1 学習障害の定義 (1) 基本的な考え方 学習障害は、英語の learning disabilities(LD)の訳語である。この概念は、 早くから学習障害を特殊教育の対象として取り上げているアメリカ合衆国においても、 専門領域や研究者によってかなり異なっており、我が国においても、これまでに様々 な定義がなされてきていて、関係者の意見は必ずしも一致していない。そして、これ らの定義は、軽度の精神薄弱や情緒障害などをも一部に含む幅広いものから、いわば 特定の障害のみを指すものまで様々である。しかし、学習障害の定義いかんによりそ の判定基準、指導内容・方法が大きく異なってくることから、学習障害の定義につい て検討を行い、教育面からとらえた一定の定義を確立することは、学習障害等を有す る児童生徒の学校教育の改善・充実方策を検討する第一歩として、極めて重要である。 世界的に見て、これまでに試みられた学習障害に関連する定義のうち代表的なもの としては、世界保健機関(WHO)が病名の診断の際の国際的標準として定めている ICD-10(1990年5月版)の「特異性発達障害」の一部、アメリカ精神医学会 が診断に際しての病名・障害名の標準として定めているDSM-III-R(1987年) の特異性発達障害の一部、アメリカ合衆国の障害者教育法修正(1975年)における 「特異性学習障害児(children with specific learning disabilities)」、学習障 害に関係ある八つの団体からなる全米学習障害合同委員会(NJCLD-National Joint Committee on Learning Disabilities)の定義等がある。これらの様々な定義 は、その中核となる部分については、ほぼ同じものを指しているが、周辺部分につい ては必ずしも一致しておらず、言葉に関する障害等一部の障害の含め方は異なったも のとなっている。また、同じ定義を用いる場合でも、その解釈ないし判定の基準は異 なることがあるのが現状である。 本調査研究協力者会議では、学習障害の定義の検討に当たり、これら代表的な学習 障害の定義を参考としたが、学習障害等を有する児童生徒の学校教育の改善・充実と いう観点から、主として全米学習障害合同委員会の定義及びアメリカ合衆国の障害者 教育法修正における定義、とりわけ、1990年に多くの専門家団体の間で広く容認 された全米学習障害合同委員会の定義を参考としつつ、学習障害の現段階での定義を 以下のとおり示すこととした。 (2) 学習障害の定義 本調査研究協力者会議においては、学習障害の現段階での定義としては、次のとお りと考える。
学習障害とは、基本的には、全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する、推論するなどの特定の能力の習得と使用に著しい困難を示す、様々な障害を指すものである。 学習障害は、その背景として、中枢神経系に何らかの機能障害があると推定されるが、その障害に起因する学習上の特異な困難は、主として学齢期に顕在化するが、学齢期を過ぎるまで明らかにならないこともある。
学習障害は、視覚障害、聴覚障害、精神薄弱、情緒障害などの状態や、家庭、学校、地域社会などの環境的な要因が直接の原因となるものではないが、そうした状態や要因とともに生じる可能性はある。また、行動の自己調整、対人関係などにおける問題が学習障害に伴う形で現れることもある。
( 参 考 ) ● 全米学習障害合同委員会の定義 学習障害(LD)とは、聞く、話す、読む、書く、推理する、あるいは計算する能 力の習得と使用に著しい困難を示す、様々な障害群を総称する用語である。 これらの障害は個人に内在するものであり、中枢神経系の機能障害によると推定さ れ、生涯を通して起こる可能性がある。 自己調整行動(self-regulatory behaviors)、社会的認知(social perception)、 社会的相互交渉(social interaction)における諸問題が、学習障害と併存する可能 性があるが、それ自体が学習障害を構成するものではない。 学習障害は、他の障害の状態(例えば、感覚障害、精神遅滞、重度の情緒障害)、 あるいは(文化的な差異、不十分あるいは不適切な教育のような)外的な影響と一緒 に生じる可能性もあるが、それらの状態や影響の結果ではない。 ● アメリカ合衆国の障害者教育法修正における定義 話しことばや書きことばの理解や使用に関与する基礎的心理的過程において、一つ ないしそれ以上の障害(disorder)のある子供を意味し、これら障害は、聞く、考え る、話す、読む、書く、綴る、又は計算する能力の不完全として現れる。知覚の障害 (handicap)、脳損傷、微細脳機能不全、読字障害、発達性失語などの状態を含む。 一次的に、視覚、聴覚、運動の障害(handicap)の結果、精神遅滞、情緒障害の結果、 又は環境的、文化的若しくは経済的に恵まれない結果として、学習上の問題をもつ子 供は含まない。 (3) 学習障害の定義の解説 ア 知的発達との関係について 定義では、学習障害の要件として、「基本的には、全般的な知的発達に遅れはない」 ことを挙げた。 この「全般的な知的発達に遅れはない」という要件は、個人の知的能力を構成する 分野について見ると、特定の分野についてはその能力の習得と使用に著しい困難を示 すことはあるものの、総体としての知的発達に遅れは見られないという趣旨である。 