190 聖属性魔法は心を救う
考え事をするときは、煮込み料理を作ると良い。
そんなことを昔、誰か言っていた気がしたので、丁寧に下処理をした魔物の肉を寸胴鍋に入れて、野菜と一緒に煮込むことにした。
所謂ブイヨンを作りだ。
目を離さなければ失敗することもないので、考え事をするには丁度良かったのだ。
まぁそれだと流石に空腹が満たされないので、出来合いのものを魔法袋から取り出して食べたが……。
寸胴鍋に入ったブイヨンが完成されるまで、ひたすらグツグツと煮込み、沸騰しないよう丁寧に灰汁を取りながら、旨味が凝縮されていくのを待つ。
最初にこれを聖都の冒険者ギルドのマスターであるグランツさんから教わった時、灰汁と旨味成分の違いが良くわからずに、怒られた記憶が甦る。
「素人に灰汁と旨味成分の違いを見極めさせるとか、今思えば結構スパルタだった気がするな」
俺は一人でクスッと笑いながら、これからのことを考える。
エリナスさんが教えてくれた情報は、さすがに無視することが出来るレベルのものではなかった。
噂が他国に回っているってことは、きっと聖シュルール協和国全体に知れ渡っていることだろう。
そうなると、下手をしたら異端審問に掛けられる恐れがあるのではないか?
仮にそうなれば、俺が潰した悪徳治癒士が報復、さらに俺が携わったガイドラインも廃止になりかねない?
そもそも聖属性魔法を失った原因を追究されたら、折角救った師匠とライオネルの命の危機にならないか?
……これって下手をしたら、詰んでいたんじゃないか?
待てよ、教皇様は盗聴があるから連絡はするなって言っていたよな?
だったらそれを逆手に取れば良いんじゃないか?
直ぐに魔法袋から魔通玉を取り出して、教皇様へ念じる。
すると、直ぐに教皇様から、返答があった。
《ルシエル、どうしたのじゃ? ネルダールにいるときは、傍受される危険があると教えていたじゃろ》
少し怒ったような口調だったので、教皇様にしては珍しいと感じたが、会話を誘導するつもりで話していく。
「教皇様、それどころではありません。私のことで、真実と変な噂がごちゃ混ぜになって出回っているようです。それも他国で、ですよ」
《……どういうことじゃ?》
「こちらの研究者達が話しているのを、たまたま聞いて驚いたのですが、私のジョブである治癒士が消滅して、それは神罰が下ったと噂されていました。それどころか聖属性魔法が使えないとの噂もあり、もしかしてそれが聖都でも蔓延しているのではないかと思い、急いでご連絡させていただいたのです」
《……他国からもじゃと……》
教皇様の呟くような念話で、既に聖都ではこの噂が流れていることに気がついた。
「教皇様、私のジョブのことですが、やはり治癒士から賢者へ昇華されたことを、開示するべきだったかも知れませんね。ネルダールに来た目的が、聖属性魔法以外の他属性魔法を取得することでしたが、噂は噂だと一蹴してしまわないと、不穏分子が動きかねませんよ」
《……成果はあったのか?》
「ええ。まぁ噂は一蹴出来るでしょう。それよりも魔族騒ぎも出ているようですし、いくら教皇様が優しくても、教会の危機に連絡がなかったので、我が耳を疑いましたよ」
俺は出来るだけ明るい声が届くように念話する。
《……ルシエル、それでは直ちに帰還してくれるか?》
その声は先程と違って、教皇様の喜色が溢れていることが感じられる声だった。
「分かりました。魔術士ギルドのマスターであるオルフォードさんへ、この件を報告して速やかに帰還いたします」
《宜しく頼む》
「はっ」
そこで俺は通信を切った。
通信が終わったそのタイミングで、ナディアとリディアが隠者の棺から出てきた。
「目が覚めたようだな」
「ルシエル様、ご無事でしたか」
「いい匂いがします」
ナディアは双龍と会った時に精神を引っ張られ、リディアは俺が双龍を倒した時に色々なもので、圧殺され掛けていたが、どうやら二人とも問題なさそうだ。
「二人の話を聞きたいが、その前に決定事項を伝えておく」
二人が頷くのを待って、先程のやり取りなどを話していった。
「まぁそういう訳だから、楽しみにしていたネルダールの街を探索するのは、次の機会ということになるが、必ずもう一度連れてくる機会を作るから、我慢してほしい」
