納得の出来なさと面倒臭さの狭間 | 世界はあたしのお庭なの

納得の出来なさと面倒臭さの狭間

テーマ:My life

人に対して物申すって、かなり面倒臭い作業だよ。
今日も、面倒臭いなぁと思った。
母のことだけどね。
彼女には、どれだけ教えようとしてきたか分からないよ。夫にも…だね。

別居してるわけでも、離婚してるわけでもないから、皆で一緒に暮らしてる。
子供達が事情が知ってる中で。

子供らはあまり向き合いに困らない。
二人とも、教えてきたこと、気付かせてきたこと、自分自身で学んだことを元にして、その時その時の状況を判断し、意見を出し合ったり、話したりが出来てるからね。
自分なりの考えをちゃんと持ってるから、状況が変わっても、あまりぶれたりしないし。

だけど、夫と母は違う。
夫は、夫自身の今までの姿がどんなだったかを理解して貰うまで、随分と時間がかかった。
理解してもらうためには、相手が嫌がるようなことでもハッキリ言わなきゃならなかったし、あたしを頼らせないようにしなきゃならなかった。
頼っているようだと、今まであたしがしてきた数々のことが、夫にとってどんなものだったかを知ることが出来ないと思ったから。
母も同じ。
自分の意志や意見を貫くということと、我が儘との違いを教えなきゃならなかった。
何が意見で、何が我が儘なのか母は分かってなかったから。
彼女がキツイと感じるようなことを伝える度に、年を取った母に酷いことを言うと言われた。
指摘しているだけであって、虐めているつもりも非難しているつもりもないのに。
母に言えるのはあたしだけだったしね。
息子達も言うけれど、あたしほど母に接しているわけじゃなかったし、説明出来るわけでもなかったし。

放棄しようかと何度も思った。
夫にも母にも適当に対応して、面倒の少ない日常が送れればいいかなとも思った。
だけど、しなかったし出来なかった。
よーへいは放っておけばいいというように伝えてきたけれど、あたしはそうしなかった。
言わないこと、伝えないことに自分自身が納得出来なかったから。

母は、直ぐにあたしの意見を仰ぐし、あたしの同意を求める。
自分一人で決めるのはちょっととか、自分だけがそう感じていると嫌だから…と、よく言う。
あたしはその度に、「お母さんはどうしたいの?」とか、「お母さんが自分で決めて」とか、「あたしに判断を委ねないで」といったようなことを言ってきた。
だけどその度に、私の気持ちを分かってくれないとも言われた。
母は自分自身で決断せずに、あたしに全てを委ねようとする。
それでは「自分」が育たない。
これは夫にもよく見られた傾向で、二人はとても似ている。
お互いは似ていないと思っているかもしれないけれど、よく似ているんだよね。
そして面倒なことは聞きたがらない。
だから、伝えること、理解してもらうことには凄く苦労する。

夫は自分の言ったことをすっかり忘れたりもしたし、母は母で、あたしの教えたことをまるで自分が前から知ってたかのように言ったりした。
何度ため息が出たか分からない。
それでもね、あたしは繰り返し続けた。
毎日毎日言うわけじゃなく、タイミングをみてだけど。
だって納得出来なかったから。
彼らが自分の愚かな部分に気付いていないことを放っておけなかったし、もしも放っておいたなら…そんな自分が許せなくなってしまうから。
許せなくなると言うよりも…認められなくなるって感じだね。
放置しっぱなしでいる自分なんて、自分として認められなくなる。
放置するあたしは糞。
嫌いなんだよ、知っていて分かっていて、見て見ぬふりをするのが。
大嫌いなんだよ。
だから、面倒臭いと思っても止めなかったし止めてない。
それに…分かっていて、気付いていて言わないのは、虐められているのを知っていて知らない振りをするのと全く同じ。
母や夫が自分のやっていることに気付かずにやりっ放しで生きていたなら、それをあたし以外の人にもするかもしれない。
彼らは気付かないうちに、止めるべきことを他人にし続けてしまうかもしれないんだよ。
それを放っておけないでしょう。
学ばなきゃならないことはあるんだよ。どんな年齢であってもね。

