【163】ポーランド侵攻後の西部戦線の話が誤っている。
「第二次世界大戦は不思議な戦争だった。イギリスとフランスはドイツに対して宣戦布告したものの、実際にドイツに攻め込むことはしなかったからだ。」(P379)
と説明されています。チャーチルの第二次世界大戦の「回想録」でも同じようなことが説明されています。
「…そのため、『まやかし戦争』、フランスでは『奇妙な戦争』と呼ばれた。つまりイギリスもフランスも、建前上、ドイツに宣戦布告したものの、本心は戦争をする気がなかったのだ。」(P379)
これはかなり誤解があります。「まやかし戦争」とネット上の説明などで称されているのは、第二次世界大戦の初期の状況全般の話ではなく、あくまでも「西部戦線」の「一時的な」状況です。
宣戦布告をしても具体的な戦闘が始まらなかったのは、イギリスの場合は、ドーバー海峡をはさんでヨーロッパ大陸と対峙していることが一つの要因で、フランスの場合は、戦闘準備状態には入っていましたが、「マジノ要塞線」を堅持していたからです。
ドイツ側も「ジークフリート線」という防衛線を構築していて(多分にプロパガンダによってその機能は誇張されていましたが)、「にらみ合い」の状態にあったからです。
イギリス首相チェンバレンの開戦直後の方針は、「早期の和平実現」で、経済的圧力によってドイツを疲弊させ、領土拡大がドイツの利益にならないとヒトラーに思わせる作戦を考えていました。「本心は戦争をする気がなかった」(P379)というようにみえますが、実際は異なりました。
西ヨーロッパを主戦場にする戦争を回避する(第一次世界大戦の塹壕戦の悲劇を繰り返さないために)計画を立てているんです。
ソ連がフィンランドに侵攻し、早期に講和してしまったので実現しませんでしたが、イギリス・フランスはフィンランド支援の軍を派遣し、ノルウェー北端のナルヴィク港を占領、ドイツへの鉄鉱石供給地のスウェーデンのキルナなどを攻撃する準備も進めていました。
「本心は戦争をする気がなかった」のではなく、「本心は戦争する気でいたがそれを隠していた」という説明のほうが正しいでしょう。
「当時、ドイツ軍は主力を東部戦線に移しており、イギリス軍とフランス軍が一挙に攻め込めば、ドイツ軍は総崩れになっていたろうといわれている。ドイツ軍首脳は、フランスとの国境線に大軍を配備しておくと主張したが、英仏のそれまでの宥和的態度から、戦う意思がないと見抜いたヒトラーは、西部戦線をがら空きにして主力をポーランドに集中させた。」(P380)
と説明されていますが、少し事実関係を誤解されています。
主力を東部戦線に回した、というのは間違いではありませんが投入されたのは装甲部隊の75%で、25%は西部戦線に準備されていました。前述しましたように、マジノ線に対峙する形でジークフリート線をドイツは構築しています。プロパガンダによってその機能を誇張していたこともあり、フランス軍はそう簡単には動けませんでした。イギリスもこの段階では敵地に送り込むだけの遠征軍は準備できていません。
「ドイツ軍首脳は、フランスとの国境線に大軍を配備しておくと主張した」という説明も現在ではしません。これはポーランド侵攻作戦よりもかなり前の話で、これを主張した参謀総長ベックはすでに辞任しており(1938年9月)、ヒトラーの立案に賛同していたハルダーが総参謀長に就任し、同じくヒトラーの方針に賛同していたブラウヒッチュが陸軍総司令官となっていました。
「西部戦線をがら空きにして主力をポーランドに集中させた」というのは多分に百田氏の文学的修辞にすぎず、実情の説明にはなっていません。
「ドイツはポーランドを完全に制圧すると、今度は主力を西部戦線に移し、昭和一五年(一九四〇)六月、ダンケルクで、英仏軍に一気に襲いかかった。両国軍はあっという間に撃破され、イギリス軍はヨーロッパ大陸から駆逐され、フランスは首都パリと国土の五分の三を占領された。」(P380)
と説明されていますが、これは「戦史」的に誤った説明になっています。
ダンケルクからの撤退は5月26日です。
ドイツ軍による攻撃は6月ではむろんなく、5月10日から開始されています。
西部戦線は、「アルデンヌの森」を突破する「赤色作戦」が主戦場で、ダンケルクではありません。この作戦でフランスの防御戦は崩壊することになります。
5月14日にはオランダ降伏、19日にはドイツ軍はドーバー海峡に達しました。
5月22日にはカレーを包囲、ここからようやくダンケルクの攻撃が企図されました。ところがダンケルク攻撃を前に進軍停止が命じられました。ゲーリング率いる空軍が、空から英・仏軍を撃退する、と豪語してしまったからです。
これによりダンケルクからイギリス軍が撤退できる時間的余裕が生まれました(「ダンケルクの奇跡」)。そして5月26日、ダンケルク包囲からの撤退が始まります。
「六月、ダンケルクで、英仏軍に一気に襲いかかった」という説明は意味不明です。