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ドラゴンテイル 辺境行路 作者:猫弾正

一章

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土豪 11

 エルフの娘は、そろりと頭を廻して脅えている家族に視線を注いだ。

すすり泣いている人間たちを美しい蒼の瞳でじっと見つめると、再び、黒髪の女剣士へと視線を戻した。

 友人を見つめるエルフの眼差しは射抜くように鋭いが、女剣士に怯む様子は見えず、静かな口調で淡々と言葉を紡いだ。

「足手纏いは困るし、君自身の足をすくわないとも限らない」


 二つに一つという訳らしい。

黒髪の娘に選択を迫られながらも、エルフ娘は気が進まなかった。

たとえどれだけの慕情を抱いていても、今までの己の生き方までも裏切る心算はないし、

子供まで殺せという女剣士の要求は、彼女にはあまりに残酷にも思えた。

翻意させられないか、半エルフは言葉を返して探ってみる。

「殺すべき相手なら、殺すよ。それは知っているでしょう?」

懸命さの込められた言葉を掛けるも、女剣士の黄玉の瞳に妥協の色は窺えない。

「君の優しさは好ましいと思うよ。だが、それでも常に一瞬の躊躇がある。

 その躊躇いは、いつか君自身の命を奪い取るかもしれない」

渋い顔で頷きながら、エルフ娘は己の思うところを訥々と語ってみた。

「善には意味が在る。人を救うこと、許すことには、それ相応の価値が在ると私は思う」

女剣士はエルフの言葉に耳を傾け、それから顔を上げると頷いた。

「……立派だな。そしてきっと一つの真実でもあろう」

しかし優しい口調とは裏腹に、女剣士の瞳は何処までも冷え冷えと醒めていた。

どうやらエルフ娘に求めているのは世界のもう一つの側面。暗い真実の方らしい。


「……私には出来ない」

「そうか。残念だ」

 呟くようなエルフ娘の返答を聞いた女剣士は、口で言うほどには残念そうな口調ではなかった。

きっと予想していたのだろう。

エルフの出身地である南方は、比較的に温暖で自然の恵みも豊かな土地だと聞く。

モラルの形も、人の命の重さも、法秩序の在り方も、赦しを許容できる社会の余裕も、

きっと何もかもが女剣士が生まれ育った東国とは違うのだろう。

葛藤くらいして欲しいな。ま、君らしいか。

寧ろ穏やかと言える口調で、淡々と呟いてから


「……お、お願いです。どうか」

 震えている若い男と庇うように抱きしめている連れ合いを諸共に串刺しにして、背中を踏みつけながら剣を抜いた。

二人の体を背中まで貫き、血糊に濡れた刃が出ていた。

血に酔った様子でもなく、黒パンでも毟るように無造作に命を奪ってから、女剣士は子供に冷淡な視線を向ける。

死んだ両親の腕に抱きしめられている少女が目を見開いていた。

歯の根も合わないほどに震えながら涙目で見上げてくる少女の頬を優しく撫でて

「ついてなかったな」

「……あ」

女剣士は耳元で穏やかに囁きながら、少女の頚骨をへし折った。


「……子供をッ」

 息を呑んだエルフの娘が、子供の亡骸を地に横たえる黒髪の女剣士を睨みつける。

「君が見逃したからといって、私が許す理由もあるまい」

黒髪の娘はやはり淡々とした口調を崩さずに、子供の目を閉じさせてから立ち上がった。

或いはエルフの娘が幻滅して、女剣士を見限って立ち去るかも知れない。

それでも、彼女は行動を改めようとは考えない。

「……何故?……もう戦えなかった。それに子供まで殺す必要があったの?」


 黒髪の娘の鋭い眼差しが、硬質の烈しい光を帯びた。

「見逃す理由が在るかな?彼らは既に一線を越えていた」

問いかける友人に向き直った黄玉の瞳の、野生の狼を思わせる鋭さに、

エルフの娘は唇を噛んで分からないと言うように首を振った。

「……一線?」

「温暖な南方ならいざ知らず、東国や辺境では農民にも余裕はない。

 生きるに余裕の無い者たちが乏しい財貨を奪われたら如何なる?