「そういう事情なら仕方ありませんね」
「また連れて来ていただけるのであれば、今回は我慢します。それよりもルシエル様……お腹が空いたのですが」
そう顔を赤くして照れながら言ったリディアの言葉に、自然と笑顔になっていく自分を感じながら、食事にすることにした。
調理中の鍋を魔法袋にしまい、それと代わるように、出来合いの料理を取り出して並べていく。
そして今度は二人の話を聞いていく。
ナディアは龍神の巫女の称号通り、龍神と会って竜を眷属化出来るようになったらしく、ジョブに竜魔士が追加されたらしい。
そしてリディアは、精霊王の加護に恥じないように、大精霊召喚を覚えたのだった。
「ただ竜と戦って、屈服させなければいけないらしいです」
「大精霊召喚を使うには、魔力もスキルレベルも足りていないです」
「……新しい力がそんな簡単に使えたら、誰も苦労はしないよな。まぁそれぞれが新しい力が宿ったってことで、それを努力して自分のものにしていこう」
「「はい」」
食事と片付けを終えた俺達は、ギルドマスターの部屋へと向かった。
精霊の加護を貰っている俺とリディアは、魔術士ギルドのフリーパスでも所持しているように、何にも阻まれることなく進むことが出来た。
ナディアは一度受付の後ろにある階段を上ろうとしたが、見えない壁に阻まれたが、リディアと手を繋ぐことで、階段を上がることが可能となった。
ギルドマスターの部屋の前までやって来たところで、ノックをすると中から声が聞こえきた。
「どなたかな?」
「ルシエルですが、少々お時間をいただきたいのですが、宜しいでしょうか?」
「……どうぞ」
「失礼します」
入室の許可が下りたので、ドアを開いてみたが、どうやら先客がいたようだった。
「どうしたのじゃ?」
風の精霊なのか、オルフォードさんなのかの判断も迷うところだが、それよりもこの先客の人物が誰なのか、分からないのに、本題を話すのは戸惑われた。
「先客がいらっしゃったのですか?」
「うむ。しかしここへ来たとなれば、急を要す何かがあったのじゃろ?」
どちらにしても人がいないところで話しがしたいので、時間を改めようとすると、オルフォードさんと対面していた男がイスから立ち上がり、こちらを振り返りながら口を開く。
「私がいるからですよね、S級治癒士のルシエル様……いや、治癒士ではなくなられたんでしたか? それならば今はただのルシエル殿ですか」
その声の持ち主は男であるだろうが、顔は仮面で隠されており、見ることが出来なかった。
気になったのは男の口ぶりと、まるで俺と面識のあるような態度、そしてそれ以上に、憎悪を向けられている気がしたのだ。
あまり恨まれることはしてこなかったと思っていたが、まさか帝国? 俺は姿勢を正して、この相手が何処の誰なのかを見極めることにした。
「ジョブが治癒士でなくなったことは認めますが、そもそもS級治癒士とは治癒士ギルドが選定してもので、称号みたいなものですよ。それより仮面を被って素顔を見せない相手に、私は知り合いがいない筈ですが、どちら様ですか?」
「こちらはルーブルク王国から来た新しい研究者で、名をなんといったかな?」
少し喧嘩腰に見えたのか、オルフォードさんがクッションの役割を果たしてくれた。
どうやら風の精霊ではないようだ。
「……巡り会わせとはつくづく残酷なものですね。貴方に何かされた訳ではないのに、それでも憎いと思ってしまうのですから……私はイエニスで貴方に買い損なわれた、哀れな奴隷ですよ」
仮面の男は自分の非を認めて、そう告げてきた。
「イエニスで奴隷?……あ、もしかしてあの時の……」
「一度しか会わなかったのに、思い出されましたか。それでは改めて、私はルーブルク王国で新たに男爵を拝命となったマキシム・フォン・ウィズダムです」
「……それで、私を恨む理由は?」
「この世で一番の治癒士であった貴方なら、これを治せるかも知れないと思っていたのですよ」
男……マキシムが仮面を取ると、そこには鋭利な何かで火傷したように爛れた顔が出てきた。
しかしマキシムの怪我はそれだけではなく、纏っていたローブを取ると、そこから瘴気漏れ出したのだった。
