【148】関東大震災についての話が不正確である。
「そんな楽しい空気を一気に吹き飛ばす出来事が発生した。」(P348)
と、関東大震災を説明されていますが、正確ではありません。
1920年から戦後恐慌に入り、不景気や社会不安が増大していました。
関東大震災は、むしろそんな状況への「追い打ち」であったかのようである、と説明したほうが適切です。
大正時代の中間層の成長と、市民の娯楽の拡大の時期を少し誤解されているようです。
「第一次世界大戦後は国民の生活も大きく変わった。街には活動写真(映画)を上映する劇場が多く作られ、ラジオ放送も始まった。食生活でも、カレーライス、とんカツなどの洋食や、キャラメルやビスケット、ケーキが庶民生活の中に溶け込んでいった。東京や大阪には鉄筋コンクリートのビルが立ち並び、デパートが誕生し、バスが運行した。電話交換手やバスガールなど、女性の社会進出も増えた。」(P348)
と、説明していて、その後、「そんな楽しい雰囲気を一気に吹き飛ばした」と関東大震災を説明してしまっているところが誤っています。
この説明の中に、関東大震災後の「風景」が説明されてしまっているからです。
明確に誤りは、「ラジオ放送」です。
これは1925年で、関東大震災が発生したとき(1923年)にはまだラジオ放送はおこなわれていません。情報伝達手段が未発達だったことが震災中のデマや流言飛語を生み出した背景にもありました。
さて、百田氏が説明されている大部分は、実は関東大震災「後」の風景なんです。
1924年に同潤会が設立され、木造アパートの建築、4~5階建てのデパートの建築がス進みました。電灯なども農村部に拡大し、都市では一般家庭に普及します。
都市では水道、ガスの供給事業が本格化しました。さらに市電やバス、円タクなどの交通機関が発達し、東京と大阪では地下鉄も開通します。
洋服を着る男性も増え、いわゆる「モボ・モガ」とよばれる人々が街を闊歩するようになりました。
とんカツ、カレーライスの普及も関東大震災後なんです。
どうやら百田氏は関東大震災の「前」と「後」の社会の様子の区別がついていなかったようです。
「なお、この震災直後、流言飛語やデマが原因で日本人自警団が多数の朝鮮人を虐殺したといわれているが、この話に虚偽が含まれている。一部の朝鮮人が殺人・暴行・放火・略奪を行なったことは事実である(警察記録もあり、新聞記事になった事件も非常に多い。ただし記事の中にはデマもあった)。中には震災に乗じたテロリストグループによる犯行もあった。」(P349)
と説明されています。
「多数の朝鮮人を虐殺したといわれている」ではなく、「多数の朝鮮人を虐殺した」というのは事実です。「いわれている」という風聞ではありません。
司法省の記録として233人という数があけられていますが、「一部のホント」で全体を説明するのは誤りです。この「記録」をこのように使用するのはちょっと問題があると思います。
「震災後に於ける刑事事犯及之に関連する事項調査書」は、「司法省」の記録ですから、この資料に取り上げられている朝鮮人殺傷事件は、「犯罪行為に因り殺傷せられたるものとして明確に認め得べきもの」として起訴された事件だけの数なんです。
逆にいえば、「明確ではないもの」はこれを上回る、という証拠でもあります。この数字で朝鮮人犠牲者6000人を否定することはできません。
芥川龍之介は、「自警団」に入っていた経験があり、そのときの体験をもとにした小説も書いています(『或る自警団員の言葉』(『侏儒の言葉』より))。
映画監督の黒澤明も父親が朝鮮人と間違えられて暴徒に囲まれた話、自分の落書きが朝鮮人が井戸に毒を入れた印だと自警団員が大騒ぎしていた話を自伝で懐古しています。歴史家や政治家の記録以外に、いくらでも当時の話は残っています。
