194 不敬?
教皇の間にいる全ての人間が、俺の言葉に耳を疑い、そして凍りついた。
「駄目じゃ! ルシエルがいなくなれば、また教会が……」
泣きそうになりながらも、教皇様はそれ以上の言葉は続けなかった。
きっと教会を良い方向に導くために期待と信頼してくれていたんだろうが、今回の件を止められず、先に裏切った責任を感じたのだろう。
実際この教皇様は優しい……言い方を変えれば、とても甘いのだ。
教皇様はずっとこの狭い世界で過ごして来たのだから、仕方がないのかも知れないが、こうなることをレインスター卿が望んでいたとは思えない。
いや彼なら、たとえ成仏していても、娘が深く傷つき泣いていると知ったら、この世に顕現しそうだ。
そのことを想像してしまうと、笑ってしまいそうになるが、さすがにシリアスな雰囲気だったので、何とか堪えて、これから成すべきことを教皇様へと伝えることにした。
「……表向きはですよ。これは誰にも言わないと誓ってくださいね。カトリーヌさんや、他の誰であっても内緒です。いいですね」
俺は強く念を押すが、いきなりの展開に頭が追いつかないようだった。
だから一先ず話を進めることにする。
「まず今回の噂を流したのは、内部の人間だと思いますが、他国の陰謀も否定は出来ません。だから表向きは教会と決別します」
「どういうことなのじゃ?」
「今回の件で黒幕が誤算だったのは、俺が聖属性魔法を失ったと思い込み、賢者になって帰ってくるなど、考えもしていなかった筈です」
「……確かにそうじゃが?」
「私が賢者へと至ると想像などしていなかったのでしょうから、きっと動揺しているでしょう」
「うむ」
「本来なら私を排除するなど簡単だと思っていたでしょうから、闘技場から抜け出すことも考えていなかったでしょう。きっとこの計画を企てた者達は今後の展開があった筈です」
「……計画」
「例えば全てを神罰で片付け、教会にあまりダメージを与えなくて済むように、私を断罪して、次のS級治癒士候補や教会にとっての広告塔を考えているとか」
「そんなものは妾が許さない」
そう思ってくれるのはありがたいが、きっと無理だろう。
「教皇様、例えばこんな風に言われてもですが? 『教会を守るためです。本当に断罪するわけではありません。ルシエル殿には、ほとぼりが冷めるまで、身を潜めておいてもらうのです。もちろん頃合を見て、教会へと戻って来てもらう予定です。これはルシエル殿の為でもあるのですよ』どうですか? このようなことを言われても、教皇様は突っぱねることが出来ますか?」
「…………」
想定されることを言っただけで、教皇様は俯いてしまった。
きっと同じようなことを経験してきているのだろう。
今までも教皇様は似たようなことで、丸め込まれてきたのだろう。
それがお飾りであった証拠になるのだから、笑えない。
まぁ実際、噂を流した黒幕は分かっていないし、他国も知っているってことは、大きな組織が動いたことということになる。
そして知りたくなかった事実として、少なくともこの教会で、俺の味方がとても少ないということだ。
これでも気を使いながら、やることはやってきた自負があったので、正直かなり凹むが、味方だと思って裏切られる前に、敵味方の判別が出来たことは大きいともいえる。
きっとこのまま教会に残って調べても、尻尾は出さないと思うし、出してもトカゲの尻尾きりになってしまうだろう。
今回の騒動の真実が表に出れば、守るべき者を守らないのが、教会の実態だと分かるだろう。
そうなれば、ここ数年で築き始めた信頼は、再び地に落ちることになるだろう。
なんせ数十年ぶりに輩出されたS級治癒士を、噂が元で排除しようとしたのだ。
それも金の亡者だった治癒士達を取り締まり、新たなガイドラインと法案を作りあげ、住民でも支払いの出来る価格設定にした庶民の味方を、だ。
それだけでも大打撃なのに、噂とは違って神罰ではなく、約一世紀ぶりに賢者へと至る為の修行期間だったと聞いたら、正直この計画を企てた者は人生が詰んでいるだろう。
それを信じた者達も例外ではない。
あの時の騎士団を見ていれば、自分達が敵に回してはいけない者を敵に回したと感じていることは明白だった。
一騎当千のライオネルを筆頭に、ケティやケフィンといった従者もいる。
さらに武力が低かった俺が、カトリーヌさんを加減して蹴り飛ばしたことで、今度は足の引っ張り合いでもしそうだ。
それこそ俺を暗殺でもしない限り……って、暗殺のことを一切考えてなかった。
……俺の平穏を妨げる者は、潰すしかないよな。
「賢者へ至ったことを世間に公表して、私は一度教会を潰す気で動きます。それでもし潰れてしまったら、新たな教会を作ることにしますよ」
「それは……」
「教皇様、貴女は一度外の世界を見た方がいい。その身に宿している魔力が嘆いていますよ」
先程、闇の精霊は微量な魔力を探ることが出来なかったと言っていた。
しかし正確には、教皇様の魔力が桁違いで、微弱の魔力を意識しなければ、気がつけなかったのだ。
それだけ大きな魔力を教皇様は秘めているのだった。
「……この聖都には強力な結界が張ってあって、妾が聖都を離れれば、消失してしまうのじゃ」
……まさに鳥篭に囚われた鳥だな。どうやら聖都を守っているから、出られないなんて呪いでしかない。
「……それもレインスター卿ですか?」
「うむ。お父様とお母様の合作じゃ。この地が魔族に支配されないように残してくれたのじゃ」
嬉しそうに教皇様はそう口にするが、それが呪縛になっているんだから、笑えない。
そして気になる点が出来た。
「それならあの迷宮が出来たのは何故でしょう? きっとレインスター卿が携わった強力な結界なら、いくら邪神でも、迷宮を作り出すことを許すとは思えないのですが?」
最愛の娘って言っていたし、邪神相手でも、ここにあんなものを作らせない何かをしているはずだ。
「……あそこが元は教会本部だったのじゃが、建物の老朽化に伴い、こちらに拡張工事を行ったのじゃが、それから暫らくしてから、迷宮になってしまったのじゃ」
……ちょっと教皇様が不憫でならない。
レインスター卿が建てた建物が老朽化する訳がないから、騙されてしまったんだろう。
きっと人が増えたから、新しく見栄えの良い建物を建てたのだろうが、その工事が原因で、迷宮が出来たんだろうな。
全て因果応報だが、教皇様は人を疑うこと知らずに育ったから、起こった問題でもあるが、昔から本当に碌なことをしてこなかったんだろうな。
そしてその時、俺はまたあることに気がついた。
何故迷宮があることは、噂にすらならないのだろう?
