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ドラゴンテイル 辺境行路 作者:猫弾正

一章

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土豪 14

 女剣士の肉体は、未だ完全に癒えてはいない。オーク共の振りかざすぎざぎざ刃の短剣によって肌に刻まれた幾多の裂傷は、夜毎に痛みと熱を発しては彼女の心と躰を責め苛んで安らかな眠りに落ちるのを妨害している。今も、夜半にくもぐった声を洩しながら目を醒ました。

 貸切である旅籠の個室には、薄暗い闇が蟠っている。暖炉には熾き火が燻って仄かに漆喰の壁を照らしていたが、薪を足すのも面倒くさく、女剣士は冬にも拘らず汗に濡れた額を拭うと、卓の上に置いてある木杯を一息に煽った。

 夕刻に湧き水から汲んで来た清水は、既に大分ぬるまっているも、寝汗に乾いた身体には染み渡るように感じられて心地よい味わいであった。再び寝台に寝転ぶと、硬質の輝きを孕んだ黄玉の瞳で天井に視線を彷徨わせた。

 幾ら群れ成していたとはいえ、雑兵相手に死に掛けた。なんたる無様な。悔しさに軽く歯噛みしながら、女剣士は強くなりたいと心底、願った。が、同時に己の体に大した伸び代がないのも彼女は理解している。どんなに鍛え上げた人族の身体も、肉体的な点ではトロル族やオグル族に及ばない。まして持って生まれた女の身体。膂力や体格の点では人族の男にすら敵わない。

 誰に向けるでもない、やるせない憤懣と滾る憎悪に胸を焦がし、力への渇望に悶えながら、身を苛む苦痛に黒髪の女剣士は小さくうめきを漏らした。膂力や体格には伸び代は少ない。出来るとすれば、技を磨く以外にはあるまい。


 時刻は深夜。旅籠の他の客も完全に寝入っているのだろう。周囲は、水を打ったような静けさが支配している。夜気に身を軽く震わせてから、女剣士は毛布を肩まで引き上げた。傷自体は順調に快方に向かっているものの、今宵も苦痛で幾度か目を醒ましていた。突き刺すような痛みで突然に夢の世界から呼び戻されるのは、やはり愉快な経験とは云えない。

 今もじくじくと背中の傷が、痛みを発している。全身あらゆる角度から切り刻まれている為に、どのような体勢になって寝転がろうとも何処かしらが痛んだ。苦しげに息を乱しながら眠ろうと目を閉じていると、背後より人の気配が迫ってきた。隣で寝ていたエルフの娘が静かな衣擦れの音を立てて毛布に忍んできたらしい。


 寝台が軋む。人族の娘の肌をエルフの細指が蜘蛛のように這った。背中にあった膿んだ傷口を探し当てると、舌を伸ばしてきた。唇を当てて膿を吸い取っては、口に入れたそれをハンケチに含んで吐き捨てる。背筋を駆け抜ける軽い愉悦と共に痛みが退いていく。消えた訳ではないが、何とはなしに幾らか身体が楽になる。それから、女剣士の汗ばんだ身体にそっと抱きついてきた。


 何時の間にか同衾が常になっている事に些かの危機感を覚えないでもないが、肌を併せていると、皮膚の内側に篭った嫌な熱がエルフ娘に吸い取られるような感覚を覚える。新春の甘い花の香りを思わせる体臭が、ささくれ立った気持ちをやわらげてくれた。女剣士の思考も肉体も、エルフ娘に抱かれているうちに徐々に弛緩し、寛いでいく。緊張感がとき解れて女剣士の方でもエルフ娘に体重を委ねてみると、背中から伸ばされた腕がおずおずと女剣士の下腹と胸肉へと廻された。

「んっ……くっ」

 エルフの手の動きに反応して、黒髪の女剣士は身動ぎしつつ小さく声を洩らした。しかし、それ以上何かを求めてくる訳でもなく、背後から抱きついたままエルフは動こうとしなかった。やがて眠たくなったのか。その身体から力が抜けていくのが分かる。残された女剣士は、己の胸に廻された腕を握り締めながら、熱くなったと息を洩らした。

