。
「ただハッキリと断っただけでは無理なのか?」
「はい。ハットリさんは断っても二日後にはまた今日のように……」
だいぶ積極的なんだな……俺には無いところだけど、それが悪いことだとは思えない。
ただ相手が嫌がっていなければという前提がつくけど……。
「なんか罰則でも作るか? しつこく告白した者は物体Xを飲ませるとか? もしくは相手が納得するような断り文句があればいいんだけどな……そういうのには疎いから力になれない」
「いえ、精霊様達の加護を得ているルシエル様にそこまで考えていただいて光栄です」
クレシアに関しては悪いがストーカー対策などは専門外だ。
そんな時、ルミナさんが声を上げた。
「彼女が強いのなら、彼女と一対一で勝った者に機会を与えるのはどうだろう?」
「どういうことですか?」
「教会本部でも似たようなことがある。一年に一度想う者を巡ってトーナメントが行われる。そして勝者がその想いを伝えられるのだ」
「そんなこともしていたんですね」
それでもここにいる面々が一人も掛けていないってことは、断る方法があるんだろうな。
「もちろん想いを伝えられた側にも断る権利がある。それでも諦められない場合は、相手の出す条件を飲んでそれを達成しなければならない。例えば一人で戦乙女聖騎士隊全員を倒すとかな」
なるほど……武力を持っているから出来る作戦ではあるんだな。
「でも、それで参加者が告白や嫌がらせ等の迷惑行為をしないものですか?」
「参加者全員に一年間、そのようなことが出来ない誓約で縛っていた」
誓約をそんなところで使うのか。
いや、誓いだから間違ってはいないのかな?
「よし。じゃあ物体Xをジョッキで飲めたものに参加権、クレシアを含む何人かを倒したら、雇用主の俺が判断することにしよう」
物体Xを飲むってことは半端な気持ちじゃないだろうし。
「ルシエル様、その時は私もお供します」
ライオネルはただ強い相手と戦いたいだけだろうな。
「いいんですか?」
「ああ、大切な従業員を守るのも会長の仕事だろうし……それにしてもモテっていうのも大変なんだな」
そんなことを思うのだった。
その後、学校の視察を終えた俺達は、クレシアとハットリを加えて工場見学に来ていた。
工場の案内は責任者をしているエルフのミルフィーネがしてくれた。
精霊の加護が強くなった俺や巫女のリディアに対して低姿勢になっていたけど、工場の責任者にしたことをとても感謝していた。
とてもやりがいがあって毎日が楽しいのだとか。
工場の案内が始まって直ぐに師匠、バザック氏、戦乙女聖騎士隊は完全に固まった。
地下に擬似太陽があり、水路、花畑や野菜畑、果樹園が広がっていたからだ。
バザック氏は感動のあまりこちらを見る目が本当に尊敬しているような眼差しに変わった。
それから戦乙女聖騎士隊だが、ハッチ族と会った時に最高級蜂蜜飴を貰った瞬間、何だか俺は悪寒したのだが、深くは考えないことにした。
フォレンスさんとミルフィーネに工場を案内してもらいながら、さらに地下へと進んでいくとドラン達の工房があり、既に戦乙女聖騎士隊の武具の修理を開始していた。
邪魔するのも悪いと最下層となる地下四階に辿りついた時に俺は失敗を悟った。
なんせ立派な闘技場が姿を現したのだから。
この後になにが待つのか、容易に想像がつく展開に進もうとしていた。
お読みいただきありがとうございます。
今日はこれが限界です。