287 約束
冒険者ギルドから出ると、メラトニの街はすっかりと日が落ちて暗くなっていた。
それでも闇龍の加護と闇の精霊の加護によって、月明かりだけでも十分な視界を確保することが出来ていた。
エスティアとアリスは冒険者ギルドを出てからは、ひと言も発することがなく、ただ目的地へ向かって歩き出していた。
その時に俺の視界に映ったエスティアとアリスは、共に表情を硬くしたままだった。
目的地は現在この街にある唯一の孤児院であり、ボタクーリが運営していた元治癒院だ。
これから何が起こるのか、何故ボタクーリに会いに行くのか、俺には想像することが出来なかった。
そんなことを考えていると、急にエスティアが口を開いた。
「ルシエル様、私はメラトニとは違う場所で暮らしていました。でも身体がとても弱かったんです。だからメラトニで評判の良い治療院で診てもらうことだったんです」
いきなりボタクーリの娘である予想は外れたので吃驚しながらも、話の続きを促す。
「……それがボタクーリの治癒院だったのか?」
「はい。治癒院には私と同い年ぐらいの女の子も居て直ぐに仲良くなりました」
それがボタクーリの娘なんだろうか?
「ある日、治療の為に治癒院に泊まることになって、私は女の子と色々なお話をしていて、疲れて一緒に眠ることになったんです」
「仲が良かったんだな」
「はい。でも大きな声がして私の目が覚めると、そこには剣を構えたお父さんとお母さんが、泣いている院長先生と沢山の傭兵に囲まれていました。そして私の目の前で……」
「……そうか」
子供の頃に親が目の前で殺された街へ来たのなら、あの時の動揺していたのも分かる気がする。
それにしてもあのボタクーリが泣いていたなんてな……。
きっとそこから高額請求をして、相手を借金奴隷にしたり、拒否した人達は傭兵を使って始末するようになり、ボタクーリは悪徳治癒士の道を歩み始めたんだろうな。
それが帝国の戦略だったというのなら、しっかりアルベルト殿下達に調べてもらわないといけないな。
「私を含めた治癒院にいた人達は奴隷商の馬車でそのまま帝国へ連れて行かれました……そして奴隷商の施設で、何故か治癒院で仲良くなったはずのミーちゃんと再会することになりました」
「……ミーちゃん?」
「はい……あの地下施設にいたミーちゃんです。私とミーちゃん、他にも私達と同じ症状の子供が集められました」
……エスティアになんて声を掛ければいいのか、俺には分からなかった。
まさかあれがボタクーリの娘だったなんてな。
ただエスティアはそのまま説明を続けていく。
「それからは色々な薬を飲まさせられたりして、私達の身体は成長していくにつれ、丈夫になっていきました。そしてその施設から出された私達は、その時に奴隷商へやってきたアリスお姉ちゃんと三人で過ごすことが多くなりました」
逆算するとアリスと会ったのは十歳かそこらだったんだな。
「それでエスティアはこれからボタクーリと会ってどうするんだ?」
「……ミーちゃんと仲良くしてもらっていたことと、私が看取ったことを……」
「私はミティスとの思い出が聞きたければ教えるけど、彼女を魔族化させたことは言うつもりはないわ」
「そうか」
やがて孤児院が見えてきた。
孤児院に訪問を伝えると、ボタクーリが自ら出てきた。
「これはルシエル様、色々とご活躍されているようですね。最近では賢者になられたとか……ですが、急な訪問は出来れば控えていただきたいです」
「すみません。今回はこの二人が貴方のご息女のことで伝えたいことがあるらしくて訪問したのですよ」
「!? 私の部屋で話を伺います」
それから数人の孤児がこちらを見つめていたので、手を振りながらボタクーリの私室へ着くと、話が始まった。
「ミティスちゃんがお嬢さんの名前で合っていますか?」
「そ、そうだ」
「……その前に私のことは覚えていますか? ミティスちゃんとはお友達だったんですけど……」
「確か君は前にもルシエル様と一緒に来たな……悪いがそれ以外に面識はないように思う」
「……そうですか。それではお話します。私とミティスちゃんは帝国の奴隷商の施設で会いました。そこには身体が弱い子供達が集められていました」
「……本当に奴隷になっていたというのか……」
「私とミティスちゃんは奴隷商が用意した食事と薬を飲み続け、五年もすればすっかり身体も強くなっていました」
そこでアリスがエスティアの言葉を引き継いだ。
「私が二人と会ったのがそのくらいの頃だったわ。私は鑑定のスキルを持っていたから、二年程は二人の教育係りみたいなことをさせられた後、死んだことにされて、帝国の研究所で働くことになったわ」
