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【埼玉】兜太さん、平和の思い後世へ 識者13人追想 皆野町で「百年祭」
昨年2月に98歳で亡くなった現代俳句の第一人者で、本紙連載「平和の俳句」の選者を務めた金子兜太さんをしのぶ催し「金子兜太百年祭in皆野町」(「兜太TOTA」編集委員会、町など主催)が、生誕100年に当たる23日、出身地の皆野町の町文化会館ホールで開かれた。俳人の黒田杏子さんら親交のあった識者13人が、金子さんの人となりを追想した。 (出来田敬司) 冒頭、ドキュメンタリー映画「天地悠々 兜太・俳句の一本道」(河邑厚徳監督)を上映。金子さんは戦時中、旧日本海軍の主計中尉として南洋諸島に赴き壮絶な体験をしたのを機に、作品に平和への願いを込めるようになったと紹介した。 識者によるトークでは、文芸評論家の井口時男さんは「金子さんを漢字一文字で表すとすれば『野』。『野生』、『野蛮』であり『在野』の『野』だった」と評した。金子さんの長男真土さんは「政治的、社会的な発言をしない文化人が多いが、父は立場を鮮明にしていた。欧米では文化人が普通に発言すると聞き、ほっとした」と振り返った。 また本紙の加古陽治・編集局次長は「金子さんは平和への願いが筋金入りで、熱意を持って『平和の俳句』の選者を務めてくれた。『平和の俳句』をつくらなくても良い世の中にしたい」と述べた。 ◆「壺春堂記念館」お披露目 生家改修、作品や蔵書など展示
金子兜太さんの皆野町の生家を改修し、作品や蔵書などを展示する「壺春堂(こしゅんどう)記念館」のお披露目が二十三日、現地であった。金子さんの功績を顕彰する住民団体「兜太・産土の会」が、町民やファンから寄付約六百万円を募り、実現した。親族や俳人ら約百人が集まり、偉業を後世へと引き継ぐ決意を明らかにした。 改修したのは一階東側の約六十平方メートル。金子さんの父で医師・俳人の伊昔紅(いせきこう)さんが医院「壺春堂」の診療室としていた部分を再活用した。産土の会によると、改築した部分は今後、カフェテリアとしてファンや住民らをもてなすという。 専門家によると、この建物は明治初期または中期ごろに造られた。二階はほとんど梁(はり)がなく、養蚕に用いられていたとみられる。一階西側の居間や仏間には、作品が書かれた色紙や家族写真、古美術品などを収めているが、さらに屋根や外壁、床などの改修が必要という。 記念館ではこの日、バイオリニスト中浦ヒロさんによるコンサートもあり、新たな出発に花を添えた。 金子さんのおいで、生家の再利用を図ってきた医師の桃刀(ももと)さん(59)は「ここは伊昔紅と兜太の俳句の原点。秩父地方の宝として、後世に伝えていきたい」と話している。 (出来田敬司)
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