TOKYO, JAPAN - MARCH 12: Catcher Shinnosuke Abe #10 of Japan celebrates after winning the World Baseball Classic Second Round Pool 1 game between Japan and the Netherlands at Tokyo Dome on March 12, 2013 in Tokyo, Japan. (Photo by Koji Watanabe/Getty Images)

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鮮やかに「正捕手」を引き継ぎ1年目から活躍



 読売ジャイアンツの阿部慎之助捕手が現役引退を決断し、24日に球団が発表した。歩んできたプロの道は、悔しさと輝かしい成績とともにチームを支える唯一無二の存在感を放った19年間だった。
 
 阿部は安田学園高(東京)で高校通算38本塁打を放ち、東都大学野球リーグの名門・中央大学でもベストナインに選ばれるなど活躍。2000年にはシドニー五輪(豪州)の日本代表に選出された。
 
 そして同年の秋、ドラフト1位(逆指名)で巨人に入団。その年まで正捕手として活躍していた村田真一氏の後継者として期待された。そしてその期待を背負って初年度から結果を残す。
 
 阪神タイガースとの開幕戦にいきなりスタメン出場すると、プロ初打席初安打初打点をマーク。長嶋茂雄監督(当時)の下127試合に出場し、規定打席には届かなかったものの、打率.225(386打数87安打)、13本塁打、44打点を記録した。
 
 2001年を最後に村田氏が現役を引退し、翌2002年にはいよいよ正捕手に抜擢。前年と同じ127試合の出場ながら自身初めて規定打席に到達し、打率.298、18本塁打、73打点と2年目にして早くも「打てる捕手」を証明した。
 
 この年、シーズン4度のサヨナラ打を記録するなど勝負強さが光り、就任1年目だった原辰徳監督の下で日本一に貢献。オフにベストナイン、ゴールデングラブ賞をそれぞれ初受賞した。
 
 2003年は初めてオールスターに選出されたが、右肩の故障もあって94試合の出場にとどまり打率.303、15本塁打、51打点。なお、この年で原監督が辞任し、チームに貢献しきれなかった正捕手の阿部にとっては悔しいシーズンとなった。
 
 堀内恒夫氏が監督に就任した2004年は、4月に16本塁打と“ロケットスタート”。この年も故障により108試合の出場にとどまった阿部だったが、本塁打数は33本と前年より一気に伸び、打率も.301、78打点と着実に成長の跡を見せた。
 
 プロ5年目の2005年は、自己最多となる130試合に出場し、打率.300、26本塁打、86打点をマークし貢献するも優勝は叶わず。そして、オフに再び監督に就任した原監督と王座奪還を狙うこととなった。
 
 しかし、2006年は129試合に出場しながら4年ぶりに打率3割を切り、本塁打もわずか10、56打点と苦しみ、チームも落合博満監督率いる中日ドラゴンズに優勝を許す結果となる。

苦労が報われた07年、12年はキャリア最高のシーズンに



 苦労が報われたのが2007年だった。チームの主将に任命された阿部は、球団の第72代4番打者も務めるなど名実ともに巨人の“核”として引っ張る存在に。
 
 そして、05年の130試合を上回る140試合に出場。打率.275ながら3年ぶりとなる33本塁打を放ち、自身初めて100打点に到達。101打点を稼いでチームを5年ぶりのリーグ優勝に導いた。なお、捕手のシーズン100打点は史上4人目。オフには2002年以来となるベストナインを受賞している。
 
 2008年には自身初の経験となるリーグ連覇に貢献。自身3度目となるベストナインと2度目となるゴールデングラブ賞を受賞する活躍を見せた。
 
 第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表(侍ジャパンに選出された2009年は、123試合の出場で2年ぶりのシーズン30本塁打となる32本塁打をマーク。リーグ3連覇とともにチームは7年ぶりの日本一を達成し、日本シリーズ最優秀選手(MVP)にも選出されるなど、これまででキャリア最高のシーズンとなった。
 
 2010年は史上3人目、球団史上初となる捕手のシーズン40本塁打を達成(最終成績は44本塁打)。しかし、2011年は一転して114試合の出場にとどまり、2年連続でリーグ優勝には届かず苦渋をなめた。
 
 それでも、阿部は大黒柱として再びチームを日本一に導く。2012年、138試合に出場し捕手として史上最高の打率.340でセ・リーグ首位打者となると、自己最多となる104打点でリーグ最多打点(打点王)に輝き、3年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
 
 さらにその後の北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズでは、3勝2敗で迎えた第6戦で決勝適時打を放って日本一に導くとともに、シリーズMVPを受賞。オフには自身初となるリーグMVPと正力松太郎賞を受賞した。
 
 第3回WBCでは正捕手として主将・4番を務めた2013年、巨人でもリーグ連覇を果たした阿部。自身3年ぶり5度目のシーズン30本塁打以上となる32本塁打と活躍したが、翌年以降は20本塁打以上はマークしていない。
 
 チームもリーグ優勝から再び遠ざかり、一塁へ本格的にコンバートした2015年オフに原監督が退任し、2016年からは4歳年上でともにプレーした時間も長かった高橋由伸氏が監督に就任後も優勝の二文字からは縁遠いものとなってしまった。
 
 しかし、阿部はプロ17年目の2017年に通算2000本安打をマーク。131試合に出場した2014年から出場試合数が減少傾向にあった中で、この年は129試合に出場し、節目の大記録を達成した。
 
 2018年に岡本和真内野手に一塁のレギュラーの座を奪われ代打起用が多くなっていた阿部。それでも、迎えた今季は3度目のタッグとなる原監督の下で再び捕手登録されると、若手捕手の台頭もあり代打起用が多い中でも勝負所の場面で効果的な一打を放つ活躍を見せていた。
 
 そして、6月1日に今季初本塁打となる通算400号本塁打を達成。これは捕手として野村克也氏、田淵幸一氏以来史上3人目で、球団の歴史でも在籍中に達成したのは王貞治氏、長嶋茂雄氏に次いで3人目というレジェンド級の偉業だった。
 
 今季はここまで92試合に出場して、打率.299(154打数46安打)、6本塁打、26打点。9月23日には7回に今季6号の同点ソロ本塁打を放ち勝利に貢献した。
 
 球団公式ツイッターによれば、その試合後、チームに今季限りで引退する意思を報告。「これから大事なゲームがあるので、僕もその一員として、最後まで必死に頑張るので、皆さんも一緒に日本一になって、僕の有終の美を飾らせてください」と決意を語り、ラストシーズンでの日本一へ向けて改めて前を向いた。
 
 通算で2279試合、2131安打、405本塁打、1284打点、出塁率.368、長打率.495の成績を残した打撃はもちろんのこと、捕手としても6度のバッテリー賞に輝いていることも特筆すべき点だ。多種多様な投手の個性を引き出し勝利に導いた点も、選手として大きな価値がある。
 
 攻守にわたってチームを引っ張り、一時代の「最強捕手」とも言える阿部慎之助。プレーオフも含めて残りわずかとなったシーズンだが、その中で背番号「10」がどんな雄姿を見せてくれるのか。最後まで多くのファンが注目し、期待している。