177 予感
調べたものを書き写して一段落すると、辺りはすっかりと暗くなっていた。
「二人ともお疲れ様。今日はこのくらいにして、食事にしよう」
「「はい」」
返事を終えたナディアは両手を組んで上へと伸ばし、リディアは机に突っ伏した。
俺が持ち運んだ蔵書は全部で五十を超え、その中で有用な情報が出てきたのは、何となく気になった本ばかりだった。
得られる情報も一つにまとまっていることはなく、全てが少しずつ小出し状態だったので、時間が凄く掛かった。
「食堂に行くのは面倒だし、こちらの部屋で食事をすることにしてもいいか?」
「「分かりました」」
何処で食べても同じなので、そう提案すると直ぐに二人とも了承してくれた。
「一応全ての本はあったところに戻していこう。あとで難癖を付けられても困るからな」
「さすがにそこまではしないと思いますが、分かりました」
「何もしていないのに無条件で嫌われるって、とても悲しいです」
「そうだな。まぁこれを司書の仕事だと思って頑張ろう。頑張ったら食事にハチミツ水をつけよう」
「早く片付けてしまいましょう」
「元気が出てきました」
二人は楽しそうに片づけをし出したので、俺も片付けを始めた。
羊皮紙にまとめられたものは、一旦こちらで全てを預かることにした。
二人が折角調べたものを誰かに文句を付けられるものにしたくなかったのだ。
こうして久々に頭を使ったので、今日の夕食はボリュームのあるものにしようと思うのだった。
部屋までは誰に会うこともなく、足音がやけに響く夜の廊下が少し薄気味悪かった。
幸い灯りがともされていることもあり、恐怖心は感じなかった。
「二人とも気がついているか?」
「はい。数は三人です」
「魔法を放つ準備は既に出来ています」
魔導書庫を出てから直ぐに、近くにいたはずの魔力が揺らいで消えたのだが、肝心の気配を隠すことは出来ていなかった。
歩きながら、会話を続ける。
「何か悪意を感じる訳でもないし、基本は無視で構わないかな。二人はどう思う?」
「問題ないですね。たった二ヶ月の修行でしたが、得られたものの多さに驚いています」
「あれぐらいなら問題ありません。もしかするとオルフォードさんが指示を出した監視かも知れませんし」
二人に気負った部分はなく、いつでも対処出来るようになっていた。
「じゃあ基本的には無視の方向で……って、もう部屋に着くな」
視界に割り当てられた部屋が映ったので、部屋の開けようとした時だった。
「あ、あのう。もしかしてバクレイ子爵家のナディアさんとリディアさんじゃないかしら?」
三人組の中から一人の女性が声を掛けてきた。
後ろの二人も女性のようで、声を掛けてきた女性に従うように姿を見せた。
三人共、二十歳前後の容姿をしているように見える。
「貴女はメインリッヒ伯爵家のエリナス様、ご無沙汰しています」
「エリナス様、ご無沙汰しております」
どうやら二人の知り合いらしく、恭しく頭を下げようとしたが、会釈だけで済ませる。
それが気に触ったのか、後ろの側付きが文句を言おうとするが、それをエナリスが手を上げることで制した。
「お二人はどうやってこちらへ?」
こちらには目もくれずに二人だけ声を掛けるが、きっとこれが貴族の振る舞いなのだろう。
しかし選民思想に取り付かれ過ぎていて、思慮深くないことが明白だった。
この話振りからすると、公国ブランジュの貴族の娘なのだろう。
公国ブランジュの出身なら、王に謁見させられるだけの力を持った貴族になるが、伯爵でも頭一つ抜けて優秀な家系なのかも知れない。
「私達を救ってくれたルシエル様の元で、色々と勉強させていただいています」
「それに私達は既に国を捨てているので、身分は冒険者です。それよりもエリナス様がどれだけ失礼な方なのか、初めて知りました」
二人は確実に俺を無視した女性に怒っているようだった。
二人がまさかそのようなことを言ってくるとは思っていなかったようで、女性とそのお付きは完全に固まってしまっていた。
こちらに話しかけてくる時も少し緊張していたみたいだし、もしかすると魔術士ギルドで成果を上げられずに焦っていたところで、二人を見かけて話し掛けて来たのだろうか?