 真面目に働いた者が今度は飢えて死ぬのだ。君が知らない筈もあるまい」

厳しい表情を保ったまま、暗い瞳で沈黙する半エルフ。

緊迫した雰囲気が、立ち尽くす二人の娘の間に張り詰めた。

「皆が貧しい辺土で盗賊が一人いれば、盗まれた者が死ぬ事になりかねないのだ。

 そうなれば奪われた者に対して、咎人を見逃した者もまた罪を背負う事となるだろう」


 女剣士の述べる理屈は、エルフ娘にも分かる。

皆が苦しい時期に、盗人を放置すれば示しがつかなくなる。

それだけで法と秩序が成り立たなくなるだろう。

相互不信と猜疑が蔓延すれば、脆弱で貧しい辺境の不安定な社会を崩壊させかねない。

社会が無秩序と混乱に陥れば、さらに弱い者が犠牲となる。

それは恐るべき事態だ。

だから殺すのだと、そう淡々と女剣士は語り続ける。


「或いは、他に手があるのかもしれないが……わたしには思いつかない」

 ずっと静かな口調で乱れなく語り続けている友人を、エルフは悲しげに見つめる。

「彼らは奪った。力で奪う事を覚えた。

 一度、味を占めた者の大半は際限なく堕落し続け、奪い続ける。

 それでも、私に賊となった者たちを見逃せと云うのか?」

蒼い瞳を煙らせて、憂鬱に長い睫毛を揺らしているエルフ娘の賊に殴られた頬がズキズキと痛んだ。


「でも……子供は」

 エルフは言い掛けて、言葉に詰まった。

何を云えばいいのか。脳裏が真っ白になって喋ろうとした言葉が出てこない。

空気が重くなったように感じる。

纏わりつく粘つく空気に喘ぎながら、反論しようとするが何故か、息苦しい。

「豪族に拾ってもらえると思うか?こんな痩せた女と子供だ。労働力にもならぬ。

 いずれは飢えて苦しむよりは一思いにしてやった方が情けというもの。

 君が養える訳ではあるまい?」

 揺るがない女剣士に、エルフ娘は躰を震わせた。

恐い。理解できるから恐いと思う。

その冷徹な理論が己の心を侵食して、飲み込みそうに思えるのが、何よりもエルフの娘には恐ろしかった。

自分の信じて歩んできた足元が崩壊しそうな錯覚を覚えて、頭を振るう。

己が考えを朗々と述べるだけ述べて、女剣士は言葉を打ち切った。


 鋭い眼差しの視線を移した先には、中年の女と二人の幼い少女。

二人の幼女は泣きそうな顔で年増女の服の裾にギュッとしがみついている。

そして彼らを守るように二本の足で、地面を踏みしめた革服を着た半オーク。

固い決意を瞳に宿らせて、女剣士を睨みつけている。


 女剣士が軽妙な歩調で生き残っている難民たちへと向かって歩き出した。

途中、剣を宙に二、三度薙ぐと、多量の血糊が地べたへと飛び散った。

地面にへたり込んで脅えていた少年が眼を見張った。

瞳が飛び出しそうなほどに蒼い顔をして汗を流していた癖に、歯を食い縛って立ち上がると、街道へ向かってふらふらと歩き始める。

生き残った四人の難民と女剣士を結ぶ直線上に立ちはだかって、手を広げた。

歯の根も合わないほどに震えながら、黒髪の女剣士を見上げて

「……だ、駄目です」

「其処をどけ。少年」

 数秒待ってから、女剣士は頬を平手で張り飛ばした。

目を廻したようだが、少年はよろめきながら必死に起き上がると声を上げた。

「あ、あの人達は僕を助けてくれました」

「……賊の一味ではないと?」

もう一人、女剣士の前に立ちはだかる。

「駄目だよ。それは駄目だ。アリア」

エルフは泣いていた。涙が頬を零れ落ちたが、強い目で女剣士を見つめている。

女剣士が苦い笑みを浮かべると、エルフも一瞬だけ目を閉じてから棍棒を構える。


 女剣士の苦笑が深くなった。

「……勘違いするな。私とて、好きで殺している訳ではない。

 賊ではないというのなら、害する理由など無いよ」

少年とエルフの背後に固まっていた半オークと年増女の躰から力が抜けた。

溜息を長々と漏らしながら、二人揃って赤茶けた地面へとへたり込んだ。

「……ぼっちゃん、助かりましたよ」

少年と顔見知りだったのだろう。年増女が口走った。


 安堵した少年が地面に倒れそうになるのを、エルフ娘が背後から優しく支えた。

「……で、どうやって彼らを生かす?」

女剣士は一旦、言葉を切ると、瞳を細めてエルフ娘を問いかけた。

「今は冬だ。野山に食べ物も少ない。

 男手もなくなってしまった。まあ、無くしたのは私だが。

 男一人だけと、女子供だけで生きていけると思うか?

 彼らが盗みをしないという保証はないぞ?」


 エルフの娘は、暫らく俯いて何事か考え込んでいた。

それから腰を曲げてしゃがみ込むと、少年の耳元で何かを囁いた。

「……いいよね?」

何かに確認を取り、少年が頷くと己の胸を探って紐に吊るした鉄の鍵を取り出した。

それから難民たちのところへと向かい、鍵を差し出した。

「……北にある農園の……場所は分かる?