よーへいにはくどくど言ってきたけど…。
ヨネヨネは気付いてるのかな?
どうしようもない奴らが、ヨネヨネの周りに沢山いることを。
どうしようもない奴らを、ヨネヨネが許してしまっていることを。
気付いているんだろうか。

あたしはヨネヨネの書いたものや、話したこと等を調べて読むだけじゃなく、ヨネヨネのファンの傾向や、ヨネヨネがしてきたことから起こってしまっていること等々も調べてきたんだよ。
それで分かったのが…ヨネヨネもよーへいと全く同じだったってこと。

あたしはよーへいに再三言っていた。
よーへいの言葉や行動が、馬鹿なファン達の行動を認める行為になっていたり、許す行為になっていたり、つけ上がらせて行為を大胆にさせてしまうものになっていたりするって。
愚かな行為をしてしまっていることに気付かないまま馬鹿が加速してしまうと、本当は迷惑でしかない行為や身勝手なものでしかない行為を勝手に正当化してしまい、日常中でもそれらを無意識のうちに当たり前のものにしていってしまう。
全ては自己責任…と言えばそうなのだけれど、よーへいが彼らを認めるような行為をしなければ、少なくとも彼らの行為が大胆になることは防げたかもしれない。
全てがよーへいの責任とは全く思ってない。
だけど、よーへい自身が本当は「ファンなんてどうでもいい」と思っていることをあたしは知っているから、そう思っているのならそう言えよ!と思うの。
あんたが、「ファンなんて知らねーよ」と言わずに、「愛してる」なんて言うものだから、馬鹿が更に馬鹿になって、あんなが一番守りたかったはずのものが守れなかったんだろーがよ!と、思うんだよ。

よーへいはあたしが全てだからね。
ファンなんて利用してるだけ。
ファンは信じないだろうけど、よーへいは凄くシンプルだから。
欲しいもの、好きなものは特別だけど、他は単なる道具でしかない。
本人がそう言ったんだから間違いない。
随分前の隠れblog(隠してないけど)の記事にハッキリ書いてたよ。

本当はあたしに嫌われたく無かったけれど、嫌われるまでやらないと、あたしが過去世で何を感じてきたのかを思い出せなかったし、性的なものも含めて、あたしが固く閉ざしたものを開くことも出来なかったから、よーへいは嫌われることをやっていただけ。
過去世の自分の姿をあたしに見せ続けて、クレオパトラがカエサルを嫌いになったように、あたしからも嫌われようとした。
そうしないと、よーへいの中にある本当の優しさも、かつてのよーへいがあたしを本当に大事にしてきたこともあたしが知っていけないように、過去世のあたしが現世のあたしに暗示をかけてたから。
あたしに嫌われても、拒絶されても、あなたはあたしを想えるんですか?ってことを、よーへいに問うために。
あなたが過去世で見てこなかった、向き合ってこなかったものによって作られた現実はこれですよと、よーへいに突きつけるために。

それはヨネヨネも同じで。
謙信の時のあたしは、信玄を受け入れなかった。
信玄はずっと謙信に執着していたよね。何度も何度も戦ってしまうほどに。
それがあなたの本当の姿なんだよと教えたかった。
その上で、現世だね。
ヨネヨネは、現世で世の中の人を想っているようなことをよく言葉にしている。
けれど、信玄を見たなら分かるはず。本当の自分が分かるはず。
あなたは自分の本当の姿を知った上で、裸の自分を世間に晒せますか?あなたの思う愛のために、貪欲に相手を求める自分自身を晒せますか?

