『日本国紀』読書ノート(156) | こはにわ歴史堂のブログ

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156】ファシスタ党もヒトラーも正当な選挙で政権をとったとは言えない。

 

「日本の政治の主導権を軍の「統制派」が握ったのと同じ頃、ヨーロッパでも全体主義の嵐が吹き荒れていた。ソ連の共産主義とドイツ、イタリアのファシズムである。」(P363)

 

以下は誤りの指摘ではないのですが…

二・二六事件以後、統制派が主導権を握った、というのならば1936年以降、ということになります。ソ連のスターリン体制の確立、ナチス=ドイツの政権掌握の時期はほぼ同じといえそうですが、イタリアは少し違います。

ファシスト党は1919年に成立し、政権を握ったのは1922年です。他よりも10年以上前から一党独裁体制を確立していました。

 

「ちなみにファシズムという言葉は、ムッソリーニの政党ファシスタ党から生まれたものである。」(P363)

 

という説明は不正確です。「束」を意味するファシオが語源で、古代ローマの「ファスケス」に由来します。ファシスタ党から生まれたのがファシズム、というより、ファシズムを実現する政党としてファシスタ党、と名乗ったというべきでしょう。

ちなみに、「ファシズム」は社会主義陣営からの批判的な表現、蔑称で、ファシストたちは自らを「ファシスト」とは名乗っていません。

 

「ここで注意しなければならないのは、暴力革命で政権を奪取したソ連のスターリンは別にして、ヒトラーが率いる政党ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)も、ムッソリーニのファシスタ党も、正当な選挙で政権をとったということだ。」(P363)

 

という数行の説明には明確に誤りが詰まっています。

「暴力革命で政権を奪取したソ連のスターリン」とありますが、もちろんスターリンは暴力革命で政権を奪取していませんし、「ソ連」も1922年に成立しているので暴力革命で成立していません。

ヒトラーの政権獲得は19331月の場合は、「正当な選挙」と言えなくもありませんが、事実上の独裁政権を立てた3月の選挙はとても「正当な選挙」とはいえません。

国会議事堂放火事件を利用して共産党を弾圧して共産党員を逮捕します。それでも45%の288議席で過半数を満たすことができず、逮捕された共産党議員やその他の議員を投票に参加しない者として議席をカウントして過半数とし、国家人民党・中央党の協力を得て、全権委任法を成立させました。

「選挙で選ばれた政権だった」という評価は現在ではしません。

また、ムッソリーニのファシスタ党にいたっては選挙で政権を獲得したのではなく、「ローマ進軍」というクーデターによって国王から首相に任命され政権をとっています。

よっていずれも「国民の熱狂的支持で第一党になった党」とは言い難いのが実態でした。

また、ナチスを「国家社会主義ドイツ労働者党」と表記されていますが、これは「国民社会主義ドイツ労働者党」の誤りです。

私が学生時代は「国家社会主義ドイツ労働者党」と習いましたが、現在ではこのように表記しません。というか20年以上前から近現代史の専門家で、このように訳される方はおらず、学校教育の現場でも高校教科書でも変更されてずいぶん経ちます。

近現代史が専門の方の監修が入っていればすぐに指摘できた誤りだったと思います。

 

以下は誤りではありませんが、ちょっと昔の説明です。

 

「昭和一〇年(一九三五)、ヒトラーはヴェルサイユ条約を破棄し、再軍備と徴兵制の復活を宣言し…」(P363)

 

と説明されていますが、現在では徴兵制の復活と再軍備宣言は、ヴェルサイユ条約の軍備制限条項の死文化と捉えていて、「ヴェルサイユ条約の破棄」という説明をこの段階では説明しなくなりました。

1936年にロカルノ条約の破棄し、ラインラントに進駐したことによって「ヴェルサイユ体制の破壊を進めた」(『詳説世界史B』山川出版・P361)と説明するようになっています。