 そう、そして裏庭。繁みを掻き分けたところ……貯蔵庫が崖に。

 此の鍵で扉を……一冬分は充分に」

 難民、半オークの青年と年増女が頷きながら、鉄製の大きな鍵を受け取った。

周囲を見回し、岩陰や木陰に隠れて生き残っていた僅かな女子供を呼び集めると、北の農園の事を説明し始める。

オークの領域に近い農園が必ずしも安全とは限らないが、それでも当て所もなく地を彷徨うよりはマシかも知れない。

 少年は、年増女の傍らにくっついて、難民たちの中に入り混じっていた。

どうやら、此の侭難民たちについていく心算のようだ。

年増女や半オークが信用できるとも限った訳ではないが、一緒にいるよりはましなのだろう。

年増女の腰に両手でしがみつきながら、一瞬だけ女剣士に向けた眼差しには恐怖と嫌悪の感情が色濃く張り付いていた。

 嫌われたものだと苦笑を浮かべた。

だからと言って、女剣士は何か感慨を覚えるような人間でもない。


「元気でね」

 エルフ娘が少年の頭を撫でた。

「……君は善良だな」

女剣士は肩を竦めながら寧ろ哀しげに呟くと、エルフが振り返ってじっと見つめた。

怒りと微かな恐怖、哀しげな光の入り混じった表情と瞳で女剣士に何か言いたげにしていた。

幾度か口を開きかけてから、エルフ娘が躊躇いがちに口に出したのは問いかけだった。

「偽善に思うか?」

「いいや、寧ろ好ましい」

女剣士はあっさりした口調で答えてから、付け加えた。

「君を好きだよ」

 エルフ娘も頷いた。女剣士を見る瞳には何の色も窺えなかった。

恋の炎は醒めたのだろうか。

見つめあう二人の間に流れる微妙な空気を察したのか。

農園の少年はためらいがちにエルフの娘の裾を引っ張った。

「エリス。一緒に来てくれない?」

おずおずとした呼びかけにエルフが振り返ると

「ついていってもいいんだぞ。君に懐いているし、或いは終の住処を得られるかも知れぬ」

 女剣士の言葉にエルフが身体を震わせた。

固まったように、其処に立ち尽くしているエルフを其処に残し、

後ろも振り返らずに女剣士が旅籠へと戻っていくと、道を塞いでいた数人の観衆が慌てて道を明けた。


 通り過ぎた女剣士の背中を見ながら、聴衆は口々に勝手な事を囁きあった。

「……もっともだぜ。あの剣士さまは正しい」

顔に痣を持つ若い農夫が呟くが、隣にいた年嵩の農夫が顔を歪める。

「だけど、子供をよ。俺は好きになれねえ。やりすぎよ」

「だからといって、おめえは人一人引き取れるか?」


 渋い顔をする者もいれば頷く者もいたが、後半の一部始終を聞いていた野次馬には、

金髪を背中に編んだ郷士の娘も含まれていた。

微かに首を傾げて女剣士を眺めながら、緊張に目を細めた。

手にはじっとりと汗を掻いている。

相手が戦慣れしていない農夫とはいえ、武装した集団をまるで藁人形のように無造作に切り捨てた。

十人以上いる集団を一人一人切り崩していく様は、郷士の娘を慄然とさせた。

恐ろしい使い手だな。

真剣な眼で技を見てみれば、兎に角、立ち位置の確保が抜群に上手いのだ。

一度に複数人を相手にしないで済むように、常に絶妙な位置を確保していた。

それに背後から殴りかかられたのを、まるで背中に目が在るように見事にかわしている。

信じられないような反応だった。

……あれは影か。地面の影を見て背後からの攻撃を察していたのだな。

そして、あの鋭い太刀筋。

剣先がまるで生き物のように敵の急所に吸い込まれていった。