 少女を手に掛けた時に見せた表情からして、半エルフはきっと己と袂を分かつに違いないと女剣士は決め付けていた。しかし、エルフ娘は女剣士から離れようとはしなかった。

一緒にいることで、随分と救われている。背中に抱きついてるエルフ娘に身体を廻して向き直ると、女剣士は闇に朧と浮かぶ翠髪を軽くかき回しながら、唇を軽く舐めた。


 エリスは私の身体が欲しいのだろうな。それもいいかとも思わないでもない。

肉欲だけでもないだろう。拒んだとしても、きっとこいつは親身に違いない。


 エルフは安らかな表情で眠りについていた。安心しきっている顔に、思わず微笑を洩らして頬をそっと撫でた。

私を抱きたいのか。私に抱かれたいのか。どちらでもいいか。

 友人を抱きしめて、いい匂いのする翠髪に顔を埋めて耳元で囁いた。

「私とて木石ではないのだぞ」

 毎日のように優しく誠実に接されていれば心だって揺れるし、エルフ娘のやや過剰なスキンシップも女剣士の官能を刺激してきている。やがて再び眠気が押し寄せてきたので、女剣士は欠伸を噛み殺しながらそっと目を瞑った。

 人生で積み重ねてきた時間と為してきた行いが、人の魂を鍛え、形づくっていく。

なれば躰を重ねる相手も選ぶべきだし、操も大切にするべきだろう。

それが女剣士が二十年の人生で己なりに築いた信条で、当然の帰結として彼女は貞操観念が強い方であった。

 頑迷固陋な性情の持ち主であるから、気に食わない相手と褥を共にしたりはしない。それでも、これほど一途に思われていると悪い気はしない。一度くらい褥を共にしてもいいかな、とも思った。

勿論、エルフの娘がそれを望むならばの話ではあるけれども。世には一度抱くと急に態度の変わる者もいると聞くが、まあ、全ては身体が癒えてからのことか。

 先のことをつらつらと考えているうち、身体の奥底から疲労の泡が浮き上がってくるのを感じて、

女剣士は生欠伸を噛み殺しつつ目を閉じた。

やがて安らかな眠りへと落ちると、静謐な室内に二つの穏やかな寝息だけが重なりながら何時までも木霊していた。



 早朝の大地に漂う朝靄を掻き分けながら、武装した一団が街道上に姿を見せた。

先頭に立つのは、大足鳥や騎馬に跨った壮年から老齢の男たちが五人。

鋲を打った革鎧や青銅の胸当てに身を固め、手には槍や剣などを携え、毛皮や布のマントを羽織っている。

 無骨な戦装束を纏った騎兵たちの背後では、思い思いの武装をした二十人ほどの雑兵たちが徒歩で黙々と付き従っていた。武装した集団に襲撃を掛けてくる無謀なオークや盗賊がいるとも思わなかったが、一行は警戒を怠らずに朝靄の街道を進んでいる。

 先頭を進んでいるのは、いずれも相応の武具を自前で揃えた豪族や郷士階級の男であり、残りはその身内や郎党、そして傘下の独立した武装農民たちである。武装農民や郎党の武装は粗末でみすぼらしい。よくて革の上着や厚手の布服を纏い、殻竿や六尺棒を携え、或いは錆の浮いた短剣や穂先だけ付けた槍を携えている者もいた。士気も高そうには見えない。大半は場慣れしていないのだろう。周囲を不安げに見回している若者もいた。



 大足鳥に騎乗していた筋骨逞しい男が、急に手綱を引いて足を止める。

「……止まれ!」

周囲の当惑を他所に、右手を振りつつ鋭い声で集団に号令をくだした。年齢は壮年から初老に差し掛かった所か。だが、体躯はよく引き締まって、一片の贅肉も見かけられない。茶色に染めた厚手の麻服の上によく手入れされた鋲つきの革鎧を纏い、くすんだ金髪を背中に束ねている。


