267 アルべルト表と裏の顔
皇帝の処理はライオネルに任せよう。
それよりも問題は腰を抜かしているアルベルト殿下だ。
ライオネルを先生というのだから武術を教えていたのだろうけど、正直に言ってその面影はまるでない。
ただ俺が殴り飛ばした皇帝を見て震えているだけだった。
追い打ちを掛けるようで悪いが、放心状態のアルベルト殿下に言っておかなければならないことを伝えることにする。
「アルベルト殿下、ライオネルは……ここにいる私の仲間達は皆家族であり、友であり、従者なのです。ですから帝国に仕えることはありません」
「そ、それは困る。それなら皇帝になるまではの間だけでも構わない。どうかどうか……」
縋りつくような目をしながら、何度も頭を下げる殿下なのだが、彼は本当に本当に皇帝となることが出来るのだろうか? 疑問に思ってしまう。
今回は利害が一致して共闘のような形……にもなっていない……それどころか誘導にもならず足を引っ張られる始末。
さらにアルベルト殿下が宰相に任命しようとしていたライザックはクラウドに寝返り、同行したレジスタンスは魔族化されたか拘束されてしまったかだろう。
如何にエビーザにレジスタンスの本拠地があるからといっても、今までは分かりやすく皇帝という目標があったからアルベルト殿下という神輿を担いでくれたのだ。
だけどそれが現実になったところで利権を奪おうとする者達が必ず出てくるだろう。
そうなった場合、アルベルト殿下は止めることが出来るのだろうか? 仮に元聖女のメルフィナさん、裏切りの宰相ライザック、あとはライオネルの子息であるグラディス殿が帝国の主要ポストに就くと仮定する。
そうなれば今まで皇帝の威光により何とか帝国に踏み止まり支えてきた者達がどう思うのかは明白だ。
現在帝国を切り盛りしている宰相や各部門のトップとその次点にいる者はそのままのポストを要求してくるだろう。
その対処を少しでも間違えればストライキ、もしくは反乱が起こるだろう。
仮に見せしめとして不穏分子の始末をしたとしても、今度は善政を敷いていた前皇帝の復帰論が加速してしまい、帝国は混沌としていくだろう。
それを喜ぶのは他国だけだが、これはまだいい方向に考えた場合だ。
アルベルト殿下が皇帝に即位した場合、周辺国との前線は維持したままにするのだろうか? それとも指揮をしている主だった将だけを集めるのだろうか? そうなれば拮抗している前線は崩れる可能性もある。
例えばその前にルーブルク王国との停戦協定を結ぼうとした場合、ルーブルク王国も疲弊はしているだろうけど、攻めるには絶好の機会と捉え強気の交渉をしてくるだろう。
そうなれば前線で戦っている将や兵を一度帝国に引き上げなければいけないし、それどころかライオネルがいた頃からだいぶ領地を吸収していることを考えると、奪い取った領地の返還要求がなされることなど目に見るより明らかだ。
それは帝国軍人達の血と汗と涙と魂で勝ち取ったものだ。
それを即位したばかりの皇帝が了承しようものなら、アルベルト殿下は間違いなく失脚がするか、場合によっては直ぐに暗殺されることになるだろう。
この縋りつくような目をするアルベルト殿下が、そこまでのことを考えた上で行動してきているなら良かったのだが、ライザック達に担がれ、そのレジスタンスの行動方針が自分の考えとして刷り込んでしまったのか、刷り込まれてしまったのか……。
これが芝居で一気に大陸統一を目指す覇王的思想の持ち主だったら、まだ帝国はまとまるんだろうけど……。
「アルベルト殿下、私は貴方の臣下ではないので多くは語れませんが、命は大事にですよ。貴方が現在の皇帝から何故政権を奪いたかったのか、それを成功させた場合に生じる問題とその対処、リスクを負ってまで描いた帝国の未来に期待だけさせてもらいます」
帝国の問題は帝国が解決するしかない。
空気が読めず、だいぶお花畑なところがあるけど、平和を愛する人であるなら命は大事にしてほしいな。
絶望という言葉を体現した顔をして固まるアルベルト殿下から、視線を皇帝とライオネルの方へ向けると、その側にはエスティアがいた。
そして霧のようなものが皇帝にかかるのを待ってから、ライオネルは皇帝を拘束しているようだった。
あっちは任せても大丈夫だろう。
ようやくこれで俺達の帝国でするべきことは終わったかな……と、思いたいけど、あとどれぐらいの魔族化した兵がいるのかをはっきりさせておかないとな……。
すべてが終わる前に安心して油断すると、思わぬところで足元を救われてしまう可能性だってあるからな……前世みたいに。
あれは本当にイレギュラーだったと思うけど……。