冷たい汗を灰色の外套の袖で拭うと、郷士の娘はため息を漏らした。

自分より明白に腕の立つ女戦士を見たのは、郷士の娘にとって初めてである。

うちの親父殿とどちらが強いだろうか。ううむ、ちょっと分からないな。


 近寄ってくる女剣士を眺めながら、郷士の娘は隣に立っている豪族の姉弟に語りかける。

「おっかない奴だね。しかし、凄い使い手だ」

他人事のように呟いていると、急に友人の豪族の子息が前に進み出た。

抜き身を手にしている黒髪の娘の前に進み出て、強い眼差しで睨みつける。

「……パリス?」

 姉と友人、そして連れて来た配下の兵士たちが慌ててやってくるのもお構い無しに、

豪族の子息は正面を遮るように東国人の女剣士の前に立ちはだかった。

「お見事な手際。しかし、やりようが些か酷すぎるのではないかな?」

 非難を孕んだ皮肉な物言いが、先日に鼻をへし折ってくれた赤毛の小人族を思い出させ、

女剣士は眉を顰めて話しかけてきた見知らぬ青年を胡散臭そうな眼差しで眺めた。

身なりはよい、裕福そうで取り巻きが多い事から、土豪の子女の類であろうと当たりをつけて、肩を竦めた。

「彼らは、他者から奪う事で生き延びる術を覚えていた。

 一度、奪う事を覚えた者は、誰かが止めない限り永遠に奪い続ける。

 それは殺されるまで変わる事はない」

血臭を纏った黒髪の女剣士は、静かな眼差しで豪族の息子を見つめてから問いかける。

「で……カスケードの後継にして、ギル・ドナヒュー・エイオンの嫡孫アリアテートに

 意見する貴殿は何者かな?」



「パリスと云う。パリス・オルディナス」

 素性を尋ねられた時、何故か一瞬だけ鼻白んだ様子を見せてから、見知らぬ青年は名乗りを上げた。

「私はフィオナ・クーディウス。

 パリトーを統べる豪族クーディウスの長女です」

 言いながら進み出てきたやはり年若い娘が、青年を庇うように横に立った。

黒髪の女剣士を見つめながら、豪族の娘は隣に立つ若い男に視線を送った。

二人とも整った鼻梁や彫りの深い顔立ち、意志の強そうな瞳がよく似ていた。

年の近い縁戚だろうか。或いは妾腹の兄弟なのかも知れない。

緊張と警戒も露わに話しかけてくる青年の物腰は、幾らかは腕も立ちそうな気配を漂わせている。

「カスケード卿だ。私を呼ぶときは卿をつけろ」

女剣士はやや傲慢な物言いと態度を取って豪族の子らに相対していた。


 取り合えず関わる気のない郷士の娘リヴィエラは、我関せずと姉弟の背後に佇んでいた。

黒髪の娘の名乗った姓名には何となく聞き覚えが在ったような気がしたものの、

何処で聞いたかはとんと思いだせない。


 しかし黒髪の娘は、豪族の姉弟よりも、寧ろ傍らで小首を傾げている金髪の娘の方が気になったようで、鋭い視線で露骨に注視してきていた。

さすがに無視できなくなった郷士の娘は、頭を掻きながら前に進み出ると女剣士へと向き直った。

 郷士の娘のゆったりした服装の下には、しかし、幾つかの武器の膨らみが隠されているのを女剣士の瞳は見逃さなかった。

既に身体に染みついているのだろう。まるで体重を感じさせない軽妙な歩き方は、猫のように足音を立てないもので、黄玉の瞳はさらに警戒の色を深める。

「リヴィエラ。ベーリオウルのリヴィエラです。その二人の友人」

自己紹介した郷士の娘の名を聞いて、何やら納得がいったのか。女剣士は微かに瞳を細めた。


「ベーリオウルか……なるほど、な。道理で」