「中には震災に乗じたテロリストグループによる犯行もあった」と説明されていますが、甘粕事件は、憲兵隊が震災のどさくさに、目をつけていた無政府主義者を殺害した事件です。「震災に乗じてテロリストグループが殺害された」が正しい説明です。
日本の植民地支配に対する朝鮮人たちの抵抗運動に対する恐怖心や敵対心、朝鮮人への差別意識が、自警団の過剰な朝鮮人への警戒心を生んだ、と考えるべきでしょう。
「魔女狩り」の心理と同じで、朝鮮人や社会主義者に間違えられることをおそれた人々は、「取り締まる側」にまわる、という心理から「自警団」の活動も活発化しました。
また、不思議なのは、日露戦争や後の満州事変以後の話で、あれほど「新聞」が民衆を煽動した、と、批判しながら関東大震災での朝鮮人の話については、どうして「新聞」は「正しい」かのように引用されているのでしょうか。ここでもデマに基づいたり情報不足だったりしたことから多くの新聞がミスリードしてしまった、と考えるべきではないでしょうか。
「警察記録もあり、新聞記事にもなった事件も非常に多い」(P349)と説明されていますが、これこそ実は関東大震災の時のおそろしさで、次のような史料が明確に残っていることを忘れてはいけません。
震災発生時の翌日、臨時震災救護事務局が設立されます。その警備局が9月5日に次のような協定を定めています。
朝鮮問題ニ関スル協定
警備部
鮮人問題ニ関スル協定
朝鮮人ニ対スル官憲ノ採ルベキ態度ニ付キ、九月五日関係各方面主任者事務局警備部ニ集合取敢ヘズ左ノ打合ヲ為シタリ
第一、内外ニ対シ各方面官憲ハ鮮人問題ニ対シテハ、左記事項ヲ事実ノ真相トシテ宣伝ニ努メ将来之ヲ事実ノ真相トスルコト
従テ、(イ)一般関係官憲ニモ事実ノ真相トシテ此ノ趣旨ヲ通達シ各部ニ対シテモ此ノ態度ヲ採ラシメ、(ロ)新聞等ニ対シテ、調査ノ結果事実ノ真相トシテ斯ノ如シト伝フルコト
ここまで読めば、警察や新聞に対して「左記」のことを「真相」として宣伝せよ、と命じていることは明白です。完全な情報操作でしょう。
左記
朝鮮人ノ暴行又ハ暴行セムトシタル事柄ハ多少アリトモ今日ハ全然危険ナシ、而シテ一般鮮人ハ皆極メテ平穏順良ナリ
朝鮮人ニシテ混雑ノ際危害ヲ受ケタル者ノ少数アルベキモ、内地人モ同様ノ危害ヲ蒙リタルモノ多数アリ
皆混乱ノ際ニ生ジタルモノニシテ、鮮人ニ対シ故ラニ大ナル迫害ヲ加ヘタル事実ナシ
第二、朝鮮人ノ暴行又ハ暴行セムトシタル事実ヲ極力捜査シ、肯定ニ努ムルコト
尚、左記事項ニ努ムルコト
イ 風説ヲ徹底的ニ取調ベ、之ヲ事実トシテ出来ル限リ肯定スルコトニ努ムルコト
ロ 風説宣伝ノ根拠ヲ充分ニ取調ブルコト
『現代史資料(6)』「関東大震災と朝鮮人」(みすず書房)
朝鮮人による暴動があったかのように肯定し、虐殺は震災による混乱で生じた一部の民衆の暴走、ということにしてしまう、ということを政府が意図的に「宣伝」していたことがわかります。
情報が少ない中、政府機関が発表する情報を新聞は書きますし、警察はこの「支持」に従って取り調べていたことは明らかです。
満州事変以降の官憲による情報操作の徹底は、関東大震災直後の「対応」をみればどのようなものであったかも容易に想像できます。
マスコミのミスリードの背後にはこういう政府の情報操作があったことも忘れてはいけません。
以下は細かいことが気になるぼくの悪いクセ、です。
「地震国である日本は江戸時代にもたびたび大地震に見舞われたが、明治の近代国家になってからは初めてで…」(P349)
と説明されていますが、『防災白書』などを見てもらえればわかりますが、1891年の
「濃尾地震」では死者・不明者7000人を超える被害が出ていますし、1896年の「明治三陸地震」では津波にみまわれ2万人以上の死者・不明者が出ています。
関東大震災は「超」大規模な地震ですが、濃尾地震も明治三陸地震も、どう考えても十分「大地震」だったと思います。