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◆ことばの話3199「激と劇」 「平成ことば事情3164」で書いた「激似」。そこでは「似」の読み方について考えたのですが、よく考えると、 「なんで『激』なんだろう?」 と思い当たりました。 「劇的」「劇薬」「劇症肝炎」 などと言う時には、「激」ではなく「劇」が使われていますよね。特に「劇薬」は、 「激薬」 でもおかしくないと思うのですが、いかがでしょうか?「激似」も、別に、 「劇似」 でもいいのでは?「劇薬」の「劇」と「激」の違いは?という疑問が頭に浮かんだのです。 そこで『新潮日本語漢字字典』を引いてみました! 「劇」は、一つ目の意味では「観客の前で舞台の上の俳優が演じる芸術」とありますが、二つ目の意味が、 「はげしい。程度が甚だしい。」 とあり、「類義語」で、 「激」 と書かれていました!そしてこの意味での用例としては、 「劇物・劇薬・劇甚・劇痛・劇症・劇務・劇職・劇論・劇戦・劇化・劇変」 という熟語がありました。このうち、 「劇甚・劇痛・劇務・劇職・劇論・劇戦・劇化・劇変」 は、いずれも「激」を使っても同じ意味のようです。 「激甚・激痛・激務・激職・激論・激戦・激化・激変」 こんな感じ。用例として菊池 寛の『真珠夫人』から、 「信一郎は、その特異な、不思議な象眼に、劇しい好奇心を、唆(そそ)られずには居られなかった」 と「劇(はげ)しい」の例が載っていましたが、その後に、 『「はげしい」は多く『激しい』と書く』 とありました。「劇」の左側の文字は、虎頭を持つ獣の意味で、その動作のはげしいことから「劇甚」の意味になるそうです。ふーん。 ついでに「激」も引きましたが、これはもう「はげしい」と載っていますね。その文字のほかに、 「烈しい・劇しいとも書く」 と書いてありました。「激」の「つくり」の方の意味は、 「呪霊を刺激して呪詛を加える呪儀。激しく流れることをいう。激しい意を表 す」 だそうです。呪いかあ・・・なんだか恐ろしい感じがしますね。 2008/3/24 |
◆ことばの話3198「バンカメ」 新聞紙上で時々見かける「バンカメ」は、何の略でしょうか? (A)バンドウガメ(亀) (B)バンキシャ(番記者)のカメラ (C)バンク・オブ・アメリカ 正解は「C」、「バンクオブアメリカ」の略ですね。 この間、「道浦俊彦のことば博士クイズ」で出題しました。 しかしそれにしても私は「バンカメ」と聞いた時に、まず「カメ」が気になります。 「亀」 という漢字が頭の中に浮かんできます。この、ドロガメ。いえ、その亀ではありませんたら。 クイズの解説では、こういう風に書きました。 『サブプライム関連などで、アメリカ2位の銀行「バンク・オブ・アメリカ」の追加損失が136億1000万ドル(約1兆4400億円) を計上したという記事が、1月23日の各紙に載っていました。その見出しは「バンカメ追加損1、4兆円」(読売)でした。「バンカメ」は「Bank of America」を「Bank Ame」と略したのでしょうね。ちなみにテレビ局では、何台かあるカメラを「1カメ、2カメ、3カメ」というふうに呼びます。』 そう言えば、藤山寛美さんの葬儀の中継をした時に、道頓堀の中座の前だったかと思いますが、「芝居茶屋」があり、そこに機材を置かせてもらったことがありました。そのお店の名前が、 「さんかめ」 でしたねえ。もうないのかしら?懐かしいです。 2008/3/24 |
◆ことばの話3197「千代紙映画」 昭和3(1928)年に書かれた菊池 寛の『半自叙伝』を読んでいたら、 『現在の子供はもっと早熟らしく、私の娘のルミ子は、今小学校四年生であるが、千代紙映画を見て、「こんな映画にも恋愛があるのね」と云って私を駭(おどろ)かせた。』 という一文の中に 「千代紙映画」 という言葉が出てきました。ハテ?一体何のことだろう?『精選版日本国土大辞典』『広辞苑』『三省堂国語辞典』を引いても出ていません。 ネット検索をしたら、いくつか引っかかってきました。 *『たとえばその線画の千代紙を使った千代紙映画というようなものを、大藤信郎ですね、後でカンヌで賞をとって、戦後ですけど、「くじら」という作品で賞をとったりして、神様、大藤千代紙映画という、神様になった、この人なんかも小型映画出身の人だし』 *『馬具田城の盗賊』(1926、日) 監督:大藤信郎(自由映画研究所)(千代紙切り絵アニメーション作品) *『千代紙や影絵アニメーションで世界に名高い大藤信郎氏による自作の(!)撮影台もありました。』 といった具合に、「大藤信郎」という人の名前がよく出てきます。「大藤信郎」で検索すると、作品の年譜が出てきました。この大藤さんという人は、随分たくさん「千代紙映画」を作られたようです。 <大藤信郎監督> 1927『弥次喜多 地獄極楽』千代紙映画 1928『珍説吉田御殿』千代紙映画 1929『こがねの花』千代紙映画 1930『お関所』千代紙映画 1930『村祭』千代紙映画 1931『黒ニャゴ』千代紙映画 1931『君が代』千代紙映画 1933『蛙三勇士』千代紙映画 1936『ちんころ平々玉手箱』千代紙映画 1938『空の荒鷲』千代紙映画 1939『海の荒鷲』千代紙映画 1947『雪の夜の夢』千代紙映画 1954『花と蝶』千代紙映画 戦前のみならず、戦後も昭和29(1954)年まで作られていたのですね。しかしちょうど菊池 寛が書いた1928年は、大藤監督が『馬具田城の盗賊』(1926)、『弥次喜多 地獄極楽』(1927)、『珍説吉田御殿』(1928)という千代紙映画を作った時期と重なりますね。 しかし、まだ「千代紙映画」そのものがどんなものであるかはよくわかりません。そんな中でこんな記事も見つかりました。安井喜雄さんという方が書かれている、 『ドキュメンタルな人々続・幻のフィルムを求めて(6)幻のアニメーション』 というコラムです。 「日本のアニメは大正6年(1917)に始まり、下川凹天、北山清太郎、幸内純一の3人が 活躍したとされるが、この3人の創始者のフィルムを見る機会がほとんどない。(中略)『文福茶釜』『動物オリムピック大会』『太郎さんの汽車』など多くの教育用アニメを作った横浜シネマ商会の村田安司や、『孫悟空物語』『黒ニャゴ』『村祭』などの千代紙映画で知られる大藤信郎の作品は、教育用や家庭用に流布されたので比較的残存率が高く、見る機会が多いのは嬉しいが、『くもとちゅうりっぷ』で有名な政岡憲三の作品は失われたものが多く、幻の作品が極めて多い。」 ここまで来てようやく、 『どうやら「千代紙映画」というのは、今で言う「アニメ」のことではないか?』 というところまでたどり着きました。大藤監督は「カンヌで賞」まで取ったのですか!すごいですね!不勉強で申し訳ないです。 しかし、菊池 寛は「千代紙映画」を「子供向けのもの」として扱っていました。当時はそういうものだったのでしょう。ちょっと勉強になりました。 2008/3/24 |
◆ことばの話3196「フエルトか?フェルトか?」 2月20日、大阪南部の織物工場で火事がありました。その会社の名前は、 「○○フエルト工業」 でした。この中のカタカナの「エ」が、「大きいエ」なのか、小さい「ェ」なのか?気になりました。読売テレビの昼のニュースで伝えたものは小さな「ェ」でした。しかし、リポートしていたS記者はその中のコメントで、 「フエルト」 と大きな「エ」でしゃべっていました。20日の夕刊各紙は、 毎日新聞だけ「小さいェ」で、読売・朝日・産経は「大きいエ」でした。(日経は記事なし) 大阪の南の方だから、もしかしたら固有名詞は「大きいエ」かもしれません。普通名詞の場合の書き方は『新聞用語集2007年版』によると「小さいェ」を使った「フェルト」でしたが。さあどっちでしょうか? 火事から1か月、当の会社に電話してみました。 「フエルトとのエは、大きいのでしょうか?小さいのでしょうか?」 「うーん、普通のおんなじ大きさでいってますがね。」 「大きいエで『フエルト』ということですか?」 「はい」 「それは、読む時もそうなんですか?『フェルト』ではなく『フエルト』で?」 「そうですね」 ということで、この会社の場合は「大きなエ」ということでした。固有名詞 ですからね。固有名詞と普通名詞で表記が違うということで言うと、女優の「ミラ・ジョボビィッチ」さんが設立したブランド「ミラ・ジョヴォヴィッチ」と、ちょっと似ていました。 2008/3/24 |