第七話 小森さん
学校の女子寮。
ドア越しの少女は心を閉ざすように言った。
「私は部屋の中の方が安心するのです。それに私がむやみに外に出ると、誰かを傷つけてしまうかもしれないのです……」
「傷つける……?」
「気にしないでください。心配しなくても、わたしは引きこもりでもちゃんとやっていけてるのです。自習だけで進級も出来ましたし、問題はありませんよ」
「そうなんだ。授業聞かなくてもテスト出来るなら凄いな。相当自習を頑張ってるんじゃないか?」
「そうなのです。それに、私は引きこもりながら人生を謳歌する計画を立てているのです。ほぼ誰とも顔を合わせずに生計を立てる。名付けて『由紀の引きこもりビジネス計画』なのです」
自慢げにそう言ってみせる少女。どうやら、だいぶ面白い考えを持っている子らしい。
「へえ、高校生でもう将来の仕事について考えてるのか」
「……、私の言う事を疑わないのですか? 引きこもったまま仕事なんて出来るわけがないとか、言わないのですか?」
問いかけてくる少女は、少し不思議そうに声を低くしている。
「いや、仕事なんていくらでもやりようはあるだろうし。計画もちゃんとしてるなら、大丈夫なんじゃないかな」
「ほ、ほんとですか?」
「うん。俺の知り合いに、ずっと家にこもったまま生計立ててる人もいたよ」
俺が生まれ育った日本での話だが、実際にそういう人はいた。ネット系の仕事をやっている人で、ほとんど外に出ていなかった。
「そ、そうなんですか! あなた、用務員さんなのに随分と広い見識を持ってるんですね」
「そうかな。普通だと思うけど」
「普通ではありません。みんな、『まずは外に出なきゃ何も出来ない』って言って聞かないんです。魔女は頭の固い人ばかりなのです」
「そうなんだ。それで、どんな計画なんだ?」
「はい。わたしは魔力量に自信があるので、魔水晶に魔力を込めて売る仕事をしたいのです。それなら、仲買の人さえいれば私は引きこもったまま仕事ができます。薄給かもしれませんが、外に出るよりはよっぽどいいのです」
なるほど。シンプルな内職ではあるが、魔術師にしか出来ない事なら需要はあるんだろう。
「いいじゃん。それで食っていけりゃ文句なしだよ」
「そうですよねっ。稼ぐ事さえできれば人と関わる必要なんてないんです。用務員さん、話が分かりますね」
どうやら好感を持ってくれたらしい。まあ、ドアの向こうからだが。
「そういえば、家じゃなくて寮にいるのは何でなんだ?」
「それは……。実家が北海道なので、東京の寮に送り込まれてしまったのです。本当は高校なんて行かず実家で引きこもりビジネスをしたかったのですが、母親がそれを許してくれませんでした。
ここでは食事は運んできてもらえますし、トイレもお風呂もこの部屋についていて、完全に室内で暮らせるよう配慮はしてもらっているのですが。
ただ一人、気を許していたお姉さまと離れ離れになってしまったのです」
「そっか。それで一人で人形と遊んでたのか」
「き、聞いてたんですかっ」
つい漏らしてしまった言葉に、小森さんは機敏に反応する。
「ごめん。聴こえちゃったんだよ」
「もうダメです……。用務員さんに秘密を知られてしまいました……。学校中に言いふらされて、わたしは笑いものに……」
木の板の向こうで取り乱す少女に、俺はなだめるように声をかける。
「大丈夫、言いふらさないって」
「ほ、本当ですか……?」
「絶対、それは約束するよ。それより、小森さんって将棋やるんだろ?」
「……。地味な趣味だと思いましたか?」
「いや、違うよ。俺も将棋好きなんだけどさ。相手がいなくてずっとやってないんだよ。なあ、よかったら一局やらないか?」
ゲーム好きの俺にとって、将棋は子どもの頃からやっている大好きなゲームだ。異世界へ行ってから二年の間、誰とも指していなかった。
対局に飢えた俺の誘いに、少女は少し沈黙する。
「……いいでしょう。ですが、男性の用務員さんが私に勝てると思わないでください。では私が先手、2六歩です」
どうやらドア越しにやるつもりらしい。初手の2六歩は、敵の飛車の前にある歩が上がった事を意味する。
互いに手を言い合って棋譜を頭に描いていれば、盤面や駒がなくても言葉だけで将棋をする事は可能だ。
しかしかなりの記憶力を必要とするらしいが、俺にも出来るだろうか。
脳に神経を集中させてみると、妙に鮮明に盤面が描き出される。これは、魔力の効果だろうか。
とにかく、何事も挑戦だ。
「望むところだよ。3四歩」
俺は角の斜め前の歩を上げ、逃げ道と同時に攻め筋を作る。
序盤は定石通りに手が進み、中盤からはかなりの混戦となった。
「3二銀」
「ど、同金です」
そして、終盤。
「5一龍」