今までも盗聴されているなら、迷宮の話も知っている筈だ。
それでもそんな話を聞いたことがなかったのは、知らないか、知っていたとしても、外部に漏らす必要がなかったからだ。
そうなると、執行部が盗聴魔法具を取り付けたことはほぼ間違いがない。
俺のケースは外部に情報が漏れていたから、自らバラした線も十分考えられるが、この作戦を企てた者には死など生温い拷問をすることを決めた。
「教皇様、明日私が賢者へ至ったことを、騎士団と全治癒士ギルドに報告してください。私はこれから直ぐメラトニへ向かいます。その時に追っ手を出そうと進言する人物がいたら、全て把握しておいてください。誰がどのような指示を出したのかも全てです」
「何故追っ手が出ることが分かるのだ?」
「執行部や私に反旗を翻した者達は、私が生きていると困るからですよ。きっとここに誰も来ないってことは、教会の出入り口を封鎖しているからでしょう」
「……仲良くは出来ないのか?」
教皇のこの一言で、俺の何かが切れた。
「お飾りの教皇なら、もう必要ないのでは? トップである貴女がしっかりしないから、このような状況になるんですよ。レインスター卿とハイエルフの娘だから、教皇になったのか? そうならレインスター卿もただの親馬鹿だ」
「…………」
堰を切ったような言葉は教皇である彼女を責め、教皇様はその身を震えさせた。
「大鉈を振るう覚悟もないのに、何故教皇をしている? 妾がいなければ聖都が支配される? だったらそんな国滅ぼしてしまえ。貴女は何のために生きているんだ? それをレインスター卿が望むのか? もっと人生を楽しめフルーナ・アリュデリー・ド・シュルール!」
「妾は……妾は……」
いつもの神秘的な感じは崩れさり、三百歳を超える少女が泣き始めてしまった。
周囲からの視線は、全てこちらを責めているように感じたが、命を張らないといけないのだから、これぐらいは言っていいはずだと、心の中で自己防衛をする。
「誰も言ったことが無さそうなので、言うことにしました。ですが、これは本心です。これでS級治癒士を剥奪できる程の不敬はしたと思います。今後、俺は外から教会を探ります。教皇様は内から教会を変える努力をしてください」
「ルシエル……御主」
教皇様から目を離し、ナディアとリディアに目を向けて話す。
「まぁこういう状況になってしまったから、ついて来ると少し大変だと思う。此処に残って教皇様の近衛兵になる選択肢もあるけど、二人はどうしたい?」
「無論、ルシエル様についていきます」
「ルシエル様を一人には出来ませんよ」
どうやら二人は……「ブルルル」どうやらフォレノワールもついてくるようだ。
教皇様についていなくてもいいのか? そんなことを考えるが、フォレノワールがいた方が助かるので、お言葉に甘えることにする。
「我も行きたくはあるが、フルーナがこのままだと大変そうだからな」
闇の精霊はここに残ってくれるようだ。
「そうか、教皇様を頼む」
「勿論だ」
「ルシエル様、こっちのことは私が何とかするから、頑張りなさい」
闇の精霊に続き、ローザさんも教皇様を守ってくれるらしいが、この妙な安心感に期待しても言いのだろうか? 俺は会釈をして教皇様へと向き直る。
「教皇様、隠者の厩舎を」
「うむ。しかし先程の話が合っていたら、御主はどうやって教会本部から抜け出すというのだ?」
隠者の鍵を受け取って、フォレノワールに入ってもらいながら、脱出方法を告げる。
「まぁ即死しなければ、何とかいけると思いますので、窓から飛びます」
「よもや、空を飛べるようになったのか!」
「……ぶっつけ本番です」
「それなら約束じゃ。自由に飛べるようになったら、妾を空の旅に連れていってほしいのじゃ」
先程までの泣いていたのに、今度は楽しそうな表情をしていた。
きっとこれが本来の教皇様なのだろう。
レインスター卿と今度邂逅する機会があれば、教皇様を鳥篭に閉じ込めたことを説教することに決めた。
闇の精霊に、ナディアとリディアを魔法で眠らせてもらい、隠者の棺に入れると、俺は窓へと移動する。
「今度から会いに来る時は窓からにするので、盗聴されないように気をつけてくださいね」
「また無事に元気な姿を見せてくれ」
「はい。それでは失礼します。 風龍よ、空を自在に飛翔する翼となれ」
俺は窓から真っ暗闇の世界へとダイブした。
きっと夜で地面が見えなかったから、恐怖心に負けることなく飛ぶことが出来たのだろう。
窓から身を投げ出したと同時に風が吹き、身体に翼が生えたように高度を下げることなく、気がつけば俺は空を飛んでいた。
俺はこうして陰謀渦巻く教会本部から、抜け出すことに成功するのだった。
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