266 棚から牡丹餅
まだこの世界に来てから間もない頃、師匠が瞬間移動したかのように俺の背後へと回り込むということが何度もあったが、それは超高速の
しかし皇帝は本当に何の予備動作もないまま、ライオネルの後方に現れ、瘴気を纏った腕をライオネルに向けて伸ばした。
ジュウウウっという肉が焼けるような音とともに、皇帝が伸ばした右手がライオネルに触れることなく、青白い炎に焼かれた……直後、ヒュンという風切り音が聞こえたと同時にその腕が床へ転がった。
「……昔から注意していたはずです。奇襲をする時は攻撃のタイミングを知られてはならないと。攻撃を塞がれた場合の想定をしておくことと。新しい力に振り回されてはいけないと」
「グヅゥ」
皇帝は元々自分が立っていた場所へ転移すると、右腕を失った痛みからその場で膝を突いた。
そんな皇帝よりも、ライオネルが切り落とした皇帝の右腕の方が気になっていた。
先程”その力を寄越せ”そう言って皇帝はライオネルに腕を伸ばした。
しかも瞬間移動ならぬ転移と思われる魔法? を使用していた。
とても嫌な予感が脳裏に浮かぶ。だからこそ念には念を入れようと俺は決断した。
皇帝から切り離されたものであれば勝敗に直接関係ないだろう。
あったとしても危険過ぎるそれをそのままにしておくことなんて甘えた選択肢を残すなんてありえなかった。
「【聖龍よ 悪しき魔の籠ったかけらを浄化し、滅せよ】」
幻想杖から飛び出した龍が皇帝の右腕に喰らい付くと思いがけないことが起こる。
「ぎゃあああああ」
と、まるで断末魔がその右腕から聞こえて、青白い炎に焼かれて灰も残さずに消えた。
「き、貴様、なんてことをしてくれたのだ!!」
その光景を黙って見ていた皇帝が我に返ると、斬られた腕の痛みよりも右腕を消失した怒りの方が勝ったらしく、立ち上がってからこちらへ向かって叫んだ。
「あれが何であったにせよ、とても嫌な感じがしたから消させてもらいました。ライオネルとの勝敗には関係ないのだから問題はないですよね」
「貴様か、貴様がライオネルを復活させ、いつも我の覇道の邪魔ばかりする治癒士か」
どうやら皇帝は今度こそ俺を視界に捉えたのだが、先程まで感じていた変な感じは一切しなくなっていた。
少し余裕の出てきた俺は自己紹介することにする。
「失礼しました。そういえば自己紹介が済んでおりませんでした。私はルシエルと申します。正確には賢者をさせていただいおり、現在ライオネル達に力を貸していただいている立場にいます」
「そんなことどうでもいいわ!! 貴様は何を滅したのか分かっているのか?」
自己紹介をそんなこと呼ばわりされると些か傷つくが、どうやらあの切り落とされた右腕が皇帝の奥の手だったらしい。
「さぁ? 断末魔を上げる右腕には吃驚しましたが、皆目見当がつきません」
本当に分からないし、きっと碌でもないことなのだろう。俺は速やかに聖龍の力を身体に纏わせる。
先のことを考えると残りの魔力が少し心許ないが、いつもより直感が働いていたのだ。
「あれは他者の力を奪い取る魔王を封印し、異世界の技術で移植させた我の切り札だったのだぞ。それをよくも――」
とても恨みが籠った目でこちらを睨んでいるが、そんな些細なことは、もうどうでも良かった。
どうやら自称魔王でチート能力を持っていた魔族を倒してしまったらしい……。
あの嫌な感じはもしかすると覇運先生が敵になりそうな潜在能力を持つ存在を直感で教えてくれたのではないだろうか?
