179 食料庫に残った痕跡
魔法袋のように時が止まっている食料庫なのだから、当然パントリーか蔵のような冷暗所、もしくは黒い渦のようなものに手を突っ込むかの三択で想像していたのだ。
しかし予想とは違っていた。
「りゅ、竜!!」
開けた瞬間、青い竜の顔がこちらを見て止まっていたのだ。
条件反射で幻想剣を取り出したが、そこでナディアに後ろから押さえられた。
「ルシエル様、この竜は死んでいます」
その言葉を聞いて冷静に見てみると、竜はフワフワと浮いていた。いや、竜だけではなく、色々な魔物がまるで宇宙空間を漂っているように見えた。
「……俺が開いたのは本当に食料庫なのか?」
「調べてみないと分かりませんが、全て食用の魔物なのではないでしょうか?」
「この中に誤って閉じ込められたら、待っているのは死しかないのか?」
「いえ、ここに人が入っている場合は閉めることが出来ない設定になっていると書かれています」
扉の内側に真新しい紙が貼ってあった。
その中に注意書きとして、人をベースにした者が生きて入った場合、締まらない設定になっている。
そう書かれていた
「……これが本当なら大丈夫か。しかしこれに入るのはなぁ……」
俺はこの宇宙空間に入るのを、躊躇していた。
それを察したナディアが、俺を掴んでいた手を離し、食料庫に入る。
「おい、まだ調べていないのに、危ないだろう!」
さすがにこんな意味が分からない部屋へ、一人で行かせるわけには行かなかった。
「大丈夫です。一通り何が何処にあるのか、場所を把握したら、戻って参ります」
「あ、私も行ってきます。ルシエル様は念の為、こちらで待機していてください」
リディアは笑顔で、食料庫へと入っていった。
帰ってきたら、好奇心は何たらということわざを、リディアに教えることを決めた。
俺は仕方なく留守番を命じられたのだが、浮いている魔物に目を奪われがちだったが、奥には幾つかの部屋があるように見えた。
しかし全員が中に入るのは危険なので、俺は仕方なく中の探索を二人に任せて、オルフォードさんから貰った資料に目を通すことにした。
「なるほど。あの魔力が身体に纏っているような状態は、魔力を垂れ流しているのと同じことだったのか」
あの湯気のように視認出来た魔力は、体内から体外に出ようとして、押し止められている状態だと書かれていた。
「魔力耐久力が上がるってことなら、魔法を放つ相手がいても何とかなりそうだな。あれ? しかしそうすると、何故幻想杖に、俺の魔力が流れたんだ? 武器に流れたってことは、何か重要な気がするんだけどなぁ……」
そんなことを考察していると、二人が興奮した様子で食料庫の中から出てきた。
それも一頭のビッグボアを二人で抱えてだ。
「どうしたんだ、二人揃って随分と嬉しそうだが? それにそのビッグボア……やけに大きくないか?」
今までもビッグボアは狩ったことがあるし、食したこともあるのだが、それよりも二回りは大きいのだ。
「ルシエル様、ここは見たことがない魔物がたくさんいました。これもビッグボアだと思っていたんですが、実は数十年間も存在が確認出来ていない幻のビッグポークなのです」
何故豚? それよりも何故これが豚になるんだろうか? この世界の豚といったらオークなのに。
「……あまり生態に詳しくないのだが、このビッグポークはオークやビッグボアの系譜なのか?」
「諸説あるようですが、長い年月を掛けて、環境で生態の変化があったと言われています」
「ビッグボアのように攻撃的ではなく、臆病な性格なので、警戒心がとても強かったと魔物図鑑にも書いてありました」
「そうなんだ……調味料はあるから、解体をして魔法袋にしまいたいところだけど……残念ながら、浄化魔法が使えないんだよな」
俺がそう告げると明らかに落胆した顔を見せる。
しかしこれだけ綺麗な厨房を、解体して血で汚すのはどうも気が引けた。
こんなことなら、治癒士を一人連れてきた方が良かったのだろうが、人数制限もあったし無理な話だった。
「……食べるのは、治癒属性魔法を取り戻してからだ。他に色々と珍しいものがあるんだろうが、全て後回しになる。じゃあ俺も一度見てくるから、見張っていてくれ」
「「……はい」」
二人はしょんぼりとしながら、見送ってくれた。
それを背に食料庫へ入ると、身体から重力が失われていく。
「こ、これって不味くないか?」
地面から離れるだけで、何故か安心感が消えていく。
あの二人はどうやってこの中を自由に動けたんだろうか?
