【芸能・社会】大借金、大やけど、大バッシング 歌手三田明が波乱の半生語る2019年9月26日 15時15分
27日に埼玉・越谷市で開催される「永遠の昭和ヒット歌謡オンステージ ムード歌謡と青春の流行歌」に出演する歌手の三田明(72)。初めてオーディション番組から人気アイドルとなりながら、事務所倒産で大借金、ハイジャック事件、顔面大やけどと非運の連続。それでも半世紀以上にわたって歌い続けた、その原動力となった思いを聞いた。(中林康彦) 「だ、誰もいません! 事務所はもぬけの殻」 泣きだしそうな顔で報告するマネジャーに、三田はかける言葉もなかった。1971年、日劇でワンマンショーをやった打ち上げの席。来ない事務所関係者をいぶかり、呼びに行かせたところだった。「それって倒産か?」。所属する東洋企画の無謀な不動産投資が原因。芸名「三田」のハンコで各芸能事務所から借りまくっていた。 「僕が責任を負う義務はない。でも、すでに先のスケジュールはいっぱいで、お客さんが待ってくれていた」 渡辺プロの渡辺晋社長が債権者をまとめてくれた。三田が返すなら1億以上ある負債を半額にして仕事も世話する。背負わないなら、芸能界から足を洗え―。 「それまで言われるままにやっていた仕事だった。ファンのことをまず考え、提案を受けた。このとき、僕はやっとプロになったんだと思う。プロの歌手としてやっていく決意が固まった」 47年、東京都北多摩郡小渕町(現昭島市)に生まれた。父は大工の棟梁(とうりょう)、8人兄弟の末っ子。中学2年、兄が勝手に出したハガキで「わけ分からぬまま日本テレビのオーディション番組に合格」。言われるまま、1年もたたず「美しい十代」でデビュー。テレビ局の歌番組と地方公演を走り回る日々。「楽屋入りする車が囲まれてボコボコにされたり、超満員で会場のドアが壊れるのは日常茶飯事だった」 借金も数年で完済。ところが72年11月、乗り合わせた日航機でハイジャック事件に遭遇。解放後の会見に「寝ていたから分からない」と答えたのがバッシングの対象に。「事件は機内アナウンスで知ってたけど、僕は後部座席で分からず答えられなかった」。79年は調理中に油を顔に浴びる大事故。「手術をしなくて済み、化粧すれば分からないまでに回復した」が、下降運の流れは止まらなかった。 80年代は活躍の軸を時代劇に。そんな三田を歌の世界に戻してくれたのが“四天王”としてライバル視された舟木一夫(74)と西郷輝彦(72)。「ビッグ3コンサート」としてかつてのファンの前で歌った。「ステージを終えて家に帰ると、震えるほど喜びがあふれてきた。僕は歌が好き、歌うことが大好きなんだと分かった」 来年は作曲した新曲をリリースする。「テーマは『お母さんの手』。僕を育ててくれたのは昭和のファン、そしてお母さん。感謝の気持ちを歌で伝えたいと思ってます」 ◆「永遠の昭和ヒット歌謡オンステージ」(27日・昼の部12時・夜の部17時、サンシティ越谷市民大ホール)出演=三田明、日野美歌、純烈、椎名佐千子、タブレット純
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