明治になって1871(M04)年断髪令がだされました、明治20年頃にはほとんどの男性が髪を短くしたということです。女性の日本髪も婦人束髪会などにより、不便窮屈・不潔汚穢・不経済とされ、束髪という欧米の要素を取り入れた簡単に結える改良日本髪的な髪型の普及が望まれて、明治後半から大正にかけて和洋折衷の庇髪などの束髪(改良日本髪的な髪)が広まっていきました(洋髪の歴史)。男性の断髪も、女性の束髪(改良日本髪的な髪)も、美しく整えるためには整髪料が必要でした。以前の髷(まげ)・日本髪に適した伝統的な水油・びんつけ(鬢附)油・すき(梳)油ではない欧米風の油性整髪料が登場します。欧米からの輸入品やそれを真似たもの、伝統的な整髪料に新しい洋風の要素を取り入れた過渡期の和風とも洋風ともいえるようなものもありました。庇髪(ひさし)や二百三高地(庇髪の一種)など、当時はハイカラな束髪は今見るとかなり和的な髪型ですが、これらを結う場合に使われた油性整髪料も同様に当時はハイカラで洋風でしたが今の感覚では和洋折衷なものかもしれません。洋風な香料を使った香油やポマードなどの前身ともいえる練香油などです。
・香油
頭髪を柔軟にし、艶や光沢を与え、整髪を助ける液状の油。香料を加えた水油の一種で、鉱物油が使われたり、香料も洋風の薔薇、寿美礼(すみれ)、麝香(ムスク)、などが多くなりました。明治以降、伝統的な植物油に代わってベタつきが少なく安価で原料臭がなく変質しない鉱物油(液体パラフィン・スピンドル油など)のものが増えていったようですが、一部で髪を赤くしたり毛を切らすともいわれました。
・練油・練香油
香油を蝋や粘性のある油(ワセリンなど)などで練状(ワックス・クリーム状)にしたもので、広義にはポマードやびんつけ(鬢附)・すき(梳)油も練香油の一種になると思います。狭義だと、男子の断髪や女子の束髪(改良日本髪的な髪)の整髪に用いられた動物脂肪、植物油、鉱物油、蝋類、などでワックス・クリーム状に練った西欧風の練状の半固形油で、伝統的なびんつけ(鬢附)油・すき(梳)油ほど固定力の強くない柔らかめのものです。洋風のハイカラな香料を加えた香り高いものが多く練油・練香油と呼ばれました、大正期後半に主流になるポマードとの区別は明確ではありません。
・艶出し香油
主に香料と赤色素を加えた液状の油、水油・香油の一種でそれらとの厳密な区別はないようです。整髪後に艶を出すために塗るなどしたようです?植物性の油は髪に良い油であるとされましたが原料臭とベタつき感があり腐敗(酸化)などしやすかったので、香料による賦香を強くしたり、ベタつきが少なく安価で原料臭がなく変質しない鉱物油(液体パラフィン・スピンドル油など)を混ぜることも多かったようです。
・椿油
日本で古来より、髪に良い上質な髪油として椿油は使われてきました。他の油を混入しないものが高級とされ、脱色したものが白椿油です。クルミ油も高級品でした。
・くせ直し(油性じゃないんですが、洋風ではないので)
古来からある伝統的な水性の整髪料で江戸期には鬢水とも呼ばれました、美男桂(びなんかつら)とよばれた実蔓(サネカズラ、五味草)や布海苔(ふのり)などを水に浸して得られる粘性の高いゼリー状の液で、乾くと糊で固めたようになる整髪料です。水性なので形を崩したり洗髪するのが容易でしたし、実蔓(サネカズラ)や布海苔(ふのり)は洗髪料でもあったので髪をとかし(梳く)ことで汚れを取り除く効果もあったのではといわれます。江戸前期、男性と違って女性は油を使わずこれを使って整髪したといわれ、また鬢附油(とりわけ伽羅の油など)の油類が高価だったので、庶民が油の代わりに愛用したようです。この伝統的な整髪料があったため、西欧の植物性ガム類を使った同様の水性整髪料バンドリンなどはあまり顧みられなかったようです。
製品として香油は水油と重複しますが和風と思われる、井筒屋の井筒(いづつ)香油、柳屋の柳清香・けいし香油(けいしは椿が主体)、山崎屋の松みどり香油、井上太兵衛商店のオシドリ香油、八重椿香油。洋風と思われる香油では、資生堂の花かつら→花つばき、高橋初次郎のチェリーオイル、山岸商店の千代田香油、などが有名で他に、井筒屋の井筒寿美礼油、武井龍三のばらの香香油、松沢常吉の白薔薇香油、岡崎屋の開花香油、大和屋のスミレ香油、福田号のランラン香油、エンゼル商会のエンゼル香油、天野源七のウズマキ香油、正慶商店の正慶香油、昇英堂の御香香油、なども目に付きます。
練香油では、二百三高地(廂・ひさし髪)を結うのに大人気だった高橋東洋堂製造・平尾(分店)鉄也販売のパール練香油、リーガル商会のリーガル練香油、練香油チェリー(ポマード?)、練油スメル、練油千歳香、などでしょうか?井筒・柳屋など有名香油店は、香油、練香油、ポマードなど各種が揃っていることが多いです。