俺の一手で、脳内にある盤面は詰みが確定した。
小森さんの王は、もはやどこにも逃げようがない。
「ぬ、ぬうう……。参りました」
それを理解したのか、彼女は負けを宣言する。
「ふう、ありがとうございました」
終局の挨拶をして、俺は息をつく。
常に盤面を頭の中で描くのは大変だと思ったが、何とかやれたようだ。
「おかしいです。こんなに強いなんて、あなた。ただの用務員さんではありませんね?」
「あはは、どうだろうな」
「怪しいです……。一体、何者なのですか?」
「いや、別に正体を隠してるわけじゃないからさ。俺を見たかったら見ればいいけど」
「……、それは……」
どうもやはり外に出る事に抵抗があるらしく、沈黙してしまう小森さん。
強引に連れ出すつもりはないので、俺は話を切り上げる事にした。
「ごめん。ドア開けて出てこいなんて言うつもりはないんだ。それにさ。別に俺が誰でもいいだろ。ただのプリント係だよ」
「……はい」
「それじゃ、またプリントあったら持って来るからな」
そう言って歩き出そうとする俺に、小森さんが小さく声をかけてきた。
「あの……」
「ん?」
「また、対局してください。その、負けたままでは終われませんから」
「ああ、喜んで」
ドアに向かって頷き、俺は七号室の前から立ち去った。
女子寮から出ると、既に日が高くなっていた。
もう十二時は過ぎているだろうか。
テニスコートのような場所で、生徒たちが魔法で球を打ち合っているのが見える。
そんな光景を眺めながら、俺は第二校舎へと戻っていく。
職員室に入ると、椎名さんと空理先生の姿が見えた。
「あら、遅かったわね東君。何かあったの?」
こちらに気付いて声をかけてくる先生に、俺は頷いて答える。
「はい、ちょっと小森さんと将棋をしてまして」
「将棋って……、もしかして彼女と顔を合わせたんですか?」
驚いて目を見開く椎名さんに、俺は首を横に振る。
「いや、顔は見てないよ。ドア越しに棋譜を言い合って、将棋盤なしで対局したんだ」
「そ、それはまた随分と高度な事をしましたね……」
感心するように唸る椎名さんの傍で、空理先生は目を輝かせた。
「凄いわ、初対面で小森さんとそこまで仲良くなれるなんて! やっぱり東君をプリント係にしたのは当たりだったかしら」
「あ、もしかして先生。意図的に引き合わせたんですか?」
「いいえ、他に希望者がいなかっただけでたまたまよ。小森さん、引きこもったままでやっていけるって言って、顔もなかなか出してくれないのよね」
「ああ、言ってましたね」
「私も、嫌がってる子を無理やり外に引きずりだしたいとは思わないわ。でも来週は大事な実地試験もあるし、彼女も学校の外に出て一定の成果を出さなきゃいけないの。
人と関わるのは魔術師として避けられない事よ。だから、東君と仲良くなれたのは小森さんにとって凄く良い事なの」
「そうですね。俺も小森さんと将棋するのは楽しいので、また指したいです。でもあの子、自分は部屋を出るべきじゃないとか言ってましたけど」
「ええ。小森さんの場合は、中学生の頃に魔力暴走があったのも大きな原因らしいけど……」
腕組みをして顔を落とす先生は、小森さんの事情をかなり知っている様子だ。
「魔力暴走、ですか」
「まあ、東君がそこまで立ち入る必要はないわ。趣味が合うなら、一緒に将棋してあげて。あとは実地試験の時に一緒に組んでもらうかもしれないけど……。とりあえず明日からは本格的に授業に入るし、二人とも自分の事に集中なさい」
「はい、わかりました」
神妙な顔で告げる先生に、俺たちは二人で頷いた。
職員室での用事を終えた俺たちは、二人で校舎の外へ出ていく。
グラウンドに出ると、何やら『ようこそ東魔高へ!東大地君 (はぁと)』みたいな文字が空に浮かんで見えるのだが、気のせいだろうか。
いや、気のせいではない。ここは魔術学校だ。
どうやら俺が歩いているのに気付いてどこかの部員たちが挨拶をしてくれているのだろう。
見れば、マントを着た集団がこちらに向かって手を振っている。
俺も小さく手を振ると、彼女たちはきゃっきゃと飛び上がって盛り上がっていた。
ああいう人たちと関わり合いになるかというと、別にそうでもないんだよな。
と思ったら、彼女たちは駆け足で俺に近づいてくる。
なんだかすごい勢いだ。それに人数も多い。大丈夫なのか。
そんな様子を見て、椎名さんは慌てたように言った。
「ま、まずいですね。パフォーマンス部の大群に囲まれたら、そうそう帰してもらえませんよ」
「ええっ?」
「すぐ門を出ましょう! 学校の外に出れば追いかけては来ないはずです!」
「お、おう!」
俺は椎名さんと共に、逃げるように門の外へと走って行く。
俺の魔術高校の初日は、そんな風に終わったのである。