 二、三度、鼻を鳴らしてから鋭い眼光を朝靄の彼方に走らせると、男は気に入らないといった様子で表情を歪めた。

「……どうした。ベーリオウル」

痩せた老人が馬を寄せると、くすんだ金髪の壮年男に話しかける。老人は戸数二十ほどの農村を治める豪族であり、一方で金髪の男は農園持ちの郷士に過ぎない。にも拘らず、老人や他の男たちの態度からは金髪の郷士に一目置いている様子がありありと窺えた。或いは、近郷においてはそれと知られた豪の者なのかも知れぬ。

筋骨逞しい郷士の鋭い声での警告に、他の者たちも周囲を警戒した様子を見せながら集ってきた。


「気づかんか、フィリウのとっつぁん……血の匂いがするぜ」

男の声に馬上のやさ男が鼻を鳴らして空気を嗅ぎ、靄の中にもやはり異臭に気づいたのだろう。

不快そうに瞳を細めてから、郎党たちを振り返った。

「三名、見に行け」

朝靄を掻き分けながら、農民兵たちが駆け出していくと、程なく一人が直ぐに戻ってきた。

「道の脇に死体が捨てられてます。男が大半ですが女もいます。兎に角、大勢です!」

強張った表情の郎党の報告に、豪族たちは顔を見合わせた。

馬や大足鳥から降りて、脇へと見にいく事にする。

「これは……何があった?」

と、赤茶けた大地には十体以上の亡骸が無造作に打ち捨てられており、やさ男が呆然と呟いた。

「……全員、切り殺されているな」

金髪の郷士が視線を走らせていると、死体から発する匂いを嗅ぎながら中年の郷士が頬を撫でた。


「古いものじゃない」

「穴が掘られている。近隣の連中が埋めようとしたのか。奴らの仕業か?」

動揺を隠せないやさ男に、金髪の郷士が指摘した。

「違うぜ。オイス。見ろ。凄い切り口だ。殆どの奴が急所を一太刀で殺されてる」

中年の郷士はやや緊張した顔で周囲を見回し、老豪族は難しい顔で亡骸を改めていた。

「農民同士の小競り合いではないの」

老人がポツリと呟くと、金髪の郷士が鋭い視線を向けた。

「シレディアの黒騎士を思い出すぜ。東国や北方の騎士だとて、こんな芸当をできる奴はそうはいるまいよ」

「御主がいうのであれば、であろうな」

老人は嘆息しつつ、濃密な靄の中で踵を返した。

それ以上見ていても、何がどうなる訳でもない。

一同は警戒しつつ、街道の先を急ぐ事にした。

「オークにやられたのか」

「だとしたら、連中のうちにはそれだけの使い手がいると?」

「……厄介だな」

 人口が希薄な辺土における争いでは、それだけ個の武勇が与える影響も大きい。

百人単位の争いでは、時にたった一人の人間の働きが戦況を左右する事例もある。

さすがに不安と苛立ちを隠せずに囁きあう郷士たちに、壮年の郷士が請け負った。

「いいさ。その時は俺が相手をする。

それに竜の誉れ亭が直ぐだ。親父から事情も聞けるかも知れん」

筋骨逞しい郷士の言葉に力強さを感じたのだろう。

気を取り直した一行が立ち去ると、何処からともなく乳白色の霧が流れてきて、凄惨な光景を静かに覆い隠していった。



 辺境を東西を行き交う旅人が足を休める旅籠『竜の誉れ亭』から、それほど遠くない場所に南北を貫く道が街道と交差している十字路が存在している。