頑張って進もうとすると、普通に直進し始めた。
「あれ? これって意思の力で移動出来るのか!」
その自由さに高揚感が生まれてきたが、その時ふと二人が中に入って直ぐに出てこなかったことを思い出した。
そうすると、扉が開いている時はここも時間が経過しているのだと思い、急いで奥の部屋へと移動する。
「飛んでいるみたいだな」
そんなありきたりの言葉が出る時点で、どうやら俺は浮かれているらしい。
三つある部屋の右側には、何故か調味料が置いてあった。
醤油や味噌は勿論、砂糖や塩、胡椒まで、かなりのストックがあった。
「……これを作ったのって、魔術ギルドの職員か? 明らかに……まさかな」
俺は折角なので、醤油と味噌を味見用として魔法袋の中へ、かめ壺を一つずつ貰うことにした。
その他にも何故かケチャップやソース、マヨネーズがストックしてあるのだった。
「……これだけのケチャップやソースを作るのに、どれだけの手間を掛けたのかは分からないが、あまり減っていないってことは……」
俺は静かにその部屋を出て、真ん中の部屋へと移動してみる。
そして扉を開いてみると、野菜が大量にストックしてあった。
「……尋常な数じゃない。まぁこれだけあっても、世界は救えないか。一人とかなら数十年、数百年は暮らせるかも知れないけど……」
時代が違うのに、俺はレインスター卿という存在を知ってから、この人なら全て問題を解決してしまうのではないか? そう思えてしまうのだ。
では、彼が生きていた時代のことを考えると、きっと現地神のような存在として、見られていたのではないのか? そう思えてしまう。
四六時中、そんなプレッシャーを受け続けながらも、結果を出しているのだから、生き様がやはり勇者だったんだろうな。
そんなことを考えながら、いくつもの野菜を魔法袋に入れていくが、ここでは知らない野菜もあまりなかったので、問題なさそうだった。
「さてと、最後の部屋に行ってみるかな」
そして最後の部屋を開いた俺は驚愕した。
「何故部屋の中にジャングルがあるんだよ」
イエニスの地下でポーラが擬似太陽を作ったりしていたが、根本的にレベルが違う。
まず時空魔法で擬似空間を作成して固定する。そこ部屋を作るのは転生者ならではだけど、そこにジャングルを出現させるのってどうかと思う。
中へと入っていくと、もう収穫出来る実がいくつもあった。
「これはレインスター卿がしたことではないな。これだけ木を成長させることが出来るのはエルフだけだ。そうなると、これをやったのは教皇様の母である可能性が高いな。教皇様へのお土産として、帰るときにでも貰っていこうか」
辺りを見回してから帰ろうとした時だった。
ふと視界に金色の果実が映ったのだが、それよりも奥にあった、小さな木が気になって近づいていくと、そこにはリンゴの形をした真っ白な果実が成っていた。
「……金色の果実よりも存在感のある果実とか、何となくだけど、力になってくれそうなんだよな。一歩間違えば毒リンゴにも見えるけど、俺に毒は効かないし、後で食べてみるか」
俺は真っ白な果実をもいでから、魔法袋にいれると、果実をもいだ木に魔力を流す。
すると少しだけど、魔力が減った気がしたので、自己満足感に浸りながら、食料庫から出るのだった。
「ルシエル様、結構長かったですね」
「中で何か発見したんですか?」
どういう工夫をしたのかは分からないが、既にビッグポークの解体が終わっていて、食べられる部位とそれ以外に分別されていた。
解体されたというのに、血が一滴もたれないことなんて、普通ではないことがら、血抜きが完璧だったとしか考えられなかった。
しかし解体しない方向で話をしていたはずなのに、それだけビッグポークが食べたかったんだろうか?
