『日本国紀』読書ノート(164) | こはにわ歴史堂のブログ

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164】樋口季一郎の「オトポール事件」の話が誤解されている。

 

P377P378のコラムで、ユダヤ人と日本人についての話がされています。

日本人の活躍が外国の方から評価されるのは、私もたいへんうれしく、また誇らしくもあるのですが、その説明が不正確であったり誇張であったり虚構であったりしてはかえってその評価を汚すことになりかねません。

丁寧な説明を願いたいところです。

 

ユダヤ人たちはナチスの迫害から逃れるため、いろいろなルートを模索していました。

シベリア鉄道を使って東方に移動し、上海のアメリカ租界からアメリカに渡ろうとした人々もいます。

このルートには「満州国」がありました。

 

 

「しかし、ルート途上にある満州国の外交部が旅券を出さないため、国境近くのオトポール駅(現在のロシア、ザバイカリスク駅)で足止めされた。それを知った関東軍の樋口季一郎少将(当時)はユダヤ人に食料・衣料・医療品などを支給した上で、上海租界へ移動できるように便宜を図った。この『ビクチルート』と呼ばれるルートを通って命を救われたユダヤ人は二万人といわれている。」(P377P378)

 

と説明されていますが、「二万人といわれている」というのは誇張がすぎます。この根拠は何でしょうか。この時期のユダヤ人全体の亡命者数が2万人ですから、この話はありえません。多くても2000人レベルのはずです。

 

「このことを知ったドイツは、日本に対して強く抗議した。前々年に『日独防共協定』を結び、ドイツと良好な関係を保ちたいと考えていた関東軍内部でも樋口の処分を求める声が高まった。しかし時の関東軍参謀長、東条英機は樋口を不問とし、ドイツに対して『人道上の当然の配慮である』として、その抗議をはねのけた。」(P378)

 

樋口少将の話を絡めて、その「上司」であった東条英機の「美談」仕立てにされていますが、ちょっとこの話は違うようです。

 

「このことを知ったドイツは、日本に対して強く抗議した」とありますが、ドイツが抗議したのは、「極東ユダヤ人大会」(1938115日・於ハルビン)に樋口季一郎が参加し、その席上でナチスのユダヤ人政策を批判したことに対してです。

(「ユダヤ人を弾圧するのではなく、土地を与えて祖国を回復させるべきだ」と樋口が演説し、ユダヤ人たちの熱烈な喝采を浴びました。)

「関東軍内部でも樋口の処分を求める声が高まった。」のもこの時です。

樋口は、関東軍の司令官に自分の思うところに手紙を書き、そして東条英機にも面談して話をしています。そのとき、東条が樋口の極東ユダヤ人大会で話した内容は「人道上当然のことだ」と樋口の発言に同意を示したようで、「東条は頑固な人物だったが筋を通して話せば理解してくれる人物であった」と樋口は回想しています。

 

樋口が「ユダヤ人に食料・衣料・医療品などを支給した上で、上海租界へ移動できるように便宜を図った。」のはこの後、1938年3月8日~12日にかけてのことです。

いわゆる「オトポール事件」に対してドイツは抗議をしていないのではないでしょうか。

 

ドイツの抗議は、樋口のハルビンでの「極東ユダヤ人大会」での発言に対してであって、関東軍内で問題となったのもこの時の発言に対してでした。

どうも、「極東ユダヤ人大会」の話と、後の「オトポール事件」がいろいろ混同されているような気がします。

 

「戦後、ソ連は樋口をA級戦犯として起訴しようとするが、それを知った世界ユダヤ人大会がアメリカ国防総省に樋口の助命嘆願を行ない、戦犯リストから外させた。」(P378)

 

という説明は誤りです。

A級戦犯が起訴された後、東京裁判が開かれたのは1946年5月3日です。

アメリカ国防総省の設立は1947年7月26(実働918)ですから、世界ユダヤ人大会がアメリカ国防総省に働きかけて戦犯リストから外させる、という話は成立しません。

終戦当時、樋口はアメリカの占領下の札幌にいました。ソ連は、ハルビンの特務機関長であり、占守島での戦いを指揮していた樋口の身柄引き渡しをマッカーサーに要求したのです。

これをマッカーサーが拒否しました。世界ユダヤ人会議が、ユダヤ人のネットワークを用いてロビー活動などを展開し、アメリカ政府を動かしたと言われています。

 

「エルサレムにあるイスラエル建国の功労者の氏名が刻み込まれた記念碑『ゴールデンブック』には、樋口と安江と杉原の名前が刻まれている」(P379)

 

という説明は完全に誤りです。ゴールデンブックには杉原千畝の名前はありません。古崎博氏の誤りです。