それと知らない地元の者以外では言われねば気づけぬような小道ではあるが、十字路を南へと向かえばクーディウス氏の館があるパリトー村へと通じていた。

一行は、休息と情報交換も兼ねて、竜の誉れ亭で遅めの朝食、或いは早めの昼食を取っていた。


 石臼で挽いた穀類を窯で焼き上げて作るパンは手間隙の分だけ粥より高価な食い物である。

大麦の黒パンは勿論、酸っぱいライ麦パン、もそもそした食感の雑穀パンすら、庶民や貧民にとっては滅多に口に出来ない馳走である。

腰から剣を吊るした郷士豪族たちでも、辺境の貧しい食事事情に変わりはない。

旅籠の食堂の中心にある円卓を囲み、五人の男がやはり石のように堅い黒パンをスープに浸しては口に運んでいたが、料理は彼らを満足させていたようである。

久々に顔を合わせた知己たちと噂話に興じながら、手持ちの情報を交換していた。


「……すると、オーク共め。相当な数だな」

やさ男が呟きながら首を振ると、中年の郷士も難しい顔で首を捻る。

「二十や三十ではないぞ。下手をすれば五十。或いは、もっと多い」

「噂では、オークの軍勢のうちには、オグルまで混じっているというぞ」

老いた郷士が白髭を撫でながら呟くと、中年の郷士が苦々しい表情となった。

「厄介なことよ。焼き討ちされた農園や村落も二つや三つでは効かぬと耳にした」

「我らも他人事ではないな、オークの多勢に一人では対抗できぬ」

「此の際だ。クーディウスの指揮下に入るのも止むを得まい」

不機嫌そうな老郷士の言葉に中年の郷士が不承不承の表情で頷くのを斜めに眺めながら、金髪の郷士は微かな嘲笑を浮かべた。

老豪族を除いた四人の男たちは、街道からやや北に外れた土地に住まう農園主や小村落の長である。

有力な土豪クーディウス氏の招集に応じるべく、近隣の者同士で語らってパリトーにあるその館へ赴く最中であった。

 オーク族が近隣を見境なしに襲撃している折である。招集の理由についても概ね見当はつけてはいるようだが、頭ごなしに命令されて郷士たちは面白くないようだ。

止むを得まい、か。

腹の中で一人せせら笑いつつ、金髪の郷士は酒盃を煽った。

 彼、ベーリオウルの農園を除けば、此の中でオークの襲撃を退けられる者など一人もおるまい。

武器の蓄えも、手勢の数や強さでも話にならないお粗末さだった。粗末な槍や棍棒に皮服を纏った武装農民の若衆を三、四人も連れてくれば、上等な方である。

 中には、棍棒を持った若僧二人を伴っただけで合流してきた者もいた。村落や農園をがら空きにする訳にも行かないのは分かるが、連れて来たのが小僧二人ではあまりにも酷すぎた。

連れて来た連中の武具と人数を見れば、残してきた連中の顔ぶれもおのずと想像が付く。纏ったオークに攻められたら一溜りも無いだろう。

 この面子で襲撃を持ち堪えられるとしたら、辛うじて老豪族くらいのものであろうか。それとて、外の財貨を全て見捨てて強固な館に一族郎党で閉じこもればの話であるし、倍する人数で攻められれば危ういものだと金髪の郷士は見做している。