まぁともかく、魔族や魔族化に関して一番情報を持っていたであろクラウドから聞くことは出来ないけど、バザック氏を始めとする隠者の棺で眠る皆の意識が戻れば、そこも解決はしていくだろう。
アルベルト殿下が精神的に不味そうなので、殿下の意識を帝国から身近なものへとすり替えることにした。
「ところで殿下、メルフィナさん達のことですが……」
「める、メルフィナ?」
どうやら効果は抜群だったようだ。
「はい。一時期魔族に意識が乗っ取られていましたが、今は快方に向かっていると思いますが、身柄はどのようにしますか?」
「メルフィナは本当にメルフィナなのか? さっきみたいな魔族になっていたりは?」
「分かりません。ですが、その可能性は低いと思います」
「そ、そうか」
どうやらあの人格のメルフィナさんを受け入れるのはきつかったみたいだ。
モヤモヤするって言われてショックを受けていたしな。
ここはメルフィナさんを使って少しだけ発奮してもらうか。
「殿下の今のお姿をメルフィナさんがどう思われるか、考えられておいた方がいいと思いますよ」
「……」
「この場に殿下の味方は一人もいません。それでも色々と周りを動かして殿下はここにいる。それをどのように見せるかで、人の印象は大きき変わるものです」
「私にそれが……」
「もう一度言いましょう。私達は陛下の臣下でも味方ではありません。ですからこれ以上の口出しはいたしません……」
元気になった顔がどんどん沈んでいく。少しは腹芸も覚えた方がいいと思う。
「……ですが、メルフィナさんを含め、バザック氏の偽物であったライザック、それにグラディス殿もこちらで聞きたいことをを聞いたら帝国へ……殿下へお返しします。陛下は臣下とともに帝国を盛り立てて行ってください」
「私の……」
殿下は俯きながら、呟き始めた。
そこへタイミングがいいのか悪いのか、グラディス殿とメルフィナさんが一緒に隠者の棺から出てきた。
「ここは……あ、アルベルト殿下!? それに賢者」
「……アルベルト殿下……」
グラディス殿はライオネルが気絶させただけだから、結構早く気がつくとは思っていたけど、メルフィナさんがこれだけ早く復活するとは思っていなかった。
「メルフィナ、それにグラディス無事だったか」
アルベルト殿下は直ぐ立ち上がり、出会った頃のように少し落ち着いた印象を取り戻していた。
……ここまで変わる怖いぞ。
その時、メルフィナさんが膝が抜けたかのように、いきなり崩れ倒れる。
それをアルベルト殿下がしっかりと抱きかかえる。
「賢者殿、これはメルフィナは治ったんじゃなかったのか?」
「意識を魔族に取られた後に治療したことはありません。ですが、意識がまだはっきりとしていないのに、隠者の棺から出てきたにはそれなりに理由があるのではないですか?」
俺も本当に吃驚している。
メルフィナさんが出てきたのは、もしかするとアルベルト殿下を……。
その様子を見守り落ち着いたところで、グラディス殿が口を開いた。
「殿下、ここは何処なのでしょう?」
「ここは陛下の寝所だ。先程共闘していた彼らが皇帝を倒し、これから私が新しい帝国を築いていくことになるだろう。グラディスも力を貸してくれるな」
本当に先程までとは別人みたいに自身が溢れ出ている感じがする。
「……私は父であり、帝国の将軍を暗殺しようとしたのです。軍規に当てはめれば打ち首です。ですから出来ればこの首をお切りください」
「それについては恩赦を与えることする。共闘した先生もそれを望んでおられるだろうしな。後ほど先生と話してみるといいだろう」
「……はっ」
「……アルベルト殿下……」
メルフィナさんは意識がまだ朦朧としているのか、アルベルト殿下の名前を仕切りに呼んでいる。
「メルフィナ、私はここにいるぞ。これから新しい帝国を築くのだから、メルフィナにはこのままずっと側にいてもらうぞ」
「……アルベルト殿下……」
とりあえず殿下の方は放っておくことにして、俺はグラディス殿に声を掛けた。
「グラディス殿、グラディス殿が知っている帝国で起こっていた情報を全て教えてください。これ以上魔族の力で帝国が狂わないうちに」
「分かりました。償いにならないでしょうが、私が知っているすべてをお話しましょう」
それから皇帝陛下を捕縛したライオネルがやって来て、寝所から場所を移して話を聞くことになった。
その時のグラディス殿が、まるで悪いことをして怒られることを待っているようで、少しだけ笑ってしまいそうになったのは、仕方ないことだろう。
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