「……それは?」
「呪いの魔術刻印らしいです。帝国による人体実験で身体を弄られ、体内に魔石を埋め込まれした。まぁ激痛により気絶したみたいですが、死んだと判断されて、気がつけば死体の山の中にいました」
「……それの治癒がルーブルク王国で出来るものがいなかったと?」
「ええ。何とか魔石を穿り返したまでは良かったのですが、身体から瘴気が出ているので、魔族に近い存在になってしまったのでしょう。これを治癒出来る治癒士は存在しなかった。ですが、人類最高の聖属性魔法の担い手である貴方なら、そう思って縋りたかったのですが……」
完全に逆恨みを理解している上で、それでも自分を治せる可能性がある唯一の人物であった俺に当たらずには入られないのだろう。
きっと帝国を恨む気持ちが強過ぎて、負の感情が限界突破したことで、世界を恨むようになったのかも知れない。
そしてやり場のない怒りが、先程の態度になったのだろう。
まぁその気持ちが少し分かってしまうだけに、今回だけ彼を救うことにした。
あのとき救ってやれなかったことが、俺の中でも何となくモヤモヤしていたのだ。
きっとここで彼と再会したのも、豪運先生が導いた縁だと信じて……。
「ふむ。ウィズダム卿は勘違いしていらっしゃるようですが、私は聖属性魔法が使えますよ?」
「はっ?」
先程まで悲壮感と狂気が入り混じった顔をしていたが、その一言で彼の時が止まった。
「いや、ですから、治癒士ではなくて賢者になったので、聖属性魔法は問題なく……厳密に言えば、パワーアップして使えますよ」
「そ、それならこの身体が治る可能性が?」
哀愁が漂い、黒いオーラを纏っていた彼とは思えない慌てようだった。
「まぁ治せるかどうかはさておき、貴方がアンデッドなら即死させてしまいますが、生きているなら、必ず救ってみせますよ」
俺はそう言って力強く頷いてみせた。
「対価なら何でもお支払いする。帝国に対する恨みは一生消えないだろうが、復讐も我慢する。どうか、どうか治療してください」
あれだけ固執していた復讐を止めるなんて、何かあったのだろうか? ただ誓約はしたいと思っていたので丁度良かった。それにしてもいきなり敬語になるって……。
「それでは誓約してください。この治療をする対価は、貴方の知っている全ての情報開示と、私と生涯敵対しないことです」
「……それは国の機密も、でしょうか?」
「聖シュルール協和国及び私に関係していなければ、構いませんが、帝国の闇については知っていることは全て聞かせてもらいます」
「それならば誓います。私マキシム・フォン・ウィズダムは治療をしていただく対価として、情報の開示とルシエル様へ生涯敵対しないことを誓います」
すると光がマキシムに降り注いだ。
「それでは、少し痛いかも知れませんが、気をしっかりと持ってくださいね」
俺はディスペル、リカバー、聖域円環、エクストラヒール、最後に浄化魔法の順番で魔法を発動していく。
マキシムは最初こそ痛みを堪えるような顔をしていたが、聖域円環を発動したときは既に、痛みを感じることはなさそうに思えた。
しかし問題はここで起こった。
俺は念のためエクストラヒールを発動した瞬間、彼がバランスを崩して倒れたのだ。
そして両腕と左足、そして眼球が次々と床に転がったのだ。
どうやら義手に義足、義眼だったらしい。
彼の顔が驚愕に染まり、震え出していたが、それは怒りではないことは明白だった。
彼は何度も自分の手と足を確かめながら、再び戻ったその目から涙を流していた。
そして浄化魔法で彼を綺麗にしてあげて、治療は完遂した。
「治療は終わりました。よく頑張りましたね」
彼は言葉にならない言葉を紡ごうとして、片膝を突けて祈りを捧げるポーズを取った。
その瞬間、イエニスでライオネル達が同じことをしたなぁっと、少しデジャブのように、当時の記憶が甦えるのだった。
「オルフォードさん、一度地上へ帰還しようと思うのですが、その前に彼の聴取をさせていただいても宜しいでしょうか?」
「ほえ? おおぉ勿論じゃ。この部屋を使うといいじゃろ」
こうして帰還の前に、もう一仕事することになるのだった。
お読みいただきありがとう御座います。