282 物体Xで乾杯
メラトニの街中には飛行艇を着地させることの出来るスペース自体はあるものの、無駄な混乱を避けるため、今回もメラトニの街から少し離れたところで着地させることになった。
ただ飛行艇の存在もそこまで隠す必要がないと判断し、前よりもだいぶ近いところに飛行艇を着陸させた。
「よし、じゃあ降りようか。それにしてもお腹空いたな……」
「今日は連戦でしたから、食事をしている時間もありませんでしたからね」
そういえば朝から何も食べていなかったな。
「技術班も呼びに行って、冒険者ギルドで食事にしようか」
「私が呼んで来ます」
ケフィンが率先して手を挙げると、ブリッジから出ていく。
「ケフィン、空回りしているニャ」
その後ろをケティが追っていった。
技術班だってお腹が空くし、魔石や魔導具を回収すれば大人しくなることが分かっているんだけら、そこまで慌てなくてもいいのにな。
そんなケフィンの忠誠心に笑うのだった。
「随分と人族以外の他種族にも慕われているのですな」
バザック氏はケフィンとケティが出て行った方へと視線を向け、そう呟くように声を発した。
「ははっ、そう思っていただけるなら嬉しいですね。私はこの飛行艇に乗っている皆を仲間であり、家族のように思っていますから」
「……家族ですか?」
バザック氏は明らかに戸惑いの表情を浮かべた。
「ええ。不本意ながら私は色々なことに巻き込まれやすく、死に掛けたのも一度や二度ではありません。今こうして生きていられるのは、そんな私を支えてくれた皆のおかげですから」
「……そうですか」
「ええ。じゃあ行きましょうか」
『私は精霊結晶にいるわ』
どうやらようやく闇の精霊との話が終わったらしく、フォレノワールは精霊結晶に消えていった。
エスティアも元に戻ったようで、アリスに近づいて何やら話しているようだったので、アリスのことはエスティアに任せて、皆と一緒に飛行艇を下りた後、俺達はメラトニの街へと帰って来たのだけど、ばっちりと飛行艇から降りてくるところを見られていたのだ。
門兵達が門に集結したところを見ると凄く警戒されていた気もするが、俺達の姿を確認すると直ぐに警戒が解かれた。
「いつもお騒がせしてすみません」
「本当に……と、言いたいところですが、ルシエル様はこの街の誇りですからね」
門兵さん達は皆が笑顔で対応してくれた。
「えっと、恐縮です。でも様はつけなくてもいいですよ。私は偉い人ではないのですから」
「はっはっは。それは出来ませんよ。皆がルシエル様に感謝しているのですから。それにしてもS級治癒士、賢者に続いて、今度は空を飛ぶ乗り物ですか……ルシエル様の話題は絶えませんね」
特に感謝されるようなことはしていないけど……不本意ながら色々と話題の提供だけはしている自信がある。
「ははっ、すみません。それで通ってもいいですか?」
「ええ、もちろんですとも。メラトニへお帰りなさいルシエル様」
「あ、はい。ただいま」
何だかその言葉を聞くとホッとするのは、この世界の故郷だと思っているからなのかもな。
「念のため、冒険者ギルドまではここにいる者達で護衛させていただきます」
「えっと、別に大丈夫ですよ?」
さすがにそこまでされると
それにしても目的地が治癒士ギルドではないって判断されているのは、冒険者ギルドにいた頃から変わらないな……。
「……既に住民が集まって来ていますので、危害を加えようとする者はいないでしょうが、揉みくちゃになってしまいますよ?」
「……よろしくお願いします」
俺は直ぐに前言撤回して門兵さんに頭を下げた。
そして門兵の言葉に嘘はなかった。
娯楽の少ないこの世界では、やはり空を飛行する乗り物はインパクトが大き過ぎたらしい。
元々空中魔導都市ネルダールも空を飛んでいることは、この世のほとんどの人が知っているし、晴れて空気が澄んだ朝から昼頃までならば、遥か上空を飛んでいるネルダールを見ることが出来る。
しかしそれは自分達が生きる世界とは全くの別世界の出来事という認識だった。
それを前回来た時に俺が空を飛び、今回は飛行艇で空を飛んできたことを目撃してしまったため、いきなりそんな時代がやってくるのではという認識に変わってしまったのだと門兵さんは語った。
そんなことを話しながら門を通ると、あっという間にメラトニの住民達が集まってきていたのだ。
この騒動にもバザック氏は戸惑いを浮かべていたけど、俺もそのことばかりを気にしていられなかった。
「これはさすがに少し大げさな気がしますけど……」
「いや~ルシエル様は私達にとっては夢みたいな存在ですから」
「夢ですか?」
「はい。魔法で空を飛び、今度は魔導具で空を飛ぶものを開発してしまった。まさにあの伝説のレインスター卿のような存在ですよ。ですが、私達はルシエル様がこの街の治癒士だった頃を良く知っています」
真正面から言われると凄く恥ずかしい。
「メラトニにいる間は、ほとんど冒険者ギルドに引きこもっていましたけどね」
昔を思い出しながら苦笑した。
「確かに。でも、いつもルシエル様はボロボロなのに、怪我で困っている者達を全力で治療していましたから、ルシエル様を知らない住民はいませんよ」
門兵さんはずっと楽しそうに笑っていた。
そういえば師匠との訓練が佳境に入った時には、魔力を温存するために一回、一回真剣に治療していたな。
