270 介入
イリマシア帝国とルーブルク王国の争いが始まってから既に十年近く小競り合いを繰り返している。
当初ライオネルが各地を転戦していたこともあり、戦力は拮抗していたのだが、ライオネルが参戦すると徐々にルーブルク王国軍は押され始め、帝国の侵攻を許していった。
しかし前皇帝が崩御したことにより、戦争は一時中断され、小競り合いが続いていくだけとなった。
そして新皇帝となった現在の皇帝が地盤を固めた後、再度ルーブルク王国への侵攻を指示し、再び両国の争いが始まった。
今度は最初からライオネルが帝国軍の総大将としてルーブルク王国へと侵攻したため、ルーブルク王国の前線にあった幾つかの村や町、砦を奪っていった。
しかし勢いに乗って攻めていたはずの帝国軍がいきなりその侵攻を止めた。
おかしいと思った王国軍は帝国軍に密偵を送り込み、その情報を待った。
そしてライオネルが戦場から消えたことが判明したのだった。
一か八かで王国軍は帝国軍へと総攻撃を開始すると、帝国は攻めて来た時とは違い、士気が低く簡単に押し返されてしまう。
それどころか奪った領地を奪い返される事態にまで発展してしまう。
だが帝国もそのまま簡単に引き下がることはなかった。
ここで戦場に送られたのが、クラウドが魔族化させた帝国特殊部隊だった。
このことは帝国内部でも知る者は限られており、軍を指揮していた者達ですら魔族化した兵士だと知っている者はいなかった。
魔族化した兵士達が戦場に出ると、押されていた形勢が再び逆転することになったのだが……。
早朝、イリマシア帝国が築いた砦から何度も爆発音が鳴り響き、無数の黒煙が立ち上った。
クラウドが隷属させていた魔族化した兵士達が突如苦しみ出すと、完全に理性を無くして暴走。無差別に近くにいる者達へと襲い掛かったのだった。
時を同じくして、様子がおかしいと気がついた王国軍は直ぐに密偵を帝国軍へ放つことにしたらしいのだが、これを若い騎士が止めたらしい。
「その必要はありません。既に諜報活動を終えています。どうやらあの化け物のように強かった者達が無差別に暴れているようです。ここが勝機です」
その騎士は上層部に入ったばかりだったが、上層部からの信頼が厚かったためにその進言が採用されてしまった。
そして王国軍が砦に攻め入ったらしい。
ここまでが先程翼竜部隊の奴隷商人から聞いた話だ。
若き騎士が何者なのかは少し気になるが、それよりも王国軍の情報は帝国軍に筒抜けだったという事実と帝国の諜報部隊のレベルが高いことに驚いた。
ちなみにライオネルが連れて来たのは皇帝と殿下だけでなく、メルフィナ、ライザック、グラディス、それとその話をした奴隷商人も一緒だった。
奴隷商人は戦場の正確な位置を知るためのナビとして、病み上がりのメルフィナは殿下が、ライザックは命の危機を感じて、グラディスはライオネルの背中を見るために飛行艇に乗ったらしい。
色々言いたいことはあったが、皇帝達を連れていく理由は戦争を収束させるためだと言うのだから折れることにした。
そして俺は現在、飛行艇の上でフォレノワールに跨りながら待機していた。
「……うまくやれるかな?」
「ブゥルルルルル」
「良ければ念話でお願いします」
『私がいるんだから大丈夫よ。本当に周りから人がいなくなると弱気になるんだから……』
フォレノワールは飽きれたと言わんばかりの口調だった。
「本当に弱い姿を見せられるのはフォレノワールと師匠達ぐらいだよ。今だって逃げ出したい気分だよ」
『はぁ~別に弱い姿を見せた方がいいとは言わないけど、もっと仲間を信頼なさい。それとこの際だからハッキリ言ってあげるけど、あまり偉ぶった態度は良くないわ』
「えっと……」
『もしかして気がついていないの? 最近口調がどんどん厳しくなっているし、人に頼るのも命令口調になっているのよ』
「……」
……もしかして典型的な嫌われる上司のパターンに染まりつつあるのか……。