アリスが教育係……アリスはこちらの世界に来てからそこまでしないうちに捕まったのだから、知識はそこまでなかっただろうに……色々と思うところはあるが……。
「ミティスが帝国の研究所に送られてきたのは、暫らく経ってからだったわ。ミティスは魔力がとても多くて、研究で使えると判断した当時の研究所トップが購入したの」
「そんな……それじゃあ今も帝国の研究所に……」
「いえ、ミティスちゃんは無理矢理魔族化させる実験で……私が看取りました」
「だ、黙れ、黙れ! ルシエル様、何故こんなことを? 研究所にこんな娘が入り込める訳がないでしょ」
「申し訳ないが事実です。イルマシア帝国と公国ブランジュでは争うように、そんな悪魔の実験が進められていました。だから今日帝国の研究所も全て破壊してきました」
「今日? そんなことより、それでは私の娘を殺したのは……」
凄まじい憎悪の目が突き刺さる。
「ルシエル様は魔族化した兵士でも人に戻すことの出来る唯一の賢者様です……そのことをミティスちゃんに説明してもらいます」
「な、何を言っている? ミティスは先程死んだと言っていただろう」
「少し静かにしてください」
エスティアがボタクーリを一喝して睨むと、ボタクーリは何も言えなくなってしまう。
ただの治癒士が精霊剣士の威圧に耐えられる訳がないのだ。
すると出番を待っていたかのように突然、精霊化したフォレノワールが精霊結晶から姿を現してきた。
そして同時にエスティアと闇の精霊が入れ替わったようだった。
「今から死者の最後言葉を聞かせる。魂だけだからそう長くはない。出来ればその手で浄化してやるのだ」
『ルシエル、魔力をもらうわよ』
念話が聞こえたと思ったら、フォレノワールからは白い光が、エスティアからは黒の光が立ち上り、空中で混ざり合っていく。
そして一人の透明な少女が姿を現した。
「ま、まさかミティス?」
『……パパ、会いたかった』
少女の泣きそうな声は念話なのか、頭に響く。
「ミティス、おおっミティス」
ボタクーリは既に人目も憚らずに泣いていた。
『……パパはミティスと会いたかった?』
「ああ、ああ。勿論だ。ずっとこの日が来ること祈って来たんだ」
『……だったら何でパパが治療してくれなかったの? パパは世界で一番凄い治癒士ってママも言っていたのに……』
少女が泣くと、少しだけ闇の魔力が揺らいだ気がした。
「すまない。本当にすまない」
『パパが謝るのは私だけじゃないよ。ママにも、それにここに居るパパが奴隷にしたエスティアちゃん、エスティアちゃんのパパやママみたいに、殺してきた人達にだよ』
「なっ!?」
ボタクーリはエスティアを狼狽えながら見つめた。
『帝国の奴隷商には、パパが奴隷にした人達がたくさんいたから知っているの。優しかったパパが何で患者さんを奴隷してきたのか。きっとここにいるエスティスちゃんとアリスお姉ちゃんがいなかったら、私はもっとずっと辛い人生だったと思う』
「私は、私は……」
『……でもね、それでも私はパパがずっと大好きだったし、嬉しかったの。そしてずっと一緒にいたかった』
「すまない、すまない」
『私はもう死んじゃったから、パパに最後のお願いがあるの』
「……」
ボタクーリは小刻みに顔を左右に振るが、言葉を発することが出来ないようだった。
『自慢のパパに戻って。そして沢山の人を助けてあげてほしいの。そして私を浄化して欲しいの。きっと魔力が強すぎてこのままじゃ魔物になってしまうから……パパお願い』
「無理だ、もう私には治癒士として活動することは出来ない。それにミティスを浄化するなんて……」
『パパ、人を助けるのは治癒士だけじゃないよ。外でパパが出てくるのを待っている子供達が大勢いるわ。私の分も子供達のパパとして誇れるようになってほしいの』
「ミティス、ミティス、私が全て、全て間違っていた」
『パパ、これからも沢山の人を助けてあげてね』
「ああ、ああ。約束する」
『信じているわ』
「ミティス、愛しているよ」
『私もよパパ』
「じゃあいくよ。聖なる治癒の御手よ、母なる大地の息吹よ、願わくば我が最愛の娘の穢れを全て取り払い、聖治神様の許へと誘い給え ピュリフィケイション」
『パパ、会えて良かった』
透明だった少女はボタクーリの浄化によって、光と共に消えていくのだった。
お読みいただきありがとう御座います。
本日は湿っぽい話だったので、活動報告にブロド師匠をアップすることにします。