この世界の女性は、甘いものと肉がどれだけ好きなのか、溜息が出そうだった。
綺麗に解体が終わっているし、それに文句をつけることもないと思い、二人の疑問に答えることにした。
「調味料と野菜、あと真っ白な果実を一個もいだぐらいだな」
「真っ白な果物って、美味しそうだったんですか?」
「いや、まさに毒リンゴだったが、毒に耐性があるから食べてみようかと思ってな。食べたいか?」
「「遠慮させていただきます」」
二人はハモリながら、遠慮した。
二人のそんな普通の反応をみながら、食料庫は十分過ぎる程、充実していることが確認出来た。
そのために今後はこちらで炊事することに決めたのだった。
昼食と夕食の献立を皆で考える。
俺は断然しょうが焼きと豚汁……そう思ったのだが、豚シャブも捨てがたいと、あれこれ考えて魔導書庫へと向かうのだった。
魔導書庫へ到達したところで、昨日の三人組みが、俺達が来るのを待っていた。
「おはようございます。えっとメインリッヒさん」
「おはようございます、ルシエル様、私のことはエリナスと呼んで下さって結構です」
「そうですか、それで何か御用なのでしょうか?」
「ええ、少し煮詰まっていて、ご助力いただけないかと思いまして」
「申し訳ありませんが、当面は教皇様からの命がありますので、そちらを優先しなければいけません。ご遠慮させてください」
俺がそう言って、横を通り抜けようとすると、エリナスさんがボソっと何かを呟いた。
俺は振り返って、ナディアとリディアを見るが、二人は急に立ち止まったことに驚いている様子だった。
何を言ったのか聞き取れなかったみたいなので、きちんと聞くことにした。
これで外交問題とか言われたら、目も当てられない。
「……何か言われましたか? 申し訳ありませんが、聞き取れなかったので、もう一度お願いしても宜しいでしょうか?」
すると彼女は顔を真っ赤にして、今にも泣きそうな顔で口を開いた。
「……もうお金がありませんの。研究費も底をついてないし、魔導書庫へ入るチケットも買えませんの。ですから、お金を貸していただけませんか」
「へっ?」
その予想外の一言に、固まる。
ここに来ている以上は国の支援を受けているはずだ。
それがないとはどういうことなのだろうか?
「本国からの送金がある筈では?」
ナディアが変わりに聞く。
さすがに祖国だから、今回の件に疑問を感じているのだろう。
「それはその……」
エリナスさんが言いづらそうにしているところを、後ろに控えている側つきの女性が答える。
「ネルダールへ来て約一年。使用した額が白金貨十枚程となり、支度金として渡された額は全て使い切られてしまいました。追加融資を受けようにも、研究成果が一つも上げられていないので……」
それ以上は語らなくても分かった。
「ブランジュから来られている方は、他にもいらっしゃいますよね?」
すると、違う方の側つきの女性が答える。
「我が国の貴族では、領地が増えないので、足の引っ張り合いをしておりまして……」
最後まで語ることはなかったが、言いたいことは理解出来た。
どうしようかと悩んでいると、ナディアとリディアが、何故か頭を下げた。
「とりあえず午前中は中で勉強しますので、今回だけは一緒に入室しますが、今後のことはナディアとリディアに相談してください」
「あ、ありがとうございます。やはり聖神の使徒様ですわ」
「何ですかそれは?」
「公国ブランジュでは、ルシエル様のお名前はそう通り名が付けられています。治癒士ギルドの統率を一手に担い、立て直したと言われています。まさか奴隷商人や悪徳治癒士を敵に回すなど、普通は出来ませんもの。他にも色々と……」
ヤバイ、聞きたくない。
「まぁいいでしょう。中へ行きましょう」
俺は魔導書庫へと逃げるが、それを少し残念そうに見つめる五人の姿で、何故だか胃が痛くなるのだった。
お読みいただきありがとうございます。