191 噂と思い込み
イエニスで出会った時から一年と少しの間。
たったそれだけの時間しか経っていないのに、彼の纏っている雰囲気はまるで別人となっていた。
イメージの中にある彼は貴族としての矜持や誇りを持っていて、何処か青臭さはあるものの、正義感溢れていた感じだった筈だ。
戦争に敗れて奴隷となり、帝国への復讐に囚われているようではあったが、それでも考え方は粗く甘くも感じたのを覚えている。
そして久々に再会した目の前にいる彼は、当時とは纏う雰囲気がまるで違った。
何処か張り詰めた雰囲気を纏い、研ぎ澄まされたようになっている為、攻撃的な印象を受ける。
一度地獄を経験して、甘さが払拭されたのか、それとも……まぁいずれにせよ、いつまでも男の顔を眺めている趣味はないので、彼の持っている情報を精査して、今後の動きを考えることにした。
「まず始めに私が治癒士ではなくなり、神罰が下ったと噂は何処から聞いたんですか?」
「この情報が流れだしたのは、ここ半月のことです。私が初めて聞いたのは貴族の集まりの時で、この時に大半の貴族達は既に知っているようでした。念のためですが、情報源は特定されていません」
半月……短いようで、とても長いな。
だがこの情報は単なる噂だ。
誰かが肯定しない限り、噂に過ぎないはずだ。
「……噂を信じるなとは言いませんが、ウィズダム卿もそれを信じたのですよね?」
「ええ。実は噂が流れた直後に、我がルーブルク王国はその情報が真実なのかどうか、聖シュルール協和国や治癒士ギルドに対して書状を送ったのですが、全く返答がなかったのです」
「……それでおかしいと?」
ウィズダム卿は頷くと、噂を信じてしまった理由を順に説明してくれた。
「ご存知のとおり、我がルーブルク王国と帝国の戦争は長期化していることもあり、何度かルシエル様の派遣を要請していたのです」
「……初めて知りました」
「まぁ数十年ぶりに認定されたS級治癒士を、紛争地帯には送りたくないでしょうからね。まぁそんな訳で、諸々の事情で断り続けられていて……今回の噂が重なり、本当はS級治癒士なども存在しないのでは? そんなことが囁かれ始めました」
「……なるほど。確かに火がないところに煙は立ちませんからね。ですが、それでも……」
「ええ。私は貴方を知っていたので、信じることはありませんでした。しかし教会が何故か、この噂を消そうと躍起になり始めたのです」
何てことをしたのだろうか? そんなことをすれば……って、もしかして陰謀か? 誰かが誘導……もしくは扇動したのかも知れないな。
「……そのもみ消しで、噂が本当だと?」
「ええ。信憑性が高いと判断しました」
ここまで彼の話には矛盾がない。
だとすれば、師匠とライオネルが危ないな。
俺は一度深呼吸してから、気持ちを切り替えて、話題も変えることにした。
「それなら早く地上に戻らなければいけないが……その前に、次は帝国のについて聞かせていただきたい。人体実験をされたみたいですが、何のために体内に魔石を埋め込まれたのか分かりますか?」
「私の場合は体内に魔石を埋め込むことで、魔力量を引き上げる実験でした。浄化されてあった魔石を使用したはずでしたが、魔石と適合しなかったからなのか、瘴気が身体から出てきたところで、失敗だと誰かに言われた気がします」
となると、魔族を作り出す実験ではなかったのか? それとも実験が変わったのだろうか?
「帝国で捕らえられている時に、魔族の力を取り込もうとする実験や、人を魔族に変えてしまう魔道具などの開発を聞いたことは?」
「ありません。確かに魔族の話は出ていましたが、魔族を殲滅させることを目的としている。そんな話だったと思います。もちろん魔族も見たことはありません」
「殲滅? 魔族と結託しているのではなくて?」
「それはありませんね。仮に魔族が出てきていたなら、我が国では均衡を保つのは難しく、既に滅んでいたとしてもおかしくはありませんから」
彼は笑いながら、自虐的にそう告げたのだが、その言葉は俺を混乱させるには十分なものだった。
どういうことだ? 誓約をしたばかりだから嘘ではないのは分かるが、彼の持っている情報は本当に正しいものなのだろうか?
確かに帝国に良いイメージはない。
ライオネル達のこともあるが、秘密裏にイエニスを潰そうとしていたり、戦争を仕掛たり、弱みを握って奴隷を供給させたり、良いイメージがない。
しかし考えてみれば、ライオネル達も帝国の人間なんだよな。
そう考えると、表向きの将軍がいなくなった帝国って、実は……脆い?
