『日本国紀』読書ノート(142) | こはにわ歴史堂のブログ

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142】人種差別撤廃提案の説明が一面的である。

 

「日本は国際連盟規約に、『人種差別をしない』」という文章を入れることを提起する。」

「議長国のアメリカは、『このような重要な案件は全会一致でなければならない』と主張した。当時、自国内の黒人に公民権を与えず、人種分離政策をとっていたアメリカは、当然ながらこの提案には反対の立場だった。」(P340P341)

 

国際会議における外交というのは、まさにディール。取引、駆け引きで、すべて何らかの意味があって提案したり拒否したりしています。

外交とはまさに「自国の利益のためにウソをつくこと」、外交とは「人の弱みにつけこむこと」、外交とは「ねぎって買って、高値で売ること」の「三原則」の表現です。

 

さて、「アメリカは当然ながらこの提案には反対の立場だった」と説明されていますが半分誤りです。

むしろ会議の前半では日本の提案に賛成しています。

「根回し」の段階では国務長官ランシングも乗り気で、それどころか大統領ウィルソンに働きかけ、「大統領提案」として提出するつもりである、という回答まで得ました。

反対したのはイギリスでした。

イギリスは「帝国」で、自治領であったオーストラリアとカナダが強く反対していたのです。オーストラリアは白豪主義で、カナダは移民労働力を必要としていました。

イギリスの外務大臣バルフォアは、アメリカの説得を拒否し、人種差別は国際連盟規約とは無関係である、と主張しました。

 

そもそも、日本は講和会議では、ドイツ領の利権の獲得以外の発言をしておらず、連盟の設立そのものには懐疑的で、外務大臣内田康哉は「本件具体的案ノ議定ハ成ルベクコレヲ延期セシメル…」と述べています。

ですから、連盟の規約について積極的な提案を日本がしてきたことは、議長国のアメリカにとっては好ましい「反応」で、日本の提案に好意的な態度を示すことにより、連盟成立の同意を得ようとしたのです。

また、日本は、人種差別撤廃提案についても「成否はともかくこれについて日本の主張を明らかにしておくことは極めて重要な意味がある」とちょっと「ふくみ」のある考え方をしていました。

 

さて、人種差別撤廃項目についてのオーストラリアの反対はとくに強硬で、この提案が採択されることがあれば帰国する、とまで言い出していました。

さらに、ウィルソンも自国の議会に足をすくわれます。人種差別撤廃条項は、国内政策に対する「内政干渉」にあたる、としてこれが採択された場合、上院は批准しない、ということを宣言しました。

オーストラリアの離反と、イギリスの反対、アメリカ上院の反対などからウィルソンはこの条項を通すわけにはいかなくなりました。

日本では、逆に人種差別撤廃提案が拒否された場合は、「会議の席を立て」「連盟に加盟しなくてもよい」と犬養毅らは猛反発していました。

 

結果、この「外交」では実は日本が勝利します。

ドイツ領の利権(山東半島と南洋諸島)については、もともとイギリス・フランスは同意、アメリカが反対、だったのですが、人種差別撤廃提案を議長判断で「全会一致が必要」として否定するかわりに、ドイツ利権についてアメリカも同意する、というように山東問題では態度を軟化させたのです。

 

(『原敬・外交と政治の理想』伊藤之雄・講談社選書メチエ)

(『ヴェルサイユ条約』牧野雅彦・中公新書)

(「大正期日本の国際連盟観・パリ講和会議における人種平等提案の形成過程が示唆するもの」船尾章子・中部大学『国際関係学部紀要』第14)

(「第一次世界大戦後における戦後構想と外交展開・パリ講和会議における人種差別撤廃案を中心として」『中京大学大学院生邦楽研究論集』第23)

 

「外交とは騙し合いの一種であるということが、単純な日本人には理解できなかったのだろう。」(P345)

 

と、1915年の二十一ヶ条要求の説明のときに百田氏は嘆いておられますが、なかなかどうして、1919年のパリ講和会議の時には巧みに山東半島・南洋諸島の利権の獲得・承認に成功しています。

「人種差別撤廃条項提案」の一面だけをとらえて、美談仕立てにするのは「外交」という複雑な駆け引き、騙し合いを一面的にしかみていないということになりかねません。

二十一ヶ条要求についてはまた後ほど。