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2019-09-24

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・21年もの長い期間、毎日「ほぼ日」で書いているので、
 同じようなことを何度か言っていることもあります。
 本に書いたり取材でしゃべったりが重なることもあって、
 もうしわけないと思うのですが、またこれを書きます。

 「魚を飼うというのは、水を飼うということ」。
 これは、ぼくが魚を飼っていた時期に考えたことです。
 小さなメダカとかも飼ったし、金魚や熱帯魚もいました。
 手のかからない種類もありましたし、
 水槽や、ろ過装置、エサなどに手のかかる魚もいました。
 特に、ナマズのような肉食魚を飼う場合は、
 食べたエサを吐き出したり、ふんをたくさんしたり、
 水を汚すことが多いので注意が必要です。
 もちろん大きめの水槽で、ろ過装置を付けて、
 水温も一定に保って飼うようにするのですが、
 魚の元気がなくなったり、病気になることも出てきます。
 そんなときのために、さまざまな薬が販売されてます。
 でも、ある薬を使うと、また別の影響があらわれます。
 その別の影響に対して、さらに新しくバランスを考える。
 これが続くと、結局、水質は悪化するばかりで、
 取り返しのつきにくいところまで行ってしまいます。
 そんな経験をあれこれしているうちに、
 「いちばんいい方法はこれか…」と気づくのです。
 ぼくの場合は、なにか問題があったときに、
 性急な解決をもとめるのではなく、大きなろ過器に、
 たっぷりのバクテリアの棲家をつくって、
 薬品などを使わないほうがよいという結論でした。
 ながめて愉しんでいた対象は、むろん魚だったのですが、
 ぼくは、魚になにか与えたわけでもなく、
 魚の治療をしたわけでもなかったのです。
 やっていたことは、水の手当や養生ばかりでした。
 これが、「魚を飼うのは、水を飼うこと」のお話です。

 よく考えてみれば、これは組織にも、事業にも、
 人間関係にも応用できるようなことです。
 問題があったとき、その問題そのものに触ることよりも、
 問題の存在する環境を、できるだけ健康にさせる。
 「環境の疲れ」や「環境の暗さ」を気にするわけです。 
 吉本隆明さんが「いい会社」とは、「いい上司」以上に、
 いい場所にあるいい建物だ、と言ったのを思い出します。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
スポーツのチームも選手たちのいる環境が問われてますね。


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