人気芸人のネタ | 世界はあたしのお庭なの

人気芸人のネタ

テーマ:My life

世の中って、何でこんなにアホばっか?
上部だけ見てんなや!ボケ!
と、ついつい朝から思ったわ。

あたしは芸人なんてほぼ知らん。
興味ないからねー。
お笑い見ないし。
そもそもテレビ観ない。
芸能人とかも基本的にはどうでもいい人間なので。
だけど一応ニュースとかは目を通すよ。

今朝もヤフーの見てたらこんな記事が…。
「大坂発言に非難」
なんのこっちゃ?と思って読んでみると、どうやら大坂さんをネタにしたものが不味かったらしい。
日焼けしている大坂さんには、漂白剤が必要とかなんとか。

あたし的には、他人をネタにする笑いは好きじゃない。
本人がいなくても仲間内でなら「あいつアホだよな!」、「ああいうところ馬鹿だよな!」と言うのは気にならないけど(むしろ楽しい)、面識が無かったり親しくなかったりする相手を取り上げて、話のネタにするのは好まない。
だから人の噂話も嫌い。
芸人さん達が大坂さんと親しくて、普段からネタで出したようなやり取りをしてるなら良いんじゃないの?と思うけど、面識ない親しくもないのなら、逆に自分らが知らない人に同じようなことをされたらどうなのよ?とは思う。


ただね、そういうこととは全く別に…。 
人種差別的行為だという批判コメントがあったようで。
それに対して、あたしは「ばっかじゃないの!!」って思ったんだよね。

日本は人種差別とは割りと距離がある国だけれど、日本だってないわけじゃない。
日本は人種差別的なものは少なくても、差別は呆れるほど沢山あるしね~。
まあ、今回は他の差別は置いておいて、人種差別に関して話そう。

大坂さんは、テニスで日焼けをしなくても元々肌の色が濃いよね。
世界にはそんな風に肌の色が濃い人もいれば、薄い人もいる、黄色味がかった人もいる。
同じ人種でも、一人一人を見たなら全く同じ人なんていないと思う。

人種差別の歴史は長い。
初めは人種差別ではなくて、人間同士の間で優劣をつけるために差別が始まったような気がする。
従える者、従う者のね。

昨日の記事でよーへいのことを少し書いた時、人間は元々動物と同じだったと書いた。
生き残るために、自分の力で戦って勝っていくってね。
初めは単純にそれだけだったと思うけれど、時代が進んでいく中で、自分の力を誇示するために、故意に優劣をつけようとする者が現れたのではないかと思う。

動物の場合は勝利を得たとしても、老いていく中で力は衰えていき、いつかは若く強い存在に命を奪われてしまう。
それが世の常で現実だよね。
だけど人間は違う。
老いても権力、財力を持ち続ける。
本来なら人間も動物と同じで、体力や知力等々が落ちていけば、そういったものを維持する能力は低下するから、失ったり減っていったりするのが当たり前なんだよ。
人間一人を見た場合、権力や財力等を持ち続けるための機能を永遠に維持し続けるのは不可能だってことは分かるからね。

だけど遥か昔の人間の中には、権力や財力等を維持し続けるために、人間の間にはっきりと優劣をつけ、自分が得た権力や財力を永遠に自分の物にするために、我が子や自分の息のかかったものに継がせるという行為を行い始めた者がいるんだよ。
自分の命が尽きたとしても、血や想いが途切れることが無いようにね。

人間の中にある欲は、人をあり方を大きく変えるエネルギーになる。
現代人は、いつも良い方に「想い」というものを考えてしまう癖があるようだけど、「想い」は「執念」でもあり、「執着」でもあり、「欲」でもあるんだよ。
決して綺麗な言葉だけで語られるようなものじゃないくらい、人を残忍にもしてしまうもの。
人を好きになって心が柔らかくなることもあれば、嫉妬に狂うこともあるでしょう。
「想い」には裏と表が存在するの。

人間が権力や財力等を維持するために人間間で優劣をつけるようになったのが、あたしは差別の始まりだと思ってる。
その優劣は、単純に権力が欲しいからとか、お金(穀物等)があったら楽だからといったような、上部の欲から生まれたものじゃない。
もっと心の深い所にある、生死に関わる欲からうまれたのじゃないかと思う。