己と身内を守れるだけの力も持たない癖に、自尊心だけは一人前か。

辺境の郷士なんてのは、そんなものだろうがな。

郷士たちのもったいぶった会話の中身が何ともおかしくてならず、金髪の郷士はくっくと低い声で笑った。

「どうされた。ベーリオウル殿?」

酒臭い息を吐いておかしそうに笑うのを見咎めたのか、郷士の一人が怪訝そうな顔となって話しかけてきた。

「なに……少し飲みすぎただけだ」

老豪族だけが気忙しげに視線を送ってきているのは、長い付き合いでそんな気持ちを察知したからだろうか。

歓談する郷士たちの卓に、旅籠の主人が旦那衆に挨拶しようと歩み寄ってきた。



 旅籠の裏手にある物置小屋の床で、金髪の若い娘が灰色の外套に包まって寝息を立てていた。

地面を踏む微かな足音と人の気配を感じとって、欠伸しながらも素早く剣を手元に引き寄せて薄く目を見開くと、踏み込んできたのは旅籠の奴隷女だった。

 柱に縛り付けられた虜囚オークの血塗れで息も絶え絶えの姿を目にした為か、小さく悲鳴を洩らしながら小屋の入り口で立ち尽くしている。

辺境の女とは言え、さすがに拷問の光景を見たのは初めてなのだろう。脅えた顔には血の気が引いていた。

実際には血止めもしてあり、生死に関るような怪我は負っていないが、傍目には今にも死にそうな様に見えるかも知れない。

「で……何の用?」

眠たげに目を擦りながらの郷士の娘の問いかけに、奴隷女は我に返ったのだろう。

嫌そうな顔をしてオークを避けつつも、気を取り直して金髪の娘に頭を下げた。

「……お、お嬢さん。お父上が……ベーリオウル様がお出でになられました」

恐る恐る顔を合わせないようにしている奴隷女の態度を気にした様子もなく

「やっと着いたか」

軽く伸びをしながらやや疲れた表情で笑みを浮かべると、ウッドインプに語りかけた。

「うちの父さんが着いたらしいよ。

あたしは一緒にクーディウスの館まで行くけど、ザグ。あんたたちは此の後、如何する?」

 捕虜の件でそれなりの報酬は貰えるように掛け合うけど、ここら辺で探索続けるか、或いは館にまで着いてくるか。

「ああ、ちっと待ってくれますか?相棒と相談しますから」

問われたウッドインプが欠伸をしつつ、鼾をかいているドウォーフを蹴飛ばした。

「起きろ、グレム。朝だ」

「ん、むおおお。腹が減ったぜ」

唸りを上げてドウォーフが跳ね起きる。

虜囚のオークは苦痛に強張った顔をしながら、不明瞭なうめきを上げていた。

「あたしは親父……父さんに顔を見せてくる。

その間、こいつらに何か食べさせてやってくれる?」

埃を払ってから外套を着込みつつそう言い渡すと、郷士の娘は奴隷女の返答も待たずにさっさと歩き出した。


 旅籠の裏手では、二十人近くの農兵達が地べたに座り込み、或いは岩に腰掛けて屯っていた。

外套を羽織った金髪の娘が姿を見せると、何人かの農兵たちが口笛を吹いて異性の注意を引こうとしたり、近づいてくる気配を見せてきたが、父親の郎党たちや顔見知りの武装農民が、割って入ってくれたので、ちょっかいは出されずに済んだ。

