『日本国紀』読書ノート(137) | こはにわ歴史堂のブログ

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137】一進会は最大の政治結社ではなく、韓国内の世論は併合に反対であった。

 

「国内で併合論が高まると同時に、大韓帝国政府からも併合の提案がなされた。大韓帝国最大の政治結社である『一進会』(会員八十万~百万人)もまた『日韓合邦』を勧める声明文を出した。」(P326)

 

と説明されています。

なんというか、いまだに一進会が「日韓合邦」を提案した話を鵜呑みにされていることに少し驚きました。

一進会の実態はもうすでに明らかになっています。

 

まず一進会が求めたことは「対等の合併」です。声明文、まずちゃんと読めばわかることです。

「韓国自らを保つため、韓国皇室を万世にわたり尊栄させたい」と明記しています。

「両翼鼓身」「両輪行輿」という表現も見られます。

韓国を無くすこと、韓国皇室の退位などのぞんでいません。

「保護国の劣等、奴隷の侮蔑から抜け出し、対等の権利を獲得すべく合邦を求める」と書いています。

ネット上にみられる一進会についての言説のうち、「韓国の人々が韓国併合を求めていた」という主張は、明らかに意図的な「読み替え」でしょう。

 

さらに一進会のこの「請願文」を受け取った韓国統監府は困惑します。どうすべきかの判断を東京に打診しています。

 

明治四十二念十二月五日午后六時二十分発第三六号

 

日韓合邦ニ関スル一進会上書ノ趣旨ハ

一、韓国皇室ノ尊栄ヲ日本皇室ト共ニ永遠普及ニ垂レント欲スル事

二、韓国ヲシテ世界一等国ノ班ニ列シ、韓国民モ日本人同様ノ権利幸福ヲ受セシメン。

トスルノ二点ニ帰着シ合邦ノ意味ハ連邦ナルガ如ク、又、合併ナルガ如ク見ヘ、甚ダ不明ナリ。

元来、此ル大事ヲ一進会如キモノノ行動ニ基キ今日ニ実行セントスルガ如キハ、徒ニ平地ニ波風ヲ起コシ其局ヲ統ルコトナキニ終ルベシ

 

一進会の「対等な合併」については否定的に考えていることがわかります。つまりは統監府が考えていた「合邦」がどのようなものであったかは明白だと思います。おもしろいのはこれに続く文です。

 

殊ニ内田ハ、韓人ニ対シ此事ニツイテハ桂首相、寺内陸相ノ密旨ヲ受ケ来レルコトヲ声言シ居レルガ如シ。是最モ憂フベキ事ト存ス。

 

唐突に「内田」なる人物が登場してきました。彼は政治結社黒龍会の内田良平のことで、彼については、憲兵隊が機密報告を出しています。

 

憲機二三六五号

今回一進会ノ発表しシタル声明書ノ主謀者ハ内田良平ニシテ、同人ガ該書ヲ齎シタルコトハ蔽フ可カラザルモノニシテ、発表後、意外ニモ国民及ビ政府ノ反対熾烈ナルタメ、殆ンド今日ニテハソノ成算ニ苦ミ居レリト。

 

憲兵隊は、一進会の声明文の「黒幕」は日本人の内田良平であると断じています。

「大韓帝国最大の政治結社」と言われ、韓国民を代表しているかのように説明されていますが、その請願文は日本人の「企画」によるものであったことが濃厚です。

しかも、「意外にも国民および政府の反対」が激しかったこともわかります。

ネット上の説明では、韓国民の多くがのぞんでいる証拠のように一進会の請願の話がなされていますが、実際は違うことを日本の憲兵隊が「証言」しているのです。

 

そしてこの続きによると、

 

而シテ昨日、菊池謙譲ハ内田ニ対シ大要左ノ如キ忠告ヲ与ヘタリ。

 

一、今日ノ事件ハ時機未ダ熟セズ、一般ノ反対ヲ受ケ平和ヲ破壊スルノミナラズ、平地ニ風波ヲ起スモノナレバ、一進会ノ指揮ハ東京ニ於テ之ヲ為サズ、一切之レヲ京城ニ移シ、且ツ内田等ハ潔ク関係ヲ絶チ、間接ニ一進会ヲ援助スベシト。

二、各会中声望アルハ大韓協会ナルヲ以テ、該会ニ反対スレバ到底希望ヲ満シ能ハザルニヨリ、大垣丈夫ト協議決定スベシト。

 

一進会は、日本人活動家が背後で動いていたことが読み取れます。文内の「菊池謙譲」なる人物は統監府の顧問です。(また一進会の顧問には杉山茂丸という日本人もいます。)

しかも「各会声望アルハ大韓協会」と憲兵隊は把握していたことがわかります。

こうなってくると一進会が「大韓帝国最大の秘密結社」ということも怪しくなってきました。

 

一進会の会員はほんとうに百万人だったのでしょうか。

ネット上の説明では百万人の署名を集めた、とよく出てきますが、あれはウソです。

統監府に出された請願文の最後に、「一進会長李容九 同一百万人」と記されているだけなんです。つまり「自称」にすぎません。

それどころか、1909127日に「日韓合邦論に対する言動」という資料の中では「一進会ハ或ル一部ノ人士ヨリ成ル政治団体ニシテ、ソノ勢力モ我ガ韓国ニ於テハ大韓協会ノ如ク厖大ナラズ、ソノ会員ハ僅カ三千人内外ニ過ギズ」と韓国興学会副会長朴炳哲が証言しています。

 

ただ、これはちょっと「一進会なんてたいしたことない」という別団体の主張とも解釈できます。

実は、日韓併合によって一進会も解散させられているのですが、明治四十三年八月二十五日の「朝鮮総督府施政年報1910年版」に「併合ノ際解散ヲ命ジタル政治結社」として、

 

 会名 一進会

 創立年月 明治三十七年八月

 会員概算数 一四〇,七一五

 

と記されています。

一進会は、日本人活動家が背後にいて志操していた団体で、百田氏が説明されているように「大韓帝国最大の政治結社」ではなく、会員は八十万~百万人どころか、三千人~十四万人しか確認できない団体です。

日韓併合は韓国の人ものぞんでいたことだ、というリクツは今日では破綻している話なんです。

 

(参考)

「アジア資料センター レファレンスコードB03041514200,B03050325500,B03050325700,B03050610500」

『外交史料-韓国併合下巻』(海野福寿・不二出版)

『韓国併合』(海野福寿・岩波新書)

『日韓併合小史』(山辺健太郎・岩波新書)