そこまで考えていると、お付きの二人が暴走してしまう……ことがないように、女性が従者達の腕を掴んでいた。
そして先程のことが嘘のように謝罪をしてきた。
「……ご無礼を働きましたことお許しくださいませ。私は公国ブランジュの北東を領主にしているリカルス・フォン・メインリッヒの次女で、エリナス・メインリッヒ申します」
スカートの端と端を持って、優雅なお辞儀をしながら、挨拶をしてくれた。
「……ご丁寧に。私は聖シュルール協和国教会本部に所属しているルシエルと申します」
こちらも自己紹介してから簡単に会釈をするが、そうしたら向こうの顔が固まっているように見える。
しかも三人共だ。
「……大丈夫ですか?」
「も、もしかして、数十年ぶりにS級治癒士と成られたあのルシエル様ですか?」
「まぁそうです。現在は二十一ですが」
俺がそう告げると、さっきまで腕を掴まれていた従者の二人までテンションが上がってしまったのか、質問されてしまう。
「あの治癒士なのに竜殺しまで成し遂げられた、あのルシエル様なのですか?」
あのって言葉だけで、精神的にくるものがある。どの通り名がブランジュで知れ渡っているのか、それを不安になるが怖くて聞けない。
「ネルダールへ来たのはどなたかを診られるためでしょうか?」
「……いや、聖属性の魔法は勉強していたけど、他の属性にも適性があったから、ネルダールで魔法を勉強する機会を作っていたただいたのだ」
そんなことよりも通り名をサラッと言ってほしい。
しかしそんな想いは通じることはなかった。
「そうだわ! ルシエル様。今からこちらの食堂で夕食をご一緒しませんか?」
名案だと言わんばかりにエリナスさんがそう申し出た。
しかしこのテンションは、本を読み続けた俺……達には辛いものがあった。
それにこれが罠だってことも考えられる。
「伯爵家の令嬢から誘っていただけるとは光栄です。ありがとうございます。しかし、申し訳有りませんが、本日こちらに来たばかりなので、色々とすることが山積みなのです。ですから、食事は落ち着いた頃にしてもらっても宜しいですか?」
だから今回は断ることにした。
嬉しそうな顔が、徐々にしょんぼりしていくのは辛かったが、心を鬼にするのだった。
「分かりました。それでしたら、また日を改めさせてくださいませ。ナディア、リディア、また今度ゆっくりと話しましょうね」
エリナスさんはそう言って廊下を帰っていった。
しかし足音が聞えないところをみると、装備か魔法を使っているのだろう。
「さて二人共、食事にするから中に入ろう」
「……緊張しました。貴族だった時からエリナス様は天才と呼ばれていましたから」
「邪神と比べたら、全く怖くなかったです」
天才魔道士に掛かるプレッシャーがあるのかも知れないな。しかしリディアが邪神と比較したのかが気になった。
「国王の許可がないと彼女もここには来られていないのだから、彼女は国を背負わされているのかも知れないな。それよりもリディア、何で邪神と比べたんだ?」
「……精霊士のジョブが発現した時に一度会ったことがあるのですが、「精霊に頼まないと魔法発動出来ないのね」って、笑われたこともあり」、あまり好きではありません」
「うん。分かった。余計なことを思い出させて悪かったな」
それから俺は部屋の鍵を開けて入室した。
部屋は真っ暗だったが、スイッチを入れると照明器具が一気について明るくなった。
まるで前世に戻ったかのようなに、調光出来るスイッチもあることに感動しながら、食事の準備を始めた。
まぁ料理を出して、盛り付けるだけだったのだが……。
食事に舌鼓を打ちながら、明日の予定を二人に告げていく。
「明日はまず食堂の整理から始めよう。それが終わったら魔法の練習をする。午後は今日の続きとしてまた魔導書庫で情報の精査をして、有用な情報を集めよう」
「「……はい」」
何処か上の空で返事した二人が心配になり、さらに声を掛ける。
「気分でも悪くなったか? それともスケジュールの変更がしたいのか?」
しかし上の空だったのは、もっと違う理由だった。
「ルシエル様、このハチミツ水はおかしいです」
「これはハチミツ水としては認められません」
ナディアとリディアはハチミツ水に対して文句あるようだった。
「……どういうことだ? 俺が知っているハチミツ水はこれなんだが?」
そうすると二人はプルプル震え出した。
これ以外にハチミツ水を知らないので、困惑するしかない。
「これにどれだけの価値があるのか知っているんですか? 何ですかこの美味しさは」
「魔力が溢れ出てくる感じがします。これは断じてハチミツ水ではありません」
二人は空になったハチミツ水が入っていたコップを見たまま動かなくなった。
「……おかわりはいるか?」
「「いただきます」」
それから二人に、今回提供したハチミツ水がどれだけ貴重なものなのを、延々聞かされる破目になってしまった。
ネルダールに来た初日から、これだけのイベントが発生すると、明日からはきっともっと、色々な出来事が起こって、それに巻き込まれてしまうのではないかと思うと、憂鬱な気分になるのだった。
お読みいただきありがとうございます。