郷士の娘に挨拶を送る武装農民や郎党を見て、他の連中もそれと素性を知ったらしい。

クーディウスは一帯で知られた豪の者であり、配下には辺境でも腕の立つ荒くれ者が揃っている。

 流石に手を出してくる大胆な者はいなかったものの、牽制している手下を遠巻きに囲みつつも、何人かの若者は未練がましく器量の良い娘の様子をちらちらと窺っていた。

「父さんは?」

雨樋で顔と血塗れの手を洗い流してから、郷士の娘は郎党の一人に問いかけた。

「旦那ぁ。食堂で紳士方と朝飯を取ってます。フィリウさんもいますぜ」

陽の光を受けて輝く金髪を揺らしながら郷士の娘は頷くと、旅籠の食堂へと向かった。


「こいつは如何も。ベーリオウルの旦那」

肥満した旅籠の親父は、恐れ以上に緊張の色を見せて郷士たちと対峙していた。

筋骨逞しい郷士が不敵な眼差しを向けてくると、まるで蛇に睨まれた蛙になったような気がしてくる。

金髪の郷士の額から顎に掛けては、巨大な刀瘡が刻まれていた。

元は端正な顔立ちなだけに、余計に向こう傷の無惨さが目立つのだ。

 飲んでるワインが酸っぱくなりそうな悪相に精一杯の愛想笑いを浮かべた親父が、旦那衆に挨拶しようと近寄ってきたので郷士の一人が思い出したように訊ねかけてみた。

「そう云えば親父。街道に亡骸の転がっているのを見たぞ」

郷士に街道に転がっていた死体の事を尋ねられると、蒼ざめた親父は舌を滑らかに回転させて知ってる限りの事を喋った。

「東国人の貴族だそうで、偉く腕が立つんですよ。

フィトー一味を返り討ちにした上に、オークを何匹も仕留めたとか、へい」

 話半分でも並々ならぬ腕の持ち主である。金髪の郷士も正直、興味をそそられていた。

泊まっているのなら、是非、会ってみたい。

畏敬の色も露わにしている親父から謎の剣士の身の上について知ってる限りを聞き出すと、

老豪族は楽しげな笑みを浮かべながら円卓を囲んでいる郷士豪族たちの顔を見回した。

「あのフィトーをか。そりゃ久しぶりにいい話を聞いたのう」

親父が全くですと相槌を打ちながら、昨日の話しをした。

「昨日も難民に襲われてですね。返り討ちにしたんです」

「東国人の戦士階級だろうな。シレディア人でも不思議とは思わんぜ」

やさ男の郷士が気難しげに頷いたところで、裏口から外套を翻して若い娘が旅籠へと駆け込んできた。



 食堂内を見回してから豪族たちのいる円卓に気づいて視線を止めると、軽やかな足取りで金髪の郷士へ歩み寄りながら呼び掛けてきた。

「父さん!」

何やら退屈そうに頬杖を着いていた父親が、すぐに気がついて顔を上げた。

「おう、リヴィエラ」

編みこんだ長い金髪を背中に垂らした若い娘は、屈強な金髪の郷士に鋭い眼差しがやや似ているものの、それ以外は、厳つい顔と器量のよい卵形の顔で似ても似つかない。

娘に気づいた中年の郷士とやさ男が同時に顔を向けた。中年が何か言い掛けるのに先んじて、やさ男がお世辞を送った。

「おう、リヴィエラ殿!相変わらずもお美しい」


 親の贔屓目で見ても、器量のいい娘である。

適齢期をやや過ぎつつあるも、近隣の若者や独身の男たちからはなお人気が高い。

郷士豪族たちに軽く目礼しながら、歩み寄って父親の肩に手を掛けると報告する。

「これから寄り合い?親父様が持っていくのに良い土産を取ってきたのだけれど」

「土産?」

鋭い眼差しを向けてくる父親に頷きを返しながら、悪戯っぽく笑う。

「裏庭の奥の納屋にね」

外套の娘は父親にそっと何事かを耳打ちした。

「オークを生け捕ったか。でかしたぞ」

「ほう、流石にベーリオウルが娘。勇敢なことよ」

知己のフィリウ老人が、目尻に皺を作りながら褒め称える。

「一人だけです。でも、いい土産になるでしょう?」

やや得意げに父親に手柄を報告する娘に、知己である老豪族も傍らで目を細めている。

「それは手柄じゃな。リヴィエラ」

「おう。俺の餓鬼じゃ、こいつが一番腕が立つ」

父親と老豪族が頷きながら賞賛されるのは、娘にとっても満更でもない気分だった。

「雇った冒険者たちには、報酬を弾んでくれる?」

郷士が鷹揚に頷いていると、上目遣いとなった娘が何やら躊躇いがちに切り出してきた。

「それと……捕虜のオークが少し気になることを囀っていたんだ。

 後ででいいから、少し時間を取れないかな?」

「ふむ」

訊かれて金髪の郷士は顎を撫でて考え込む様子を見せた。


 まだ些かの時間は在るものの、のんびり過ごせるほど暇でもない。

此処で娘の用件に付き合えば、旅の剣士に対して割ける時間はなくなるだろう。

今はオークの侵攻を優先するべきだろう。

仕方ないかと呟くと、金髪の郷士は娘に頷きかけながら椅子から立ち上がる。

「気になることか。言ってみろよ」

件の剣士とやらがどんな奴なのか。

話してみたくも在ったが今のところ郷士との縁はないようだった。




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