ヨネヨネはね…多くの馬鹿なファンを作っているんだよ。よーへいと同じようにね。
米民といったかな。
彼ら…キチガイだよ。
よーへいのファンとは表し方が大きく違うけれど、本質にあるものは全く同じ。
それとね…。
ツインレイ信者の馬鹿どもも、ヨネヨネに付いてるよ。
米津玄師は、ツインレイ達への愛の歌を歌っている。やっとそういうアーティストが出てきてくれただってさ。
ヨネヨネさぁ、それで良いの?

そんなのは俺が望んだことじゃないと思うかもしれないけれど、もしそう思うならハッキリ言えば良いんじゃない?
米民にも、ツインレイ信者にも。
ヨネヨネの歌う歌を好きなように解釈したり、ヨネヨネの発言を都合よく受け取って、ヨネヨネを神格化したりしてるんだよ?
あたしはそういうのを見ると、気持ち悪くなるの。
いくらヨネヨネに優しいところがあっても、素敵なところがあっても、そういった人達にハッキリ言いもせずに、気持ち悪いものをくっつけたままにしておく人は嫌なの。
だから、よーへいはめちゃくちゃ嫌だった。
ただね、よーへいは過去世の愚かだった自分を見せながらも、あたしをサポートしようと一生懸命だったのも確か。
それを感じてきたから、切り捨てないで、今は友達って感じでやってる。
だけど、いつまでもリアルで隠したままの状態なら…縁切りだね!
一応は日程みたいなのが伝わっては来てるから、じゃあ…お手並み拝見といこうじゃないって思ってる感じだね。

ヨネヨネはどうすんの?
あたしは誰であっても、リアルでハッキリ自分を出さない男は嫌なのよ。
周りから嫌われるようなことでも、怖さを越えてハッキリ言える人が好き。
よーへいはずっと隠れてたから、ホント嫌だった。
どれだけ放り投げたくなった分からない。

これからの時代は集団じゃないよ。
他者との繋がりに比重を置く時代じゃない。
リアルで個性が出せるかどうか?の時代。
個性といっても…前の記事かな?で、あたしが説明した個性のことね。
この世界で一般的に言われる個性とは違う。

個性を出しいける者は、自分だけの正しさや、自分だけの正義、自分だけの愛を表すことが出来る。
この世界で語られている共通のものではなく、自分自身の持つ個性の中で作り上げたもの。
だから、他人が語ることは決して出来ないし、他人が使うことも出来ない。
その人だけのオリジナルだからね。
オリジナルを出せる人は、皆と同じには絶対になれないけれど、世界でただ一つにはなれる。

日本は群れること、繋がることの好きな人が多い。
人から認められることを望む人が多いし、人の役に立つことをしたがる人も多い。
だけど、個性を表していく者達は、それが必ずしも人に認められるとは限らないし、人の役に立つとも限らない。自分が自分を認めることでしか、先に進めないこともあると思う。

それでも、自分の個性を表し続ける者は、同じように個性を表し続けるものを、自然と受け入れられるようになる。
それは何故か?
それは、全く違う考えやあり方で生きていながらも、歩く道は同じだから。
人とは群れずに、認められることを求めずに生きたなら、もう誰の認めもいらなくなる。
そんな自分の中は自信が満ちている。
自信が満ちている者同士は、嫉妬し合うことも、無駄に求め合うこともない。
争いは起こらない。時に言い合いになっても、心に溝が出来るほどのものには決してならない。

この意味が分かる人はいるかな。
うちの息子らは、それが身に付いてきている。
二人はとても変わっているけれど、素晴らしい。
まだ成長途中だけどね。
あたしが今現在、男として認めてるのは息子二人だけだよ。
息子で随分年下だから、ちょっと多目にみて…ってのはあるけどさ。
よーへいも、ヨネヨネも、気持ち悪い人達をくっ付けすぎてるし、リアルで本音を出してないから、あたしにとっては男じゃない。