現代の日本では想像しにくいけれど、人間の歴史は殺しあいの歴史だよ。
あたしの祖父や祖母の時代はそうだったし、父が生まれた日の半月前までは戦争中だった。
日本が戦争をしなくなってから、まだ100年も経ってない。
それがどういうことか分かる?
人間同士の長い長い争いの歴史の中で、奇跡のような時間だってことだよ。
当たり前に食べ物食べて、寝ているかもしれないけれど、今のこの環境は、人間の歴史の中では奇跡のような瞬間なんだよ。
分かんないでしょ。
考えたことも無いでしょ。
洒落にならないくらい恵まれてるってことを。

遠い昔に生きた人間が、権力や財力に固執したのは、死に対する大きな恐怖があったからじゃないと思う。
常に襲ってくる恐怖から、確かにはっきりと分かるように、身を守りたかったからだと思う。
人間の中にある「弱さ」という存在が、かつての人間を権力や財力等に固執させる道に進ませたのではないかと思う。
それが時代が移り変わるなかで変化していった。
人間が様々な物を作り出し始めると、生きる欲だけでなく物欲が生まれ、家族や友達、恋人という認識がはっきり出来てくると、他者に対する独占欲も生まれていった。
人の欲は時代によって変化を遂げ、その中で差別もまた変化していったんだよ。


「差別」は元を辿れば、人間の中にある「弱さ」が生んだもの。
人種差別もその一つ。

もしも「人種差別」という考えも、行為も無かったとしたなら、大坂さんの肌の色をネタにする行為自体生まれたかな?
大坂さんの肌の色をもしもネタにしたとして、それに対して差別だと感じる人はいたかな?
あたしはいないと思う。
人種差別という考えがあるからこそ生まれる行為であって、もしもそういったものが全く存在しなかったなら、たとえネタにしたとしても「白くなるかもね?」、「肌がダメになるでしょ!」程度のコメントしか無かったと思う。

そもそも黒い肌は好ましくない(肌の色を馬鹿にしている)という考え何処かにあるから、差別という発言が出てしまうわけで。
漂白=日焼けは肌環境に良くないという意味で取ったなら…批判じゃなく、「屋外でスポーツをする人が日焼けで肌を痛めないように、今よりもっと良い日焼け対策が出来るようになるといい」というような、未来的は意見が出ても良いはず。


日本人にはもっと広い視野で物事を見て、批判だけではなく、建設的な意見を出して欲しいと切に願うよ。
ただただ批判や非難で終わるもの、一方的な教えで終わるものには未来がない。
あたしは…本心はこんな記事を書いていたいわけじゃない。
それぞれが物事を常識や概念、自分の中にある思考だけで解釈せず、あり得ないと思う事すらあり得る事を前提として考えることが出来ているなら、こんな説明文のようなものなんて書かない。 

あたしがやり合った人達は、皆40歳を越えた年齢だった。
だけど、物事や人の本質を見抜く力が全く育っていなかったし、いざという時の行動力が著しく欠けていた。
だからこうやって書いている。
ただ一人でも良いから、今の自分を脱皮して、広い視野の世界で生きることを決断して動いてくれたらいいなと思うから。
あとは……馬鹿どもに馬鹿だと分からせるためだね!!!


土壇場になるとね、じっと考えてる暇なんてないんだよ。
動きながら考え、判断し、決断して、実行してかなきゃならない。
もしも間違ったり失敗したなら、動きながらダメだった点を検証しつつ、改善策を考え、判断し、決断して、実行していく。 
今の日本はそんな状況じゃないから、その場その場の判断力や決断力、実行力が酷く鈍ってる。
それでは一生鈍いままだよ。
そんな日本だからこそ、他者と本気で本音でぶつかり合わなきゃ力からが育たないの。
こんなに恵まれた奇跡の日本だからこそ、そういう場に敢えて身を置かなきゃ分からないこと、知ることが出来ないことが沢山あるんだよ。
ネットで批判してるのではなく、リアルの場で意見をぶつけ合ってみなよと本当に思うわ。
納得がいかないと苛立つくらい、誰かとやり合ってみなよってね。