プロレスラーの蝶野正洋(56)が企画・発案した書籍「防災減災119」(発売中、税込み1296円)が話題を呼んでいる。「黒のカリスマ」と呼ばれ、ヒール役でプロレス界を席巻したが、2010年にAED(自動体外式除細動器)講習を受けたのを機に、地域防災や救命救急の普及活動を始め、すでに10年の月日がたつ。「救命救急のカリスマ」として熱心に活動を続ける心の内には、2人の盟友の死があった。
悪役レスラーのイメージとは裏腹に、蝶野は10年間にもわたって救命救急の普及活動を続けていた。
2010年に26年在籍した新日本プロレスを退団。同年に受けたAEDの救命救急講習が、活動を始めるきっかけになった。講習時に頭に浮かんだのは、蝶野、武藤敬司(56)とともに「闘魂三銃士」として活躍し、05年に脳幹出血のため亡くなった橋本真也さん(享年40)。09年にリングでバックドロップを受けた際に、頭部を強打し亡くなった三沢光晴さん(享年46)の2人だった。
ともに40代の若さで亡くなったことへのショックはもちろん、橋本さんが「ZERO1」、三沢さんが「ノア」というプロレス団体の社長を兼任していたことも、一人のプロレスラーとして深く考えさせられた。
「経営者としてのストレスや心労が、病気を悪化させたり事故につながったんじゃないかとも思ってね。自分もその時は新日本で取締役だったので、特に三沢社長が亡くなった時は、業界全体で何か(対策を)しなければいけないんじゃないかと声を上げたんです」
当時は、25年戦い続けた自身の体も限界に近く、悲鳴を上げていた。かつては試合中に意識を失ったまま戦っていたことや、頸椎(けいつい)のけがで試合後に右半身がまひし、階段を下りられない状態になったこともあった。
「一歩間違えたら事故を起こすという世界。2人のほかにも何人か亡くなっている。命と隣り合わせでやってるのが分かっているからこそ、危ない時には試合をストップしたり、出場を回避する重要性を感じていたんです。ただ、10年に対策をやりかけのまま退団してしまった。個人で何かできることはないのかと考えていた時、AED講習がきっかけとなって消防庁の方から『普及に協力してくれないか』とオファーがあったんです」
プロレス界だけでなく、救命救急の知識があれば、世の中に助かる人が増えるかもしれない―。「分かりました、客寄せパンダになりましょう」と協力を快諾した。今では日本消防協会「消防応援団」、日本AED財団「AED大使」を務めるほか、14年には活動を広めるために一般社団法人「ニューワールドアワーズスポーツ救命協会」を設立した。
プロレスラーとしての実績はもちろん、タレント業を通じた幅広い層への知名度も普及に役立った。07年から出演している日本テレビ系「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」の特別番組「笑ってはいけないシリーズ」では制裁ビンタの執行役としてすっかりおなじみに。14~17年にはNHK Eテレの子供番組「Let’S天才てれびくん」に鬼教官役で出演した。
「プロレスラーって知らない人もいて、若い人には『年末のビンタの人』、子供たちには『蝶野教官』って言われて。でも、幅広い層の人に知ってもらえてるのはありがたいですね」
84年10月5日のリングデビューから35周年を迎える。自身にとって節目の年に、これまでの活動を一つの形にしようと書籍を企画した。「防災減災119」では地震、火災、風水害、被災後の4章で、災害時に自分の命を守るための具体的な行動術を記した。
「特に自分で自分の命を助ける『自助』の大切さに気づいて、身に付けてほしいと思ってます。25年間、プロレスで頑張って、ここ10年は芸能界、アパレル業に力を入れてきた。これからはさらに救命救急、社会貢献活動に本腰を入れて、自分の中の大きな柱にしていきたいと思ってます」
本業のプロレスは17年から休業中だ。だが、引退は明言していない。
「復帰? うーん、今はリングに上がるのが怖いですからね。解説をしていても、プロレスって危ないなぁと思ってる(笑い)。引退試合をしていないので、1試合ぐらい復帰できるぐらいの体調をつくりたいとは思ってます。その後、1か月ぐらい動けないかもしれないですけど」
◆蝶野 正洋(ちょうの・まさひろ)1963年9月17日、東京都出身。56歳。84年に新日本プロレスに入門し、同年10月5日、武藤敬司戦でデビュー。91年に「G1クライマックス」第1回大会優勝。G1は歴代最多の5回優勝。2002年に新日本プロレスの取締役就任。10年に退団しフリーに。アパレルブランド「アリストトリスト」の代表取締役も務める。得意技はSTF(ステップオーバー・トウホールド・ウィズ・フェースロック)など。家族はドイツ人の妻・マルティーナさん、長男(13)、長女(10)。