そこで急に何かが繋がった気がした。
そして前にライオネルが未だに帝国にいるような話があったのを思い出した。
「あの、戦鬼将軍とは会ったことは?」
「……ありますよ。私の身体に魔石を埋め込んだ張本人ですからね」
どうやら偽者はまだいるようだが、そのせいでライオネルの悪名が酷い事になっていそうだった。
「……ちなみにイエニスで、足の不自由だった奴隷を覚えていますか?」
少し考える素振りを見せたが、直ぐに頷いた。
「あのご老人なら覚えています。彼は私に親身になって声を掛けてくれた方でした」
老人……確かに出会った時のライオネルは老人だったな。
俺は思い出して吹きそうになりながら、今では若返った彼を見たら、ウィズダム卿はどう思うのかを想像しながら、真実をはなすことにした。
「彼がその戦鬼将軍として名を馳せたライオネルですよ。 今では私の従者として、イエニスにいますから、帝国にいるのは偽者ですよ」
「そんな馬鹿な! 確かにあの男はライオネル将軍と呼ばれていましたし、昔一度戦場で見た顔だったはずで……」
ウィズダム卿が取り乱すが、俺は話を聞いていたオルフォードさんにあるお願いをする。
「オルフォードさん、いきなりで申し訳ありませんが、私に変身していただいても構いませんか?」
「……うむ。良かろう」
オルフォードさんは混合魔法である変身魔法で、俺へと変身した。
「これで良いか?」
似ているというか、見た目は完全に今の俺だった。
「ありがとうございます……自分がもう一人いるって思うと、不思議な感覚ですね。その魔法は誰でも使えるのでしょうか?」
「水と火の反対属性を混合出来る程の高位魔法士なら可能じゃ。ただ混合魔法は、使用中にも常に魔力を消費してしまうから、長時間は無理じゃぞ?」
「ちなみにそれは他人に掛けることは出来ますか?」
「出来る……が、それが出来るとすれば、相当なイメージと技術がないと不可能じゃ」
「なるほど。それでウィズダム卿、いかがですか?」
「……信じられない。だが、それが本当なら……あの時、直ぐに鉄仮面を被ったのは」
どうやら心辺りがあったようだ。
それにしても、そこまで用意周到なものなら、ライオネルが監視されている可能性もあるか? それにしては師匠もライオネルも気がつかなかったのは不自然だ。
聖属性魔法が使えなくなったのを流布した人物も、偽者の仲間なのだろうか?
頭を抱えるウィズダム卿に、本物のライオネルがどういう人物なのかを、俺なりの視点で説明することにした。
「ライオネルは戦闘になれば仲間を守るために戦います。ですから常に先頭で戦いに挑みますが、騙し討ちや策略を好まない真の武人だと私は思っています」
「……あの御仁が本物? だとするとあの男は一体?」
「偽者ということになるでしょう」
「…………クソッ」
頭では分かっても実際に経験してしまっているので、きっとライオネルと会えば、憎悪の感情をぶつけてしまうだろうな。
そんな混乱した彼のことを思いながらも、帝国が魔族と関わっていることを前提で行動してきた俺も、一度帝国について詳しく調べてみることを決意するのだった。
聞きたいことは聞けたので、今後について協力関係を結んでおくことにした。
「それでウィズダム卿はネルダールに滞在されるのですか?」
「ええ。その予定でしたが、私がここに来た目的は、自分の身体を治す手掛かりを求めてきたので……」
「それなら?」
「はい。目的を果たしてしまったので、こちらに滞在している理由がなくなりました」
「治して良かったんですよね?」
「勿論です。ルシエル様には感謝しかありません。今後も何かあれば微力ですが、精一杯協力させていただきます」
先程まで苦悩していた素振りはなくなり、彼には笑顔が戻っていた。
「ありがとうございます。出来ればルーブルク王国で、私が賢者になったことをお伝えください」
「ええ。噂はルシエル様を陥れる作戦だったと伝えますし、私の身体を見れば直ぐに納得もしてくれるでしょう」
彼はそう言って、再び笑うのだった。
この後、直ぐに教会へ戻る旨を再度オルフォードさんに伝えると、そのままネルダールへ来た魔法陣がある部屋まで、送ってくれた。
「それではルシエル殿、三人を教会へと転送するぞ?」
「お手数ですが、宜しくお願いします」
「うむ。任されよう。それで、なのじゃが……あれを分けてもらってもよいかの~?」
「ええ」
俺はハチミツの瓶を取り出したが、もう一つの瓶も取り出した。
「二本もくれるのか?」
「一本は物体Xが入っています。もし魔物が近寄ってこようとしたら、飲ませてみてください。飲ませさえしれば、赤竜だって倒せますよ」
「……頂いておこう」
この後にオルフォードさんと魔通玉の魔力交換をして、ウィズダム卿とはいずれ再会することを約束した。
「では、ルシエル殿送るぞ。今度は来る際は儂ともハチミツ酒で乾杯しよう」
「はい。お世話になりました」
「ナディア君に、リディア君。君達も魔法を探求する気があるなら、再びこの地を訪れるといい」
「はい。今度は来る機会がありましたら、ぜひネルダールの街を案内してくださいませ」
「普通の魔法も精霊魔法並に使えるように頑張ります」
二人の言葉に、ネルダールへ来た時にも見せた、好々爺という言葉が似合う笑顔の老人がそこにはいた。
「では、ウィズダム卿」
「必ず賢者へと至られたことをお伝えします」
オルフォードさんが魔法陣へと魔力を注ぐと、魔法陣が輝きだし、次の瞬間光が俺達を飲み込んだ。
こうして長いようで、短かったネルダールでの三ヶ月は、終わりを迎えるのだった。
お読みいただきありがとうござまいます。