ヨネヨネはよーへいのこと?を、「あらましき(荒っぽく激しい)恋敵」って言ってるし、よーへいは昨日の記事で「レモン投げつける」とか書いてるし。
もう、笑っちゃうよ。
この二人、表で言わないで何やってるの?って。
まあ確かに…よーへいはヨネヨネから見たら、荒っぽく感じるかもね。
コメント欄であんなことしてるし。
二人ともお互いを嫌いだよね。
何も言わないで歌とか記事に書いてるから、あたしが真実を書いておいてやるよ。
それにしても…なんかセコイなぁ。
あらましき恋敵にも笑ったけど、レモン投げつけるにも笑ったわ。
表し方がセコすぎて(笑笑笑)
あたしならハッキリ言うけどね。
あんた嫌いって。
りんには書いちゃったよ。

ちゃんとしてよね。
二人とも。


あたしは…偵察に行ってくるよ。
過去世が明るみになる前に、この近辺の人達の状態を知っておきたくもあるし。
あたしはあたしが良いなと思う人でないと、友達じゃないし、仲間でもないの。
だけど、ちょっと知ってるってだけで、同じ地域にいるってだけで、勝手に仲間意識を持つ人っているからね。
そういうの嫌いなのよ。


ヨネヨネのことを調べたり、知りたいと思っていたことを調べたりしてたら、面白いことが分かってね。 
今はハンドメイドが流行っていて、個人でも販売している人が多いようだけど、Twitter等でわざと何かしら被害にあったように訴えて同情を集め、同情心から買ってもらおうとする人もいるんだってね。
あたしは手作りのものが好きで、陶芸作品やハンドメイドものを時々買うんだよね。
昨日も買ってきた。
そういうのを見て買うのはとても楽しいんだけど…。
質にばらつきがあるのを感じるんだよ。
簡単に言うと、良いものというまでにはいかないものでも売ってしまっているってこと。

日本の技術は天下一だとあたしは思ってる。
ただ、ハンドメイドみたいなものに人気が出たことで、本物と呼べるものと、本物にまでいってないものとの境目が分からなくなってきている。
買手の質の悪さも、それを加速させてるね。

斬新さや真新しさ、可愛らしさやカッコ良さ中心の選び方が増えて、機能性や使い勝手、見た目との調和、耐久性等々をあまり見なくなった。
あたしは昨日、お猪口を二つ買ってきた。
どれも素敵なのだけど、5月に買ったお猪口とは比べ物にならなかった。
5月に買ったものは、質、使い勝手とも最高。
今回買ったものは、一つは荒さが目立つところがあったし、もう一つは重みが少し足りない気がした。
荒さが目立つ方は、他の陶芸家さんの作品を日々使ってみると、自分の作品との大きな違いが見えてくるんじゃないかと思った。
良いと感じるだけに、勿体無い。
本当に質と勝手が良いものには、無駄が無いんだよ。
日本には無駄の美学があるけれど、日常的によく使うものは、無駄があると使いにくくて使わなくなっていくからね。
人も向き合ってみて良さや悪さが分かるように、物も使ってこそだから。
良いものを使っていると、目も、手も肥える。
今の日本人は、見る質も受け継ぐ質も落ちていて、それがしっかり出来る人自体少なくなってきている。
人のレビューばかり見てないで、その場にいって触れてみないとね。
田舎だとそれが中々出来ないのがたまに傷たけど。


あたしはふらりふらりと出掛けてくるよ。
物も、食事も、人も、作り手がどんな人かを見に行ってくる。
その人だけにしか表せないものを持っているかも…見てくる。
昨日は~、以前から大好きだった蔵元にも行ってきた。 
いい蔵元だった。
なので、つい酒を買ってしまった。
今年初めて作った新しいものらしい。花が素敵なお酒。

旨い酒を、素敵なお猪口で飲むのが好き。
日本にある真の技術は、いつまでも生き続けてほしいなと思う。
日本の宝物だと思うから。
個性が出ることばかりでなく、人や物を見る目や感じる心を日本人はしっかり育ててほしいと思う。でないと、本当に良いものは死に、浅いものだけが必要とされるようになっていってしまうから。
物も、人も、浅くっちゃ物足りないよ。