そうなら本当にショックだけど、力を取り戻すと何でもお見通しとか、フォレノーワルはやっぱり凄い精霊なんだな。
『群れを引っ張るには強い力が必要だけど、力の定義は色々あるのでしょう? この戦いが終わったらもう少し素直になって、自分自身を見失わないうちに、きちんと自分と向き合ってみなさい』
自分と向き合う……か。
「……ありがとう」
とても言葉だけでは感謝が足りないと思いながら、俺はフォレノワールにそう告げた。
『お礼は不用よ。対価として魔力をもらうもの』
どうやら有料相談だったらしい。
俺は苦笑しながらそれを了承するが、この後のことが不安になったので、一言加える。
「勢い余って殺さないように頼むよ」
『分かっているわ。翼竜を落とした時に力の使い方もほとんど思い出したから安心して』
「ああ。よろしく頼むよフォレノワール」
お礼を言いながら考える。
確かに俺はこの世界に来てから相談というものを一度も受けたことがなかったと思う。
それは若いこともあるが、頼りない印象を与えていたからだと思っていたけど、色々あり過ぎて余裕がなくなった俺よりも、相談に適した相手は俺の周りにたくさんいたからな。
自分自身を見失わないうちに……か。
少しだけ気持ちが軽くなったところで魔通玉から通信が入った。
『ルシエル様、そろそろ戦場が見えてきます。危険な役回りをさせて申し訳ありませんが、よろしくお願いします』
「こちらには頼もしい相棒もいるから大丈夫。ライオネルも戦鬼将軍としてキッチリ帝国軍をまとめ上げると信じている」
『はっ』
ライオネルの通信が入って間もなく、戦場が見えてきた。
奴隷商人の情報通り、イリマシア帝国軍とルーブルク王国軍は既に激しい戦闘を開始していた。
「これは骨が折れそうだな……。ドラン主砲の準備は?」
『いつでも放てるぞ』
「目標はこの先にある山だ。絶対にあの戦場には撃つなよ。リィナとナーニャにも翼竜と魔物以外は絶対に撃つなと言っておいてくれ」
『任された』
「目標、前方に見える山……主砲、放て!!」
『魔力充填八十パーセント、主砲発射じゃ!』
飛行艇が赤く光り出した直後、飛行艇の光が前方に流れていき魔法陣が形成されていく。
そして魔法陣が完成すると、魔法陣の中央に光が収束していき目標の山へ向けて光が一直線に延びていった。
『しっかりと捕まっていなさい』
フォレノワールが空へと飛翔を開始した直後、山に直撃した主砲が戦場に爆音と爆風をもたらし、戦場の動きを完全に止めた。
そして視線を山とそれを放ったであろう飛行艇に目を向けて固まっていた。
それを見ながら一気に降下を始めたフォレノワールを見て、視線が俺へと向けられたのを感じる。
俺は目標に向けて幻想杖構え、魔力結晶球を使いながら、ありったけの魔力を込めて詠唱を開始した。
【聖龍よ、全てを解き放つ光となって呪い、穢れの全てを呑み込め、そして悪しき魂には救済の浄化を】
幻想杖に魔力を込め続け、そして聖龍が下からも視認出来る大きさとなってから放った。
両軍、それに魔族化した特殊部隊の誰一人として空からの介入を想像していなかったのだろう。
巨大な聖龍が襲い掛かって来ても帝国軍、王国軍、特殊部隊関係なく、動ける者はいなかった。
俺はさらに追加の聖龍を放っていく。
そこでようやく聖龍から逃げ惑う者達が現れたのだが、聖龍はそれらを容赦なく飲み込んでいった。
『来たわね』
本能故の行動なのか、まだ飲み込まれていなかった特殊部隊の面々がこちらへと接近してきた。
大人しく飲み込まれれば痛みを負うこともなかったのに、本当に不運だな。
魔族化した兵士達は魔法を放ったり、そこらに落ちている武器を投擲してくるが、フォレノワールに直撃することはない。
全て躱した上でさらに接近したところで、フォレノワールの狙いすましたレーザ光線が特殊部隊員達を貫き、そこへやってきた聖龍に飲み込まれていった。
「魔族化した兵士の撃ち漏らしはないよな?」
