加計学園 行政は歪められたのか? 中

日大総長「加計、ろくな教育できぬ」
 愛媛県知事「あなた作ってくれるか?」

 安倍は25年12月、「岩盤規制をドリルで破る」というスローガンを打ち出し、構造改革特区を国家戦略特区に衣替えした。27年6月、愛媛県と今治市が16回目の申請をすると、国家戦略特区ワーキンググループ(WG)が実現に向け一気に動き出した。
 絶体絶命に追い込まれた獣医師会がすがったのはまたもや「政治力」だった。
 北村と前地方創生担当相の石破茂は昭和61年の初当選同期。しかも政治改革などで行動をともにした旧知の間柄だ。日本獣医師政治運盟は自民党が政権奪還した直後の平成24年12月27日、幹事長に就任した石破の「自民党烏取県第1選挙区支部」に100万円を献金している。蔵内も長く福岡県議を務め、副総理兼財務相で自民党獣医師問題議連会長の麻生太郎や、元自民党幹事長の古賀誠ら政界に太いバイプを有する。
 北村らは石破らの説得工作を続けた結果、4条件の盛り込みに成功した。

 第1次安倍晋三政権当時の平成19年2月。東京・赤坂の料亭「佐籐」で、日本獣医師会顧問で元衆院議員の北村直人は、学校法人「加計学園」(岡山市)理事の加計孝太郎と向き合っていた。
「愛媛で獣医の大学を作りたいんですよ。ぜひ協力してくれませんか?」
 加計がこう切り出すと、北村は強い口調で「なぜそんなことを言い出すんですか?」と聞き返した。
 加計が「息子の鹿児島大獣医学科の入学式に行き、設備をみたら20億〜30億円でできそうなんですよ」と説明すると、北村は怒気をはらんだ声でこう説いた。
「そんな動機で獣医学科を作りたいなんて、とんでもない話だ。獣医学部創設には500億円はかかりますよ。教育を金もうけに使われたらたまらない。やめた方がいい」
 さらに北村が「親しい政治家はいるんですか」と問うと、加計はこう答えた。
「強いていえば安倍首相ですが……」
 北村の脳裏に、安倍への疑念が刻まれた瞬間だった。北村は今も「全ては加計学園ありきなんだ」と息巻く。
 だが、愛媛県今治市に加計学園が運営する岡山理科大の獣医学部を新設する構想は、安倍と加計の親交とは全く無関係の切なる地元事情から始まっていた。

偏在の獣医学部「東」8割、「西」2割

 昭和50年、今治市は高等教育機関を誘致する学園都市構想を打ち出した。タオル産業の哀退などにより、人口減が続く地域を活性化させることが目的だった。松山大や東海大などの名も挙がったが、いずれも誘致には至らなかった。
 加計学園の名前が浮上したのは平成17年の正月だった。今治市選出の愛媛県議、本宮勇は市内の友人宅で、小学校から高校まで同級生だった加計学園事務局長と久々に再会した。本宮はこう水を向けた——今治市で大学を誘致しているがどこも来てくれないんだ。お前のところの大学が来てくれないか?」
 だが、事務局長は「少子化の時代に地方に大学を進出させるのは難しい」と首を縦に振らなかった。それでも本宮はあきらめず、その後も説得を続けた。事務局長はついに根負けして「人気があり、競争率の高い獣医学部だったら考えてもいいよ」と応じた。
 同じ頃、知事の加戸守行は県内の公務員獣医師の不足に頭を悩ませていた。
 11年の知事就任後、鳥インフルエンザなどの家畜伝染病が相次いだ。22年に口蹄疫が発生した際には各港で検疫態勢をとり、四国ヘの侵入は水際で阻止したが、獣医師たちに不眠不休の対応を強いねばならなかった。
 そんな中、本宮がもたらした加計学園による獣医学部新設の話は願ってもない朗報だった。加戸は「地域活性化と公務員獣医師確保ができ、一石二鳥じゃないか」と小躍りした。
 加戸の大号令の下で愛媛県と今治市は獣医学部新設に向け、タッグを組んだ。目をつけたのが、元首相の小泉純一郎が肝煎りで創設した構造改革特区だった。
 愛媛県と今治市は19年に構造改革特区に獣医学部新設を申請したが、あっさり却下された。農林水産省は「地域・分野に偏在はあるが獣医師は足りている」とにべもなく、文部科学省は、歯科医師や獣医師に関する大学設置を認めないとする「15年文科省告示」を盾に聞く耳さえ持たなかった。

 愛媛県と今治市はそれでもあきらめず、毎年のように特区申請を続けた。
 これに業を煮やしたのか、北村は22年春、獣医師会の権威で日大総長の酒井健夫と連れだって愛媛県庁の知事室に乗り込んだ。
「獣医学部を作るのなんかやめた方がいい。公務員獣医師の待遇をよくしたり、愛媛麿身の学生に奨学を出したりした方が安上がりですよ」
 北村がこう言うと、酒井は「奨学金をつけて東京まで学生を送ってくれたら日大で立派に育てて愛媛にお返ししますよ」と合いの手を入れた。
 加戸は「こっちは手当たり次第、獣医師を採用しても足りないんだ」と説明したが、2人は納得しない。酒井は「加計学園が獣医学部を作っても、どうせろくな教育はできっこないですよ」と言い放った。これにカチンときた加戸は怒りを隠さずこう迫った。
「こっちは別に加計学園でなくてもいいんだ。じゃあ、あなたのところで愛媛に第2獣医学部を作ってくれるか?」
 酒井と北村は押し黙ったままだった。

 加戸が獣医学部新設にこだわったのは、獣医学部・学科が東日本8割、西日本2割と偏在しているからだ。加戸は旧文部省出身で官房長まで務めた人物だ。文科省と日大、そして獣医師会の密接な関係は十分承知しているだけに、文科省や獣医師会の対応には怒りが収まらない。
「(現在のように)定員を水増しすれば、少ない教授で安上がりな授業ができる。ドル箱じゃないか。自分たちの大学で定員を増やすのはよいが、他の大学にはやらせない。商売敵ができるとおまんまの食い上げになるからじゃないのか」
 第2次安倍内閣の国家戦略特区により、ようやく風穴が開き、10年越しの悲願がかなった。にもかかわらず、獣医学部新設にからみ、あたかも不正があったかのように報じられるのは我慢できない。
「『加計学園ありき』と言われているが、愛媛県と今治市は10年以上前から『加計学園ありき』でやってきたんだ。本質の議論がなされないまま、獣医学部がおもちゃにされるのは甚だ残念だ」
 文科省から流出したとされる「首相の意向」などと記された文書に関しても加戸は「安倍さんと加計学園理事長が友達だと知っていたら、直訴してでも10年前に獣医学部を作ってもらっていたよ」と一笑に付す。
「行政が歪められたのではない。歪められていた行政が正されたんだ」