イ 特定の能力の習得と使用の困難について 定義では、学習障害は、全般的な能力の習得と使用の困難ではなく、特定の能力の 習得と使用に著しい困難を示すものを指すこととし、「聞く、話す、読む、書く、計 算する、推論するなどの特定の能力の習得と使用に著しい困難を示すものである」と した。 このことは、例えば、「聞く」ことなど、一つの能力の習得と使用だけが著しく困 難な場合もあれば、「聞く」能力と「計算する」能力など、複数の能力の習得と使用 が著しく困難な場合もあることを示すものである。 また、定義に掲げた「聞く、話す、読む、書く、計算する、推論する」能力は、日 常生活に必要な基礎的能力であるが、これらは、主として、国語と算数又は数学の教 科の学習の際に求められる能力であると言える。したがって、このような能力の習得 と使用の著しい困難は、国語や算数又は数学の教科の遅れとなって現れることが予測 できる。ただし、更に分析的に見ると、国語や算数又は数学の全般的な遅れというよ りは、話すことには問題はないものの、読むことに問題が見られるというように、教 科内において、その一部の能力に遅れのある能力のアンバランスとして現れる場合が 多いと考えられる。 なお、学習障害は、「聞く、話す、読む、書く、計算する、推論する」能力の習得 と使用の困難として現れるだけでなく、運動・動作の能力、社会的適応性に係る能力 等一部の能力の習得と使用の困難として現れる場合もある。このため定義では、「聞 く、話す、読む、書く、計算する、推論する」の後に、「など」を付け加えて、こう した様々な能力の習得と使用の困難として現れる場合があることを示唆することとし た。 しかしながら、この「など」により表現される能力が具体的に何であり、どのよう にその限界を画するかについては、本調査研究協力者会議としてもいまだ結論は得ら れておらず、今後、更に検討を進める必要がある。 なお、定義中の「著しい困難」の具体的な程度についても、今後、適切な指導の形 態や場などについて検討を進める際に問題となることから、今後更に検討を行ってい く必要がある。 ウ 基礎的心理的過程の障害について アメリカ合衆国障害者教育法修正の学習障害の定義には、話しことばや書きことばの 理解や使用に関する基礎的心理的過程の障害についての記述が見られる。すなわち、 様々な感覚器官を通して入ってくる情報を、受け止め、整理し、関係づけ、表出する 過程のどこかに十分機能しないところがあることが要件とされている。しかし、定義 で採用している「特定の能力の習得と使用に著しい困難を示す」という要件は、基礎 的心理的過程の障害の結果であるとも考えられるので、改めて基礎的心理的過程の障 害について定義に盛り込む必要はないと判断した。 エ 原因について 学習障害が中枢神経系のどのような機能障害によるものであるかについては、現段 階では、まだ医学的に十分に明らかにされているとは言えない。しかし、学習障害の 原因として、学習障害は、視覚障害など他の障害から二次的に生じる学習上の困難は 含まず、また、家庭環境や社会環境などの環境的な要因によるものではないなどの条 項を設けるだけでは不十分であるため、全米学習障害合同委員会の定義を参考とし、 「学習障害は、その背景として、中枢神経系に何らかの機能障害があると推定される」 ことを示した。 オ 年齢範囲について 学習障害は個人に内在するものであり、その状態が顕在化する時期は主として学齢 期であるが、幼児期の場合もあれば、青年期の場合もある。定義の「障害に起因する 学習上の特異な困難は、主として学齢期に顕在化すが、学齢期を過ぎるまで明らかに ならないこともある」という記述は、このような考え方に基づくものである。 カ 他の障害との重複について 定義では、「学習障害は、視覚障害、聴覚障害、精神薄弱、情緒障害などの状態・ ・・が直接の原因となるものではないが、そうした状態…とともに生じる可能性はあ る。」とし、視覚障害等の他の障害から二次的に生じている学習上の困難を学習障害 の範疇から除外するとともに、他の障害の状態と学習障害の状態とが重複して生じる 可能性があることを示している。 他の障害と学習障害との重複については、特に精神薄弱との重複が問題となる。こ の点については、精神薄弱が直接の原因となるものは学習障害には含まれないが、学 習障害の状態と精神薄弱の状態が併存する場合はあり得ると考えられる。このため、 定義では、上記の重複障害に関する記述のほか、知的発達との関係に関する記述に 「基本的には」という文言を挿入し、こうした趣旨を表現している。 キ 行動上の諸問題について 定義の「行動の自己調整、対人関係などにおける問題」という記述は、全米学習障 害合同委員会の定義の「自己調整行動、社会的認知、社会的相互交渉における諸問題」 と同趣旨である。これは、全米学習障害合同委員会の定義中の「social perception」 という概念を一般的な表現で表すことが困難であることなどの理由から、このような 表現を採用することとしたものである。 また、学習障害の医学的な定義との関連で、しばしば「注意欠陥」及び「多動障害」 という概念が取り上げられている。しかし、本調査研究協力者会議では、定義には 「行動の自己調整、対人関係などにおける問題」という状態像の記述を盛り込んだた め、注意欠陥や多動障害について改めて記述する必要はないと判断した。