『見えていないだけかもしれないけど、その反応はないと思う。空へ戻る?』
「いや、このままルーブルク王国軍の本陣へ向かってほしい」
『危険よ?』
「帝国はライオネルに任せたし、仮にルーブルク王国が攻撃してきたとしても、守ってくれるだろ?」
『攻撃してきたら、攻撃してもいいのよね?』
何故か少し嬉しそうなのは、気のせいだと思いたい。
「殺さない程度にお願いします」
『分かっているわ』
そしてフォレノワールは一度も地面に着地せず、ルーブルク王国軍の本陣を目指し、空を駆け上がっていく。
ある程度の高さまで飛翔すると、両軍は異変に気がつき始めていた。
正気を失っていた魔族化した兵士達は魔族化して身体が元の姿に戻っており、理性を取り戻しているし、両軍で聖龍に飲み込まれた者達は部位欠損を除く全ての傷が癒えていたのだから当然ともいえる。
『ところで、そろそろ名乗りは上げなくてもいいの?』
「うん、ちょうどいいかもね。戦場も止まったままだし、皆がこちらに注目しているみたいだから、そろそろ介入した理由を宣言するかな」
俺は魔法袋から拡声する魔道具を取り出した。
まさかライオネルが帝都で使うことになる予定の物を、俺が戦場で使うことになるとは思わなかったけど、これこそ備えあれば憂いなしだな。
苦笑しながら、名乗りを上げる。
「私の名はルシエル。元S級治癒士で、現在は賢者をしています」
名乗りを上げたが反応が乏しい。
「戦争に介入するのは無粋だと思いましたが、帝国の闇である研究機関が人族を魔族化させるという恐ろしい禁忌に触れたので、本日早朝に帝国の研究機関は潰し、その責任者も魔族化していたため討伐させてもらいました」
ざわざわし始める。
帝国軍はまさか帝国に乗り込まれたとは思えないのだろう。
そして王国軍は魔族が暴走した理由を聞いて驚いているようだった。
「だけど、これで全ての魔族と魔族化して兵士達がいなくなり、脅威が去った訳ではありません。同じ研究を進めている国があるらしく、それが本当なら人類の脅威となる芽を摘み取らねばなりません」
どうやら攻撃してくる者はいないみたいだな。
そんな時にネルダールで会ったウィズダム卿が見えたのだが、何故か苦笑いを浮かべていた。
それが少しだけ気にはなったけど、もはや演説になってしまった名乗りを続ける。
「そのため禁忌の法である魔族化を研究、そして実行した帝国にはその責任を取ってもらうため、防衛以外の全戦闘を禁止してもらうことにしました」
その直後、俺とフォレノワールを狙った攻撃が幾つか放たれたが、もちろん当たることなく、ライオネルの持ってきた終息させる条件をルーブルク王国軍へ言い放つ。
「現在、帝国はルーブルク王国と停戦する用意があります。その証拠にイリマシア帝国皇帝と第一後継者のアルベルト殿下をこの戦場に連れて来ています」
すると、一斉に攻撃が止まる。
そしてその時を見計らって、帝国軍の砦からは退却の合図である銅鑼が鳴り出し、帝国兵は引いていく。
そこへ下から声が掛けられた。
「ルシエル様、説明をお願いしてもよろしいですか」
「ええ。ウィズダム卿も無関係ではありませんからね。でもその前にまずは王国軍の総大将と話をさせてください」
「分かりました。それより降りて来ないんですか?」
「私は小心者なので、こんなに大勢に囲まれたら委縮してしまいますよ」
それにまだ何が起こるか分からないしな。
「分かりました。それでは全軍退却する。速やかに行動しろ」
すると兵士達は一斉に退却を開始した。
俺が呆けてその光景を見ていると、やはりウィズダム卿は苦笑しながら言った。
「総大将は別にいますが、この軍を仕切っているのは私なんですよ」
「……出世したんだね」
俺はそう告げながら、ウィズダム卿が中々やり手だということを知るのだった。
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