そんな風に思い出していると、冒険者ギルドへと到着した。
「おとぎ話に出てくる勇者や英雄ではなく、普通の治癒士だったルシエル様のことを良く知っているからこその盛り上がりです。ですから今後も活躍をご期待しています」
「ありがとう御座います。ですが私は一生懸命に生きるだけですから」
「ルシエル様らしいですね」
門兵さんはそう言って、集まった住民達に解散するように告げてから、自分達の持ち場へと戻っていった。
そして住民達も用が無い人達は散っていったが、そこには数人の怪我人が残っていた。
街の住民もいるようだけど、見るからに新人冒険者の装備を纏ったパーティーがこちらを見ていた。
「エリアミドルヒール」
俺は詳しく話を聞かずに、全員を回復させた。
「怪我をしたくないなら、冒険者ギルドの訓練場でちゃんと鍛えることをお勧めする。私は治癒士だけど丸二年訓練場で鍛えて、自衛だけは出来るようになったから、君達ならずっと強くなれるだろう」
それだけ伝えると冒険者ギルドの扉を開いた。
「待っていたぞルシエル、それに戦鬼よ」
「師匠、何で入り口で仁王立ちをしながら待っているんですか~」
「出迎えただけだ。さぁ行くぞ」
いつものノリで俺達を地下の訓練場へと連れて行こうとしたが、今回はそんなに時間を取っていられない。
「あ~師匠待ってください。その前に大事な話があるんです」
「……重要なのか?」
「ええ、かなり。それに今日は夜明け前から何も食べていなくて、申し訳ありませんが、先に食事をしてからでも構いませんか?」
「そういうことなら仕方ないな。訓練場は人が多くなっているからちょうどいいか」
「へぇ~珍しい。じゃあ師匠が扱いているんですね」
「あ~面倒だから、その話はあとだ」
師匠は言葉を濁して、食堂へと進んでいき、俺達も後を追った。
そして食堂について直ぐ目に飛び込んできたのは“物体X一杯、もしくは物体Xを使った料理完食で飲食無料”と書かれて看板だった。
「グルガーさん、こんにちは」
「おう、ルシエル戻ったか。今回は兄者が世話になったな」
「いえ、良いですよ。そのおかげでいくつか好転したので……それよりもこれは?」
「見ての通りだ。中々あれを使った料理の開発が進まなくてな。もちろん自腹だからな」
どれだけ物体Xを研究しているんだろう? アリスに手伝わせるか? ……うん、嫌な未来が想像出来たので、絶対にそのことは伝えないと胸の奥にしまった。
「そこは疑っていませんよ。それより十三人分の普通の食事をお願いします」
「わかった。十三人分の普通の食事と二人分のあれを使った食事に物体Xをピッチャーで二つ」
「えっとそれは誰の?」
「何を言っているんだ? ルシエルとブロドの分に決まているだろ。じゃあ待っていろ」
そう言ってカウンター奥の部屋へとグルガーさんは消えていった。
「師匠、物体Xを飲んでいるんですか?」
「……強くなるためだ。あれを最後まで飲み切ると、誰が相手でも勝てる気がしてくる……出来ることなら見たくないがな」
まさか師匠が物体Xを飲んでいるとは……な。
「それで話とは何だ?」
「えっと、実は……」
ドンッ、ドンッ
「まぁそういう話はこれを飲んでからにしてくれ。
話し出す直前にグルガーさんはピッチャーグラスも注いだ物体Xをテーブルに置いた。
「はぁ~飲むか」
憂鬱そうに物体を持って呟いたブロド師匠だったけど、明らかに物体Xの色が薄かった気がした。
「何だか俺の方が濃くないですか?」
「俺は初心者で、ルシエルは上級者だろうが」
「なんのですか!?」
「……」
しかし師匠は答えずに俺のピッチャーグラスに自分の持ったピッチャーグラスを当てると、一気に物体Xを飲み干しにかかる。
そして全てを飲み切った師匠は片膝を突いて震え出したが、あれはきっと色々なことを耐えていることが分かった。
声を掛けて邪魔をすると旋風が吹き荒れる気がしたので、仕方なく周囲を確認すると、冒険者は師匠を称える声援を送っていた。
さすがにこの状況に師匠だけが物体Xを飲み、俺が飲まないと後が怖いので、こちらも一気に物体Xを呷ぎ、飲み干した。
久しぶりに飲んだ物体Xやはりドロッとしていて、苦味、臭み、エグ味、辛味、酸味が口の中で混ざり合いながらも反発しあっている味で、喉に絡んで最後まで気持ちが悪いものだった。
「ふぅ~久しぶりに飲むと結構キツイですね。それでブロド師匠、これから龍の谷の麓という、竜種がたくさんいるところへ行くことになったんですが、きっとそこで修行することになるので、良かったら同行しませんか? もちろんギルドの仕事もあるでしょうから、無理はしなくていいですけど……」
周りからは平然としている俺を化け物扱いする声も上がったが、顔は覚えたので、後でお話しをしようと思う。
「ウプッ行グゾォ、行くに決まっている」
師匠はまだ返事をするのがきつかったようだけど、どうやらついて来るらしい。
これだけ喰いつくのなら、メラトニへ寄ったのは正解だったらしい。
俺がそう安堵すると、その直後、俺の知っている声が食堂に響き渡った。
「ルシエル君、そこには私達も同行させてほしい」
声が聞こえた食堂入り口には、ルミナさんを始めとした
お読みいただきありがとうございます。
夏バテしないようにこまめに水分補給しましょう。
夏場の物体Xは臭いが増しますので、取り扱いには十分注意しましょう。