これでようやく世界が平和になって、平穏な日常が……訪れればいいけど、そう簡単にはいかないんだろうな……。
はぁ~、あの右腕の使い道を聞いて[時空間属性]を得ていた転生者の末路に気がついた。
俺はそれを確かめるために皇帝に疑問をぶつける。
「もしかしてその転移は?」
「転生者から奪ったに決まっているだろうが……我の覇道のためであれば、転生者など珍しい能力を生み出す道具でしかないわ。それよりも貴様だけは絶対に許さんぞ」
転生者を道具扱いか……。まぁ転生者の大半ももっと自重した方がいいと思うけど……。
そこで再びライオネルが間に割って入り、口を開く。
「ルシエル様、ここは任せていただきます。陛下の相手は私のはず。そして陛下が間違った道を進むのであれば、止めるのが臣下としての務め。これが最後の奉公です」
ライオネルはそう言って炎の大剣を構え、皇帝も左手に剣を構えた。
だが、さらにここで声が上がる。
「せ、先生、陛下はもう虫の息です。もはや殺さずに幽閉するだけでよいではありませんか?」
アルベルト殿下がここでも場違いの発言をするので見てみると、顔が青褪めて……いや、血の気が完全に引いて白くなっていた。
皇帝を退位させ、自らが皇帝を名乗るのだとばかり思っていたが、肉親の情でも湧いたのだろうか? それとも本当に皇帝となってしまう、その現実味が増したことで、ビビッてしまったのだろうか?
ライオネルはアルベルト殿下の真意を探るべく、問うことにしたらしい。
そして皇帝もまた剣は構えたままでアルベルト殿下へと目を向けていた。
「アルベルト殿下……貴方様は何故レジスタンスを率いて帝国へ攻め入っていたのですか? 陛下を打ち倒すため……ですよね?」
「そ、それは……」
何だろう? エビーザで話していた頃とは全然違う? そういえば、そもそも偽バザック氏であったライザックが基本方針を話していたが、まさかな……。
「勝てない戦争をして住民に重税を課すことや、武力に秀でた者のみを優遇し、文官たちを冷遇し始めていること、違法奴隷商人達から違法奴隷の解放、帝都で好き勝手する兵士への裁き、無実の罪で投獄された者達の解放、それをなすことが目的だったのですよね? そのかじ取りをするのは一体どなたなんですか?」
ライオネルはレジスタンスの基本方針をそのまま持ち出した。
しかし今にして思えば、ライザックが中心となって基本方針を決めたのだろう。そのライザックは途中から敵陣営だったのだから道化もいいところだ。
まぁここでブレることなく、基本方針を貫くのであれば、軍事力は落ちても住みやすい国になるだろう。
「わ、私は帝国民がこれ以上傷つくところを見たくないのです。ですから陛下、私に譲位してください」
「欲しければ自分の手で奪ってみるがいい」
「それほどの決意があるのなら、殿下が陛下を討ち取られますか?」
ベテラン二人に新人がいびられている、そんな構図となってしまった。
「だ、だから幽閉でいいではないか。陛下は忙しすぎて錯乱してしまっているだけなのだ。ライオネルも帰って来て国を盛り立ててくれ」
一人だけ役者が違い過ぎている。そう言わざるを得ない感じだった。
なんと表現すれば良いのだろうか?アルベルト殿下の頭はお花畑で平和そうだった。
アルベルト殿下が叫ぶように声を上げたところで、それに皇帝がキレた。
「だから貴様はダメなのだ、目標も覚悟もなく、努力もしない。そんな屑に我が大きく躍進させたこの帝国を託す訳がないであろう。情けで廃嫡するだけで済ませていたものを……もう良い。貴様は死ね」
色々残念なアルベルト殿下は置いておいて、皇帝は必ず転移魔法を使ってくるだろうと山を張り、俺は目を瞑り魔力の一瞬の揺らぎに全神経を注ぐ。
そして予想通り怒りの矛先は全てを台無しにした俺のところへとやってきた。
ライオネルには悪いけど、死にたくないから精一杯の抵抗を試みる。
「【雷龍よ、全てを置き去れ そして迸る雷撃で相手の自由を奪え】」
あと数センチというところで、皇帝の振るった刃を避けながら、カウンターで腹部に一撃を入れた。
そして打撃によって皇帝の身体が浮いたことを確認した俺は龍の力を解いて、地面に膝を突く。
「枯渇スレスレだ。ライオネル、本当にあとは全て任せてもいいかな?」
情けなく笑いながら、ライオネルに声を掛けると、ライオネルも苦笑しながら了承してくれた。
そして俺の視線の先には吹っ飛んだ皇帝へと目を向けながら、腰を抜かしているアルベルト殿下の姿があった。
お読みいただきありがとう御座います。