呟きつつ均整の取れた身体に視線を走らせて、女剣士は重々しい口調で訊ねかけてくる。

「ところで何故、女のようななりをしている?」

「私は女だよ」

不思議そうな顔つきでの問いかけに自尊心を傷つけられ、郷士の娘はさすがに渋い顔で訂正した。

ひらひらしたマントと衣装の下に隠されたリヴィエラの長身は、確かに連日の山歩きに鍛えられて、同年代の女性より余程がっしりとしている。

服の下を一目で見抜いたのは慧眼かも知れないが、同時に酷い節穴だった。


「……そうか。よく鍛えているからか。綺麗な顔をしているのに勘違いした。許せ」

 頷きながら黒髪の娘は、如何でもよさそうに呟いた。

同等以上に鍛えている癖に、優雅な体格と骨格を維持しているのが分かる女剣士の躰が少しだけ癪に触り、郷士の娘は軽く舌打ちしつつも思い出したように付け足した。

「ついでに言うなら、二人の父クーディウスは、一帯でもっとも有力な豪族ですよ。

 勿論、東国の貴族さまと比べられるようなものではありませんけど」

郷士の娘の言葉を耳にして、黒髪の娘は肯きながら豪族の子息パリスに向き直った。

先ほど名乗りを上げる時、青年は僅かだが気後れした気配を感じさせた。

なるほど、妾腹である事に幾ばくの劣等感を抱いているらしい。

「その口ぶりよりすれば、此の地の法を司る者かな?」

東国貴族の鋭い視線に怯まずに、豪族の子は頷いた。

「父クーディウスが布告する法が、取りあえずは此の地の法として施行されてはいる」


「で、一部始終を見ていた貴殿は、此れを防衛の為の正当な戦いと認めてくれるのかな?」

女剣士の問いかけを受けて、豪族の息子の頬が朱色に染まった。

「如何な土地の如何なる法であろうと、貴殿の戦いを防衛の為の正当なものと認めるだろう。

 誰も貴方を咎めはすまい」

押し殺すように言葉を紡ぎながら、豪族の子は女剣士を睨みつける。

「だけど、女子供までも殺す必要は無かった」

最後の言葉を一息に言い切ると、檄したように躰を震わせた。

「貴殿の理は正しい。だが、正しいだけだ。人として大切なものが欠けている」

 危険な空気を感じたのか、姉が年若い弟を庇える位置に立ったまま、そっと剣の柄に手を伸ばした。

女剣士はそれに気づいて、微かに立ち位置を変える。

頬を痙攣させて激情を露わにしている豪族の息子とは裏腹に、女剣士は怒りの色は見せなかった。

寧ろ興味深げにじっと見つめる視線には、どこか柔和な色さえ宿している。


「では、此の地の弱きもの、貧しきものを保護するは、貴殿らクーディウス一族の責務ではないのか?」

「……なっ!」

絶句して肩を震わせた豪族の息子に、黒髪の女剣士はそのまま言葉を投げかける。

「なれば、貴殿らこそあの者たちと相対するべきであっただろう。

 私は、貴殿らの尻拭いをさせられたという事になるな」

 歯噛みしている豪族の息子は、観衆たちには何時暴発するか分からないようにも見えた。

数名の兵士達が顔を見合わせながら、ざわついている中、郷士の娘が嫌そうな顔をしながら友人を守れる横の位置へとそっと移動する。


「彼らはもはや獣であった。一度獣となれば、二度と人には戻れぬ。

 獣として奪おうとし、そして敗れ、獣として殺された」

渋い顔をしながらも、豪族の息子の鳶色の瞳は強い光を失わずに、真っ直ぐに女剣士を見ている。

「自業自得を否定はしない。だが、受難の時期が終わりを告げれば、彼らもまた再び、人として生きたかも知れぬ」

