『日本国紀』読書ノート(168) | こはにわ歴史堂のブログ

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168】「ハル・ノート」によって開戦の決意が固められたのではない。

 

「…つまり日本は戦争回避を試みながらも、戦争開始の準備を着々と進めていたのだった。」(P384)

 

と説明されていますが、まさにこの通りで、これこそが日本が国際的に信用を失い、経済制裁を受けることになったところです。

和平交渉と言いながら、ドイツが優勢になればドイツと接近し、ドイツがソ連と戦争を開始すれば、満州に演習と称して軍を集中させてみせる…

それでも、ルーズベルトは「公約」通り、軍事行動には出ず、経済制裁によって日本を押さえ込もうとしましたが、日本は南部仏印への進駐をおこないました。

この過程で、政府と軍部は対立していて、その方針が揺らいでいました。

「日本は戦争回避を試みながらも」ではなく「政府は戦争回避を試みながらも」「軍部は戦争開始の準備を着々と進めていた」のが実際で、それは日本の国内問題に過ぎず、イギリス・アメリカにすれば、戦争を準備する時間稼ぎのように見えたとしても不思議ではありません。

このあたりをもう少し深く描写してほしかったところです。

 

真珠湾攻撃を計画し、訓練を始めているのは1941年5月です。

近衛文麿が野村大使に日米交渉を開始しているのが4月ですから、平和交渉を開始してすぐにもう真珠湾攻撃の「訓練」を開始していることになります。

交渉期限を10月に定めた「帝国国策遂行要領」が定められたのが9月ですから、アメリカとの戦いをするのは軍部には既定路線でした。

ハル・ノートが出されたのは1127日ですが、択捉島単冠湾に真珠湾攻撃のための機動部隊が1122日には終結を完了しています。

ハル・ノートが出されてから開戦が決意されたのではありません。

 

「…もっとも、何としても日本を戦争に引きずり込みたいと考えていたルーズベルトは、別の手段で日本を追い込んだであろう。」(P385)

 

という説明は、何の一次史料にも基づかない空想です。

「引きずり込む」までもなく、軍部は戦争を開始する準備を進めていて、ハル・ノートの有無にかかわらず、軍部は「何としてもアメリカと戦争したいと考えていて」、「別の理由でアメリカと開戦していたであろう」と言えます。

 

ところで、百田氏は、ハル・ノートについて「中国」に「満州」が含まれているかいないかの議論について言及されています。

「日本側は『満州』を含めた地域と解釈したが、実はアメリカ側は、満州は考慮に入れていなかったともいわれている。」(P384P385)と説明され、「当時の日本の閣僚らに、もし満州を含まないと知っていたら開戦していたかと訊ねている。すると多くの人は『それならハル・ノートを受諾した』、あるいは『開戦を急がなかったであろう』と答えている。」(P385)とジョン=トーランドの話を紹介されているのですが、この「閣僚」は誰のことでしょうか。

実は、中国に満州が含まれるか否かの話は、東郷外相が「回答」していて、閣僚ならば全員この経緯を知っているはずです。

1941121日の「御前会議」、つまり開戦を決定した会議で、原枢密院議長は東郷外相に対して「支那トイフ字句ノ中ニ満州国ヲ含ム意味ナリヤ否ヤ、此ノコトヲ両大使ハ確カメラレタカドウカ、両大使ハイカニ了解シテ居ラレルヲ伺イタイ。」と問うています。

「支那ニ満州国ヲ含ムヤ否ヤニツキマシテハ、モトモト四月十六日提案ノ中ニハ満州国ヲ承認スルトイフコトガアリマスノデ、支那ニハコレヲ含マヌワケデアリマス…」

と、東郷は回答していて、外務省は、アメリカは「支那」の中に「満州」は含まれていない、という認識をしているということを答えています。

ただ、重慶政府を正式な政府として考え、汪政権を認めないというようにアメリカは考えているので否認するかもしれない、と、自信なさげに付け加えています。

これに対して軍部は、『機密戦争日誌』の中で「満州ヲ含メタ全支カラマタ仏印カラモ全面撤兵ヲ要求シテ全支ニタダ一ツノ重慶政権ノミガ正当政府ダトイフ。」と記していて、日本が満州国を手放せば、全中国は赤化する、と危機感をつのらせていました。ここでは「支那」が「全支」と置き換えられて説明されています。

 

どうも軍部は「中国」の中には「満州」が含まれる、とハル・ノートを解釈して、これならば「開戦」だ、と会議の流れをつくったような気配がします。

軍は「満州を含む」と解釈して開戦を唱え、「当時大本営政府首脳は、(支那の中に満州は)含まないとの前提に立ってハル・ノートを理解」(『大戦略なき開戦』原四郎・原書房)していました。

閣僚らは、満州を含まない、と理解していたのですから、ジョン=トーランドの「質問」は閣僚ではなく、軍人あるいは軍官僚に問うたものではないでしょうか。