「己が犯した悪も罪も忘れさってか?」

返答に豪族の息子が口篭った一方で、女剣士は淡々とした口調で言葉を続ける。

「罪は忘れても、消えぬ。それに……」

云ってから、口を閉じた。苦い笑みを浮かべて頭を振る。

「それに?」

「……いや、なんでもない。案外、受難の時代が終われば、良民に戻れたかも知れぬが、

 私にはあれ以外に彼らを処する法を思いつかなかった」


 東国貴族の若い女は、疲れたように溜息を漏らした。

土豪の息子は、自分の怒りが筋違いに感じられて無力感に苛まれる。

「彼らを獣というが、貴女は如何なのだ。命乞いをする人間も、女子供もまるで虫のように殺した。

 それが人のする事か?」

「然り。私も獣かも知れぬな」

女剣士はあっさり認めると、自嘲の想いを込めた苦い笑みを浮かべた。

「だが、獣でもなければ生きていけぬ。その意味では、獣の時代とでも言うべきかな」

どうやら、自分の正しさを完全に確信している訳ではないらしい。

豪族の姉弟や郷士の娘が見つめる中、肩を竦めて言葉を切った。

「裁かれて然るべき罪であるならば、いずれは相応の報いがあるだろう。

 何者が報いをもたらすかまでは、分らぬが……

 一帯を統べる豪族であるならば、貴殿もまた責を負うべきであろうよ」

それだけ言い捨てると、女剣士は旅籠へと戻っていった。

もう呼び止める事はせずに、豪族の娘は肩を震わせて地面を見つめていた。

「パリス……生きた心地もなかった」

姉の呼びかけに小さく頷いて、


「嫌な女!何様ですか!あいつは」

女兵士の一人がぶちぶちといってるのを年長の傭兵が嗜めた。

「だから、東国の貴族の子弟だろ」

「偉そうな口を聞く筈だ」

髭面の傭兵が肩を竦めているのを、狭い世界しか知らない女兵士は首を傾げて訊ねる。

「東国の貴族ってそんなに凄いんですか?」

「そりゃ、お前。辺境の豪族たちとは領地も兵の数も全然、違うわな」

辺境地帯の郷士豪族が、精々五人十人の武装農民を配下に抱えている規模なのに対して、

東国の貴族や豪族は五十人、百人の戦士階級を動員できる者がざらにいた。

「俺でも知ってるくらいだぞ。辺境の豪族衆と東国貴族じゃ毛並みが全然違う」

近隣では随一の有力者であるクーディウス一族の信奉者である女兵士は、膨れっ面で頬を膨らませた。

「クーディウス様にあんな口の聞き方を出来るほどじゃないでしょ」

「お前の脳味噌は本当に平和だな」


 陰気に黙っている豪族の息子の傍らで、郷士の娘リヴィエラは、少しだけ面白がるように両目を細めて旅籠に視線を送っていたが、豪族の娘フィオナの訝しげな視線に気づくと、表情を正して話しかけた。

「何者だと思う?パリス、フィオナ」

「いずれにしても只者ではないのだろうが。今はかかわっている暇はない」

死体を眺めてから、豪族の息子は気を取り直したように顔を上げて云った。

姉も弟に頷きかけながら言葉を続ける。

「それに、こうした事がなくなるよう一刻も早くオークを撃退せねばならない。

 そしてそれは、私たちにしか出来ないことでしょうね」

それも、いい答えでは在るけれど

口の中で呟いてから、リヴィエラは興味深げにもう一度、旅籠の奥へ視線を走らせた。

「カスケード伯子ね」

小さく呟いた彼女の緑掛かった瞳には、僅かに好奇心を孕んだ光が煌めいていた。




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